「広島~浜田55分」果たせなかった高速“陰陽連絡”鉄道 島根に残る2本の未成線「今福線」

広島市と島根県浜田市を結ぶ予定だった「今福線」の痕跡は、島根県側に今でも多く残っています。開業できなかった嘆きの声が聞こえるというアーチ橋など、今や観光資源と化しつつあります。

浜田市内に残る2本の“未成線” 出発地・目的地はどちらも同じ

 島根県浜田市は2005(平成17)年に1市4町村の合併が施行され、クルマで端に移動するだけでも1時間近くかかるほど。広大な市域に、かつて建設が行われていた2本の鉄道の跡が残っています。  1本は、戦前に建設が進んでいた「今福線」。そしてもう1本は、戦前に建設された区間のうち一部を別ルートで建設し直した、同じく「今福線」。どちらも広島~浜田間を結ぶ幹線鉄道の一部となるはずでしたが、開業は叶いませんでした。 市内に多く残る高架橋やトンネルは、「広浜鉄道今福線遺跡群」として案内看板なども整備され、クルマやバイクで訪れやすくなっています。広大な浜田市内をドライブがてらに巡りつつ、同じ市内にある新旧2つの鉄道未成線(開業できなかった鉄道施設)を見比べてみましょう。

山肌に映える“新旧の造形美”コンクリート橋

 浜田駅の南東に位置する山間の浜田市佐野地区では、新旧ふたつの未成線がほぼ並行しており、戦前に建設された旧線は川沿いに山陰本線 下府(しもこう)駅方面へ、新線は正面の山を最短距離で貫いて、現在のJR浜田駅に向かっています。 このあたりでは新線側の橋が歩いて渡れるようになっており、戦前に建設され朽ち果てかけた旧線の橋梁と、戦後に建設され今もひび割れる様子のない新線の橋梁を見比べられるところもあります。 また下府川の少し下流には、4連のアーチを描く鉄道橋が道路として改良されているところもあり、クルマやバイクも走りやすく、ドライブスポットとして最適です。橋上は見晴らしが良く、手前側で停車してのんびり歩いてみるのもいいでしょう。 この橋は「おろち泣き橋」とも呼ばれ、橋の下の1か所で「鉄道が完成しなかったことによるオロチ(龍)の嘆きの声」が聞こえる、ともいわれ、立て看板にもそう書いてあります。確かに橋の下では何かが響くような音が聞こえますが、実際には真下を流れる川のせせらぎがアーチの下部に反射する「フラッターエコー」(音の多重反射の一種)、という説も。“嘆きの声“説を信じるのも信じないのも、あなた次第。

広島県側は「可部線」として開業、島根県側は…

 他にも沿線には、「水害を避けるため基礎部分が円形で作られた橋脚」(宇津井地区)、「駅予定地だった場所に通ずる“えきまえばし”」(旭地区)など、さまざまな鉄道の名残を見つけることができます。 山陽・山陰を結ぶ“陰陽連絡”路線として早くから工事が進み、一部区間でレールの搬入まで進んでいたという「今福線」は、なぜ開業が叶わなかったのでしょうか。 広島~浜田間を結ぶ“陰陽連絡”の鉄道の構想は比較的早くから議論され、1896(明治29)年には島根県側から「芸石鉄道」、広島県側から「広浜鉄道」が免許を申請。そして広島県側では1909(明治41)年に私鉄として開業していた区間が1936(昭和11)年に国有化されました。現在のJR可部線です。 この時点で延伸先となる一部区間ではレールまで運び込まれていたといいます。しかし第二次世界大戦の激化により両県側とも1940(昭和15)年に工事は中止、レールはそのまま戦地に供出されてしまいました。 広島県側は戦後も延伸を繰り返し、1969(昭和44)年には県境から10kmほど手前の三段峡駅まで到達。しかし島根県側は戦前に工事を進めていた区間が水害で崩壊していたこともあり、大幅にルートを変更します。その結果、9割近くが橋やトンネルを通り、広島~浜田間を最速55分で結ぶ幹線鉄道として工事が進められました。

 1974(昭和49)年に起工式を行い、順調に建設が進んでいましたが、折悪く国鉄は経営不振で合理化を進めることに。日本鉄道建設公団(現在のJRTT鉄道・運輸機構)が工事を進めていた区間は、1980(昭和55)年、一斉に工事が凍結されます。さらに、広島県側の国鉄可部線が一部、赤字のため廃止対象となっていたこともあり(のち2003年に可部~三段峡間廃止)、工事は再開されませんでした。 こうして島根県側で、いまの「広浜鉄道今福線遺跡群」が山深い谷にそのまま残ったのです。

浜田~広島間は今も昔もバスで結ばれている?

 鉄道が直通しようとしていた浜田市南部の山岳地帯を、今では高速道路(浜田自動車道・1991年全通)が貫き、浜田~広島間を結ぶ高速バスが駆け抜けています。浜田~広島間のバスは1934(昭和9)年に開業した長距離バス「広浜線」の流れを汲み、国道の整備すらおぼつかなかった頃には、中国山地を「青い暴走族」(国鉄バスの車体の色から)呼ばれるほどの爆走ぶりで駆け抜けていたといいます。 高速道路経由となった現在の高速バスの所要時間は2時間ほどです。この区間を55分で駆け抜ける「今福線」の速達効果がいかに強烈だったかが伺えます。しかし高速運転を行うには広島県側の可部線も全面改良が必要であったため、実現はかなり難しいものでした。

 今福線の終点となるはずであった浜田駅は、高速バスの拠点としても賑わいを保ち続けていますが、駅舎は2008(平成20)年の改修・橋上化ですっかり面影が変わりました。しかし駅前ではレトロな喫茶店「日東紅茶パーラー」(1967年開店)が、今福線の建設が進んでいた昭和40年代の頃から変わりなく営業中。広島から1時間圏内になるはずだったこの駅で、往時の様子を想像しつつ、変わらない味のレモンティーを味わうのも良いでしょう。

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