エアバスの始祖か 輸送機C-160トランザール初飛行から60年 欧州共同開発の背景に“鉄道”

フランスとドイツの共同開発、C-160輸送機が初飛行から60年を迎えました。日本ではあまりなじみのない飛行機ですが、この機体を開発するために設立された合弁企業トランザールは、のちに一大航空企業エアバスへとなりました。

名機C-130「ハーキュリーズ」よりも中が広いC-160

 ドイツとフランスが共同で開発、生産した軍用輸送機トランザールC-160が初飛行したのは1963(昭和38)年2月25日のこと。それから今年(2023年)でちょうど60年を迎えました。ヨーロッパの空を中心に、半世紀以上も飛び続けるC-160の足跡を振り返ってみましょう。

 C-160は生まれる前に目を移すと、第2次大戦後、誕生まもない西ドイツ(現ドイツ)軍はフランスの軍用輸送機「ノラトラ」のライセンス生産型を装備していました。「ノラトラ」は主翼を胴体上部に設けたいわゆる高翼配置のため、貨物室の位置が低く、三胴構造で胴体後部に扉を設けたことにより、荷物の積み下ろしが容易で、かつ空中投下や空挺降下も可能な汎用性に優れた軍用輸送機でした。しかし、発動機がピストン式のレシプロエンジンだったため、タービンエンジン(ターボプロップやジェット)が主流になると旧式化が目立つようになります。 そのため、ドイツは同じように「ノラトラ」を主力輸送機として使用していたフランスとともに、その後継となる新型機を共同開発することにします。独仏両国は1957(昭和32)年に合意すると、開発と生産を両国の航空機メーカーが参画して共同で進めることになり、結果、受け皿となる合弁企業としてトランザール(Transporter Allianz:輸送機連合)が1959(昭和34)年に設立されました。この企業が、現在のエアバスへと発展しています。 こうして「ノラトラ」後継機の仕様に関してフランス空軍と西ドイツ空軍の間で綿密なすり合わせが行われ、要求性能についても決定します。 ただ当時、西ドイツ政府に対しアメリカのロッキード社から、すでに生産中だった中型輸送機C-130「ハーキュリーズ」の売り込みがかけられます。これによって西ドイツからの発注が遅れるといったこともあったことで、C-160の最終的な仕様についてはC-130の影響を大きく受けた面も見て取れます。 両機種を比べると、機体の大きさはほぼ同じで、高翼配置、胴体尾部にローディングランプを兼ねたドアが配置されている点も共通です。 ただ貨物室の大きさについては異なっていました。意外かもしれませんが、貨物室の断面はC-160の方が大きく採られています。その理由はヨーロッパ大陸の鉄道貨物の規格を採用したからでした。 なお、独仏と同じヨーロッパの主要国ながら、鉄道規格については大陸よりも小さいイギリスは、とくに貨物室の大きさを気にしなかったためC-130を導入したのに対し、ドイツとフランスは、鉄道貨物で運べる貨物をそのまま空輸できる大きさを求めた結果、それがC-160の設計に活かされたことで、C-130よりも大きくなったのです。

1基で6000馬力超えの強力エンジン搭載

 また大きな違いとして、エンジンの数も挙げられます。エンジン4基のC-130 に対し、トランザールC-160は双発(2基)です。後者が双発となった理由には、C-130に要求された性能との違いと、最大出力6000馬力を超えるロールス・ロイスの大型ターボプロップ・エンジン「タイン」の存在がありました。ロールス・ロイスのターボプロップ・エンジンは日本製旅客機YS-11をはじめ、多くの機種で採用された「ダート」が有名ですが、その「ダート」より高出力を目指して開発されたのが「タイン」でした。 単軸だった「ダート」に対して、「タイン」は2軸にして圧縮比を高め、高出力かつ低燃費を実現しています。

 余談ですが、ロールス・ロイスでは、大出力の液冷レシプロエンジン「マーリン」を4基搭載した第2次大戦の重爆撃機、アブロ「リンカーン」の機首に「タイン」を取り付けた試験機を製作。1956(昭和31)年のファーンボロー航空ショーでは、その「リンカーン」爆撃機の「マーリン」エンジンを全て停止させ、機首に付けた「タイン」1基で飛行するというデモフライトを披露したほどです。 こうして、目論見どおりの高出力を実証した「タイン」は、まずヴィッカース製の旅客機「ヴァンガード」に搭載されました。その後、出力を向上させたMk21型が独仏共同開発の哨戒機「アトランティック」に搭載され、1961(昭和36)年に初飛行に成功します。 このように実績を積み重ねた「タイン」をトランザールC-160も搭載。同機には出力6100馬力のタインMk22が採用されました。アトランティックとトランザールに搭載された「タイン」は、ロールス・ロイスとライセンス契約を締結したヒスパノ・スイザー社(後にフランスのSNECMA傘下)が主契約者となりライセンス生産を実施。その下請けとしてイギリス、ドイツ、フランス、ベルギーの各企業が係わっていました。

フランスには原潜支援機も

 C-160は、フランスから50機、ドイツから110機の発注を得て生産がスタート。のちに南アフリカからも受注し、それも含め1972(昭和47)年に一度、生産が終了しました。ただ、5年後の1977(昭和52)年にフランスから25機の追加発注を受けたことで生産ラインが再開されます。 再生産に際しては、中央翼内にも燃料タンクを増設したモデルが作られ、こちらはC-160NGと名付けられました。C-160NGは1981(昭和56)年から引き渡しが始まりますが、インドネシア向けにも生産されたほか、フランスからさらなる追加発注も受けたことなどで、最終生産機がラインオフしたのは1985(昭和60)年のことでした。

 本機は、開発元のフランスとドイツ以外に、南アフリカやトルコ、インドネシアなどで使用され、フランス軍とドイツ軍の機体はNATO(北大西洋条約機構)域内の輸送任務だけでなく、アフリカや中東地域への平和維持活動にも多用されました。 なお、フランス空軍では、一部の機体に給油装備や燃料タンクを搭載して空中給油機として使用したり、核弾頭搭載潜水艦との通信機材を搭載して核抑止力の指揮・命令を担う重要な任務にも使ったりしたものの、2022年をもって全機退役しています。 一方、ドイツ軍では後継として、より大きなエアバスA400M戦術輸送機の導入が進んだことで、C-160については2021年に運用を終了しています。ただ、ドイツ軍が使っていた一部の機体はトルコに売却され、同国空軍で余生を送っています。 ヨーロッパではトランザールC-160を含めて多くの名機が共同で開発され、生産されてきました。そこから得られた多くの経験と実績が、エアバスの設立に繋がったことは言うまでもありません。 トランザールC-160は生産国のドイツとフランスの空からは姿を消しましたが、その足跡は、世界最大の航空機メーカーに成長したエアバス・グループとして結実していると筆者(細谷泰正;航空評論家・元AOPA JAPAN理事)は感じています。

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