「最も新しく、最も恐るべき」戦法と評された「特攻」 技術的には何を遺した? 思想を一変させた「カミカゼ・ショック」

日本軍の神風特別攻撃隊による攻撃は、常軌を逸した戦法としてアメリカ軍に衝撃を与えます。しかし技術史的な視点に立つと、このカミカゼは艦隊防空システムを変える契機をつくりました。

従来思想の盲点が浮き彫りに

 1944(昭和19)年10月25日、フィリピン沖。日本海軍の零式艦上戦闘機がアメリカの護衛空母「セント・ロー」に体当たりし艦は爆沈しました。この日、他にも4隻の艦艇が体当たりを受けます。

 航空機による体当たりは、これ以前にも戦場で見られた行動でしたが、この攻撃は明確に違っていました。最初から体当たりすることを企図しているように見えたのです。翌日以降も同様の攻撃が続発し、アメリカ軍は体当たり攻撃が組織的作戦として行われていることを認識します。これが神風特別攻撃隊、今日では自爆攻撃の代名詞にもなっている「カミカゼ」の始まりでした。

 この常軌を逸した戦法にアメリカは「カミカゼショック」を受けます。将兵のメンタル面のショックもさることながら、艦隊防空システムにもショックを与えることになったのです。

 アメリカ海軍諜報部は「日本軍はアメリカ海軍がこれまでに遭遇した最も新しく、かつ最も恐るべき問題を提起した。この捕捉し難い接近と自殺攻撃は、ジャップの狂信的精神のみならず、それよりはるかに危険なことには、(アメリカ海軍の)防空戦術やレーダーによる複雑な航空管制について完全に理解しているパイロットが(特攻に)志願していることだ。カミカゼに対する最も有効な対策は、日本軍がパイロット切れになることである」と報告しています。

 アメリカ海軍の防空思想は、航空機編隊による爆撃や雷撃を想定して構築されていました。ところが、カミカゼ攻撃はこの思想の盲点を明らかにします。

 通常の航空攻撃なら、撃墜に至らなくとも機体を破損させて離脱させれば攻撃を阻止できます。しかし最初から体当たり攻撃を企図した特攻機は、破損に構わず突入してきます。確実な撃墜が必要になったのです。投弾後の爆弾や魚雷の挙動は予測できますが、特攻機はミサイルのように命中するまで操舵を続けて機動するというのも厄介でした。

 また、レーダーや砲弾が目標物に命中しなくとも一定の近傍範囲内に達すれば起爆できるVT信管もやや過大評価されているようです。VT信管はそもそも弾数が不足していた上、レーダーの探知能力不足から近接されすぎて射撃機会を失することも多く、イメージするほど戦果を挙げていません。

 レーダーで特攻機を見つけても、戦闘機を適切に振り向ける管制システムも未熟でした。沖縄戦では、アメリカ艦隊は日本軍特攻機の組織的な大量投入で大きな被害を出し、沖縄侵攻作戦の進捗に影響を及ぼしています。

戦後艦隊防空システムの礎が誕生

 アメリカは艦隊防空システムの改善に取り組みます。レーダー警戒と対空火器の射撃管制を自動連動させる改良を進めました。射撃管制装置Mk.37 GFCS(Gun Fire Control System)や、より軽量なMk.51ディレクターの改良が進み、砲の指向と射撃精度を高めました。

 戦闘機による迎撃を強化することも検討されましたが、艦上戦闘機を増やせば艦上爆撃機・攻撃機の搭載数を減らさざるを得ないというジレンマがありました。少ない戦闘機を有効に運用するために「防空ピケット(Radar Picket)」の概念が誕生します。主力艦隊の外周にレーダー搭載艦を配置し、敵機の接近を早期に探知する仕組みです。特攻機の発見が早ければ迎撃機を向かわせる精度も上がり、迎撃態勢を整えられます。

 この「ピケットライン」は、戦後の艦隊防空システムの礎となり、レーダー監視と戦闘指揮を統合する近代的なネットワーク防空の原型となります。戦後はレーダーピケット任務用の原子力潜水艦も建造されます。

 また、レーダーピケット艦からの情報を集約し、戦闘機の管制や防空戦闘指揮を統一した戦闘情報中枢(CIC)が構築されます。このCICこそ後のコンピュータ化指揮管制システム(イージスシステム)の原点となるのです。

 ただし、レーダーピケット艦は真っ先に攻撃され、多くが損害を受けました。レーダーピケット艦の任務を航空機で行う早期警戒機の開発も進みます。AN/APS-20早期警戒レーダーを搭載したTBM-3Wです。早期警戒機とデータリンクシステムを結合させた「CADILLAC」と呼ばれたシステムが構築され、1945年5月にはテストを終えて、1945年7月からエセックス級空母各艦に設置されていきましたが、本格的に運用する前に終戦となっています。

 戦後、ジェット機とミサイルの登場によって艦隊防空は新たな段階へ入りました。アメリカ海軍は「防空の自動化」を掲げ、NTDS(海上戦術データシステム)を開発します。各艦のレーダー情報をデータリンクで共有し、艦隊全体で共同迎撃を行うという構想です。

 ここには、特攻との戦いで得られた「多目標対応」と「情報集中管理」の思想が受け継がれています。

 1970年代に入ると艦隊にとって最大の脅威は、航空機ではなく対艦ミサイルの飽和攻撃となりました。これに対応するため登場したのが、イージスシステムです。SPY多機能レーダーが多数の目標を同時追跡し、CICが自動的に迎撃手順を選定するという、防空自動化の完成形でした。

 技術史の視点で見れば、カミカゼは防空技術革新の契機でもありました。アメリカはシステム開発に邁進し、結果的に世界最先端の防空システムを築き上げ、イージスシステムは現代日本の防空にも使われています。

 一方で、日本は「桜花」や「剣」といった簡易な特攻専用兵器の開発に退化し、戦術・技術両面での発展につながる成果を残しませんでした。「カミカゼ」という言葉を世界共通言語にしてしまっただけです。

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