誰も望まなかった“劣化版”F-16戦闘機なぜ開発?「標準モデルはダメ」米国方針の顛末

いまから40年以上前、アメリカは台湾に対してわざと性能を下げたF-16戦闘機を輸出しようとしました。しかし目論見は外れ、しかも当の米政府自身が外交方針を転換したことで開発中止になっています。一体どんなモデルだったのでしょう。

「モンキーモデル」なる言葉の出自

 軍事の世界には「モンキーモデル」という言葉があります。これは通常、生産される兵器に対して、意図的に性能を落とした派生モデルのことを指すものです。軍事関係者が使うようになったのは、1980年代にイギリスへ亡命したGRU(旧ソ連軍の諜報機関)将校ヴィクトル・スヴォーロフの著書で用いられたのが契機で、そこから一般に知られ、主にソ連製の兵器でよく作られていました。

 これらモンキーモデルといわれる兵器群は、おもに海外への輸出用として生産されており、当時は非共産主義のソ連同盟国に輸出され、特にイラクやシリアといった中東の国々がその対象となっていました。 しかし、1991年の湾岸戦争においてイラク軍が保有するソ連製兵器の多くが、アメリカやイギリスといった多国籍軍に一方的に撃破され、その要因のひとつがモンキーモデルであったことが指摘されています。また、この湾岸戦争によってモンキーモデルという単語も悪い意味で注目されるようになりました。 とはいえ、モンキーモデルのような、性能を下げたダウングレード兵器は旧ソ連だけで作っていたワケではなく、アメリカでも同様に用意されていました。そのひとつが、世界的ベストセラー戦闘機であるジェネラル・ダイナミクス社(現ロッキード・マーティン社)のF-16「ファイティングファルコン」、その派生モデルであるF-16/79です。 そもそもF-16/79は、1970年代後半にF-16の輸出専用モデルとして開発されました。外見上は通常のF-16と同じですが、戦闘機にとって一番重要なエンジンが、原型のプラット・アンド・ホイットニー(P&W)社製のF100ターボファンエンジンではなく、旧世代の古いJ79ターボジェットエンジンに交換されているのが一番のポイントです。

F-16/79が誕生したきっかけ

 F100ターボファンエンジンとJ79ターボジェットエンジンを比較すると、後者は推力が2割以上も低く、燃料消費量も多いために航続距離も短くなっていました。さらに、J79はF-16の機体フレームに対してエンジンが大きいため、機体後部をそれに合わせて延長。稼働時のエンジン過熱もF100より高温になることから、熱対策のスチール製シールドを機内に新設し、空気取り入れ口の形状変更も必要でした。結果、これら対策を施したことでF-16/79は、オリジナルのF-16Aよりも重量が約1tも重くなっていました。

 オリジナルのF-16Aよりも性能が劣るF-16/79がわざわざ生み出された理由は、当時のアメリカ大統領であったジミー・カーターの外交方針によるものでした。1970年代後半、カーター政権の方針によってアメリカ軍が運用している最新鋭機の輸出が禁じられ、輸出を行うにはそれらよりも性能を下げたモンキーモデル的な機体(もしくは輸出専用モデル)を開発する必要があったからです。 このような制限が課された理由はいくつかありますが、そのなかには最新鋭の機体を他国に渡したくないことや、輸出することでその周辺国とアメリカが外交的な軋轢を生むことを避けたいという思惑があったようです。 なお、カーター大統領の政策に応じて輸出専用の戦闘機を開発したのはジェネラル・ダイナミクス社以外にもありました。それはノースロップ(現ノースロップ・グラマン)社です。同社は、輸出用戦闘機であるF-5をアップグレードしたG型(後のF-20「タイガーシャーク」)を開発しています。

ただ1機だけ造られたF-16/79のその後

 F-16/79は台湾など約20か国の国々に提案されましたが、最終的にどこの国も採用することなく終わりました。その理由は至極真っ当なもので、F-16/79の性能が通常のF-16よりも劣っているからでした。 このモデルはアメリカ政府にメリットはあっても、高額な予算を掛けて輸入する諸外国にとっては、ほぼデメリットでしかありませんでした。仮に、F-16/79以外に新型機の選択肢がなければ提案された国々も購入したかもしれませんが、戦闘機を輸出する国はアメリカ以外にもあり、台湾などは戦闘機の自国開発に乗り出しています。

 さらにF-16/79の開発にトドメを指したのは、当のアメリカ政府による方針転換でした。カーター大統領は自身で作った制限を大幅に緩和し、後のレーガン大統領では方針そのものが転換されます。こうして、アメリカは自国空軍が使っている「純正」のF-16を輸出することができるようなり、性能をわざわざ下げた戦闘機は必要とされなくなりました。 F-16/79の開発に掛かった総予算は1800万ドル(約23億円)とも言われており、これら資金は政府の援助なしにメーカーの自社資金だけで賄われました。ただ、結局は政府の外交方針に翻弄されて、これら開発予算は水泡に帰したともいえるでしょう。しかし、純正のF-16はその後に世界各国に輸出されており、メーカーとしては輸出制限があった時期に世界各国のF-16への注目を集め続けたという点では意味があったのかもしれません。 なお、F-16/79の試験機は1機だけ製造されましたが、そのベースとなったのは複座型であるF-16Bの75-0752号機でした。この機体は開発計画終了後にJ79エンジンからF100エンジンに戻されています。その後はF-16の近接航空支援型の試験や、ロッキード社の試験用テストベットなどに使われ、退役後はテキサス州ダラスにあるFrontiers of Flight(フロンティア・オブ・フライト)博物館にて展示されています。 無駄に終わった派生型を最後までとことん使い倒した、その点では開発中止とともにスクラップにならなかっただけ、F-16/79にとっては幸運だったといえるのかもしれません。

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