東京駅ホームにあった「妙に古い柱」は巨大ターミナルの100年を知っていた

1914年に開業した東京駅。この時からホーム屋根を支えた鉄柱の一部が、震災と戦災を乗り越えて100年あまり使用され続けました。現在はホーム屋根の改修に伴い撤去済みですが、一対2本は保存されています。現役末期の姿を振り返ってみましょう。

1908年製の柱

 鉄道開業150周年を迎えた2022年は、その歴史を振り返る機会が多かったことでしょう。中でも新橋駅は、一番列車が発った駅としても注目を浴びました。 そんな新橋駅に代わる新たな中央停車場としてデビューしたのが東京駅です。2022年は、辰野金吾が手がけた丸の内駅舎が戦災復旧の姿から復原されて10周年を迎え、新橋駅と同様に話題に上った存在といえましょう。

 そもそも東京駅は、新橋駅付近から上野駅へかけての市内貫通高架線に計画された高架方式の中央停車場で、1908(明治41)年に建設が開始されました。6年の歳月を経て、1914(大正3)年12月18日の開業式典で、中央停車場から東京駅へ改名されたのです。それから約100年、2014(平成26)年まで残った開業時の“生き証人”、ホーム屋根の鉄柱について紹介します。 開業時の東京駅のホームレイアウトは、客車列車が停車する長距離用島式ホーム2面のほか、山手線などを走行する近距離電車用の島式ホーム2面でした。電車線ホームには装飾を施した鋳鉄製の屋根柱が並び、鉄製の梁、左右の柱を結ぶアングル材で構築されていました。 当時の駅ホームといえば木製屋根が主流でしたが、やはり新たなる中央停車場ということでしょうか、堅牢かつ優雅なデザインを施した鉄製の屋根構造となりました。ホームは電車が1~2両編成であったこともあり短かったものの、大正時代末期に延伸されています。 柱の製造は1908年です。ちょうど東京駅建設開始の頃でした。荘厳な東京駅舎を表すかのように柱は円筒形で、上部に植物を表現した装飾が施されます。さらに数本は架線柱を兼ねており、架線を支えるビームと呼ぶ横棒にも正円の幾何学模様が施されました。柱部分は梁と屋根を支える役目も兼ねており、ビームは隣のホームまで連続して弧を描くデザインとなって、架線柱にしては随分と華麗ないでたちでした。

山手線・京浜東北線を見守り続ける

 華麗な柱は関東大震災をくぐり抜けたものの、太平洋戦争時の空襲により、丸の内駅舎とホーム屋根の大部分を焼失するという憂き目に遭います。その際、ホーム屋根は有楽町側が焼け落ちずに済みました。終戦後には木製の梁と柱で組成された屋根が設置されましたが、焼け残った鉄の柱は活用され、山手線・京浜東北線を迎え入れるホームとして活躍したのです。 なお、ホーム番号は3・4番線でしたが、1995(平成7)年の東北・上越新幹線東京駅乗り入れによって番線がずれ、以後は5・6番線となっています。

 柱は装飾を施されているとはいえ、戦後復旧された木製柱と同じ白色に塗られて同化しています。架線柱となっている柱だけは濃緑色に塗られ、ほかと異なってアンバランスでしたが、ホームの良いアクセントにもなっていました。開業時から残された架線柱は3本。共に緑色に塗られ、そのほかに鉄柱が数本(おそらく5対10本)ありました。 柱と架線柱は当たり前な存在のため、日頃から特に注目されているわけでもなく、何十年もホームの屋根と架線を支えてきました。私(吉永陽一:写真作家)も「古い架線柱と柱だな」と認識はしていましたが、当たり前すぎて気にせず、初めて柱にレンズを向けたのは2009(平成21)年のこと。ただ何となしに記録をしておこうと思い立った次第です。 隣の3・4番ホームから観察すると、ホーム屋根の上に突出した架線柱が、両手を水平に広げたカカシのような形状で、正円の装飾が誇らしげに主張しています。この姿が開業時から変わらない光景なのですね。戦後製の機能的でシンプルな架線柱と異なり、優雅な装飾を施すことで、東京駅の品格を上げているように感じます。ただし3・4番ホームへと連続していたビームは、いつの時代かは不明ですが切断されました。同ホームの屋根改修時なのかと推測します。

2014年、屋根の大改装でお役御免に

 その後も何回か、ホーム屋根柱を見学に訪れました。じっくり観察するため、なるべく乗降客の少ない日中を狙ってホームへ行きましたが、さすが東京駅、人が絶えません。通行人の邪魔にならないよう、山手線の発着の合間を狙いましたが、柱の根本部分や上側の装飾箇所をマジマジと眺めていると、「この人は柱に向かって何をしているのか」と、通行人に訝しげな表情を向けられたものです。一般的には単なる柱にすぎず、存在も当たり前すぎたということでしょうか。

 奇跡的に開業時の姿のまま残されたホーム屋根柱。大変化が起きるのは、冒頭で述べた通り東京駅開業100周年を迎えた2014年のことです。この年、5・6番ホームでは屋根の大改装を実施することとなり、100年あまり活躍してきた柱もついに撤去されることとなったのです。素人目にはまだ使えそうに思えて残念でしたが、戦後復旧した木製屋根は波打っており、そろそろ寿命だったのでしょう。 1908年の建設時に設置された柱は、一対2本が同じホームにモニュメント保存されています。その下部には「明治41年」と刻印があり、たしかにこれらの柱が東京駅の建設と共に歩んできたのだと再認識させられました。柱は今もひっそりと有楽町寄りに佇んでいます。なお2023年2月上旬時点では、ホーム改良工事のため一時的に仮囲いが設置されており、見学できないので注意が必要です。再び見学できる日を待ちましょう。

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