時代が悪かった? 傑作機T-33幻の高性能版「スカイフォックス」ボーイング後押しも売れず

航空自衛隊も多数運用していた傑作機T-33。この機体をベースに大幅改良を施した「スカイフォックス」というジェット機がかつてありました。ボーイングも販売に関与したのに試作で終わった幻の飛行機。実機を見学した筆者が解説します。

名設計者ケリー・ジョンソンが作った傑作機

 世界に名をとどろかせた著名な航空機技術者のひとりにロッキード社(現ロッキード・マーチン)のクラレンス・L・ジョンソン(ケリー・ジョンソン)がいます。彼はU-2偵察機、F-104「スターファイター」戦闘機、さらには世界最速の記録を持つSR-71「ブラックバード」偵察機など数々の名機を設計したことで有名ですが、その彼が初めて設計したジェット機がP-80(後にF-80と改名)「シューティングスター」戦闘機でした。

 F-80の派生型として生まれた練習機モデルのT-33は6500機超の生産数を記録したベストセラー機で、南米などではつい最近まで現役で運用されていました。民間に払い下げられた中古機は初飛行から75年以上経った現在でも、アメリカの空を飛びまわっていますが、実はさらなる性能向上型として「スカイフォックス」なる改良型が造られていたことはあまり知られていません。 名機F-80の最終発展形ともいえる「スカイフォックス」がどういった経緯で生まれ、消えていったのか、改めて振り返ってみましょう。 そもそも原型のF-80「シューティングスター」戦闘機は第2次世界大戦末期の1945年から実戦配備が始まりましたが、その直後に日本が無条件降伏したため、前線に行くことなく終戦を迎えました。それから5年後、1950年に勃発した朝鮮戦争で初めて実戦投入されたものの、これもまたあまり華々しい戦果を挙げることなく終わります。 その大きな理由は、北朝鮮軍側に後退翼を装備したソ連(現ロシア)のMiG-15戦闘機が登場したことで、国連軍(韓国)側も対抗するために後退翼を装備した新鋭のジェット戦闘機F-86「セイバー」を投入せざるを得なくなったからだといえるでしょう。こうして直線翼のF-80戦闘機は陳腐化してしまったため、第一線での運用は短期間で終了しました。結果、生産も1715機で終わっています。

エンジン換装で重量は軽減、出力&燃費は大幅向上

 しかしF-80はジェット機としての基本性能には優れていたため、それを基にした練習機型が開発されます。主な改良点は、胴体を延長して複座型としたところで、こうして生まれた練習機型T-33は、当時ジェット戦闘機のパイロットを養成するための練習機を必要としていた多くの国々に採用されました。 アメリカだけでなくカナダや日本でもライセンス生産され、最終的にはF-80を大きく上回る6557機が造られ世界30か国で使用されました。日本でも航空自衛隊が訓練や連絡などの目的に長期間使用したため、とてもなじみのある機種といえるでしょう。

 こうして世界中で重用されていたT-33ですが、1980年代になると独仏共同開発の「アルファジェット」やイギリスの「ホーク」など、後退翼とターボファンエンジンを備えた新世代の練習機が登場するようになります。 そうなるとT-33はどうしても陳腐化が目立つようになりました。そこで、「アルファジェット」や「ホーク」と比べて約半分のコストで取得できる近代的な練習機として、T-33ベースの改修機を造ろうという機運が北米で生まれます。こうして設立されたのがスカイフォックス・コーポレーションでした。 T-33が搭載するアリソンJ33エンジンは設計の古さから、1980年代の目で見ると重量過大で燃料消費も多く、おまけにオーバーホール間隔も短いというデメリットを持っていました。そこで、まずはエンジンを新型に交換することが計画されます。こうして白羽の矢が立ったのは、ギャレット(現ハネウェル)製TFE731ジェットエンジンでした。 このエンジンは低燃費で軽量なため、すでにダッソー「ファルコン」やリアジェットなど多くのビジネスジェットに採用されており、性能と信頼性は証明済みでした。改造機はこれを胴体の外部に2基取り付けています。 重量についても従来のJ33エンジンとTFE731エンジン2基を比べた場合、後者の方が17%も軽く、それでいて出力は60%増し、しかも燃料消費量は45%低減されるとのハナシでした。

ポルトガルから受注、米空軍の関心を引くも…

 従来、胴体内部に収容していたジェットエンジンがなくなり、代わりに胴体側面に外付けする構造となったため、尾翼は再設計されています。胴体内はJ33エンジンが収容されていた大きなエンジンスペースに新しい燃料タンクが設置されたことで、T-33の特徴のひとつでもあった翼端の燃料タンクは撤去され、代わりに小型のウイングレットが取り付けられ抵抗を減少させるよう翼形状が改められました。 これら改修に合わせて主翼は前縁が延長され、ブレーキにはアンチスキッド機能が付き、操縦性の向上も図られました。燃料系統も一新されたほか、機内の配線や電子機器、計器類も新型に交換されています。

 改造は、T-33のカナダにおけるライセンス生産版CT-133「シルバースター」を使用して1982年から始まりました。最終的には原型CT-133(T-33)の機体構造のおよそ70%を再利用する形で「スカイフォックス」として完成。1983年8月23日に初飛行に成功すると、その後はカリフォルニア州モハーベ空港を拠点に試験飛行が行われました。 こうしたなか、スカイフォックス社では改造キットを製品化するために営業活動を開始します。宣伝ポイントは、低燃費でメンテナンスコストも大幅に減少するので、飛行コストはT-33の半分という点でした。 その結果、T-33を使用していたポルトガル空軍と20機を改造する基本合意を締結します。その後、アメリカ空軍も興味を示し、評価のために同機を借用したこともありました。これら実績からスカイフォックス社はその後、航空機大手のボーイングに買収されます。しかし結局、改造キットの事業化に必要な受注数を獲得することができず、ボーイングも事業化を諦めてしまいました。

「スカイフォックス」が成功しなかったワケ

 筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は1986年にモハーベ空港でスカイフォックス社を訪問し格納庫で整備中の本機を見学したことがあります。その時の第一印象は、T-33の改造機とは思えないほどの斬新なフォルムというものでした。

 性能も操縦性も申し分ないという説明を受けましたが、筆者が考えるに「スカイフォックス」が不発に終わった大きな理由は、1980年代の急激な燃料価格の変化ではないでしょうか。1980年前後に起きた第2次石油危機で、1バレル(約160リットル)30ドル(当時の1ドル230円換算で6900円)を初めて突破した原油価格は、その後の先進諸国の景気後退に伴い下落に転じ、1980年代半ばには20ドル(同4600円)を割り込みます。その影響で、航空燃料の価格も毎年安くなるという、今では信じられない時期でした。 割高な航空ガソリンでさえ、1ガロン(約3.8リットル)およそ2ドル(同460円)。つまり1リッターあたり53セント(約122円)くらいだったのです。今から思うと想像できないほど低価格でした。ここまで安かったので、逆にコストをかけてT-33を「スカイフォックス」に改造するほどのメリットがなかったといえるでしょう。 ゆえに、もし当時、ここまで燃料価格が下落せず、むしろ第1次石油危機のときのように高騰していたなら、「スカイフォックス」は各国で採用され、今ごろは世界中で飛んでいた可能性もあったのではないかと想像しています。 2022年2月に起きたロシアのウクライナ侵攻により、エネルギー価格が上昇したことで航空燃料も高止まりが続いています。時代が違えば、「スカイフォックス」は前述したように飛行訓練のコストを低減する救世主となった可能性もあったでしょう。もしかしたら、「スカイフォックス」は登場時期が早すぎたのかもしれません。※誤字を修正しました(1月18日8時40分)

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