「水上ジェット戦闘機」なぜ作ったし!? 米試験機F2Y「シーダート」の初飛行日 -1953.1.14

70年前の1953年1月14日、アメリカの試験戦闘機「シーダート」が初飛行しました。

水上機へ”回帰”した理由とは

 今から70年前の1953年1月14日。アメリカ海軍の試験機F2Y「 シーダート」が初飛行しました。 これは、水上機をジェットエンジンにより運用しようとする試みのもと造られた機体でした。当時、すでに飛行機の主流はレシプロ機からジェット機へ移行していましたが、その時代になぜかアメリカは水上機にスポットを再び当てたのです。 というのも、エンジンがジェット化したことで、それに伴い機体も大型化。その結果、空母を発着する艦載機については既存空母の飛行甲板長が発着艦を行うのに足りなくなる恐れが出ていたからでした。それならば、むしろ空母からではなく海面上から発着できればいいのではないか、という考えでした。 コンベア社が設計製作を担当し、できあがったのはデルタ翼を備えた本体にスノーモービルのソリのようなものがついた試作機でした。一般的な水上機は「フロート」とよばれる浮きを備えていますが、試行錯誤の結果、試験機XF2Yはソリ状に落ち着いたのです。このソリは、飛行中などは自動で収納可能となっています。 1952年12月に試作1号機が完成し初飛行に成功すると、翌年には超音速飛行にも成功しています。水上機がマッハの世界へ突入した、歴史的瞬間でした。最高速度は1120km/h、航続距離は2460kmを記録しています。 しかし、ここまでの性能を見せつけながらも「シーダート」は、結局量産されることはありませんでした。最大の課題は離着陸時の水上滑走時、波立つ水面の抵抗で挙動が不安定になるという、ごく当然の現象によるものでした。結局この課題を克服することができないまま、1954年に発生した空中分解事故をうけて、開発プロジェクトは終わりを告げました。 ちなみにアメリカ海軍は、大出力のスチーム・カタパルトや斜め飛行甲板(アングルド・デッキ)の採用、さらなる空母自体の大型化などによって、艦載機のサイズ制限を克服しています。

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