トランプ大統領に知って欲しい! トヨタパワー使っても売れなかったアメ車たち「非関税障壁のせいにしないで」

ひと口にアメリカからの輸入車といっても、日系メーカーがアメリカで手掛けたものや、提携先のアメリカメーカーで製造されたOEM車も含まれます。そんな日系ブランドのアメ車から5車種を紹介します。

貿易摩擦がもたらした日系ブランドのアメ車

 ドナルド・トランプ米大統領は日本市場でアメリカ車が売れていないことを問題視しており、日本独自の自動車安全基準や車検制度、アメリカ車のメインとなる大型車に不利な自動車税制などを「非関税障壁」として批判を続けています。

 じつは、アメリカが日米間の自動車貿易の不均衡に懸念を示すのは今回が初めてではありません。1970年代中頃から日本車の対米輸出増加に対してアメリカ国内で反感が高まり、これを受けて日本政府と自動車業界は1981年に対米自動車輸出台数を制限する「自主規制」を表明したことがありました。

 また、1992年にはジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)米大統領(当時)が自動車大手3社「ビッグスリー」(GM・フォード・クライスラー)の経営トップとともに来日。宮澤首相(当時)との首脳会談で、アメリカ車の輸入促進や現地生産車におけるアメリカ製の自動車部品使用割合の引き上げなどを求めました。

 その際にブッシュ大統領が注目したのが、自動車メーカーごとの「系列販売」という日本独自の商習慣です。これにより、例えばトヨタの販売店では基本的にトヨタ車しか販売できず、複数メーカーの車種を取り扱うのが一般的なアメリカの感覚からすると、閉鎖的で奇異なものに映ったのです。

 アメリカ側はトヨタや日産など国内自動車ディーラーで輸入車も取り扱うべきだと要求したため、日本政府は国内各メーカーに対して輸入車の販売促進を要請しました。こうした軋轢のなか、アメリカ車を日本メーカーのブランド名で販売するOEM車の取り扱いや、現地生産した日系ブランド車の逆輸入などが始まるのです。

 それにより一時期はトヨタの一部販売店で「マスタング」や「エクスプローラー」などのフォード車を取り扱ったり、GM製のOEM車の販売を行っていたりしていました。またホンダや三菱は、アメリカで現地生産したモデルの輸入販売に力を入れることになるのです。

 今回は、その流れのなかで国内店舗において販売されたアメリカ製輸入車を5車種紹介します。

お値打ち価格だったが振るわず……

 トヨタが扱ったアメリカ車では、「キャバリエ」「ヴォルツ」「アバロン」を見てみましょう。

有名タレント使っても上向かず トヨタ「キャバリエ」

 1996年に登場したトヨタ「キャバリエ」は、GM製のシボレー「キャバリエ」をベースに、日本市場向けにカスタマイズしたDセグメント車です。ステアリングやウインカーレバーの配置を右ハンドル仕様に変更して、トヨタが自社基準に合わせて品質面の向上を図りました。パワートレインは2.4リッターの直列4気筒DOHCエンジン+4速ATの組み合わせで、ボディバリエーションは4ドアセダンのほかに2ドアクーペも用意されていました。

 トヨタは年間販売目標を2万台とし、新車価格を149万円からと安価に設定しました。しかし、もともと北米市場では廉価なコンパクトカーとして販売されていたこともあって、日本では「車格の割に質感がチープ」として販売は伸び悩みます。アメ車好きのタレント・所ジョージ氏をCMキャラクターに起用して巻き返しを図ったものの販売は上向かず、2005年に販売終了。1996年以降の累計販売台数は3万6228台にとどまりました。

今だとカッコいいかも… トヨタ「ヴォルツ」

 「キャバリエ」の失敗を受け、トヨタは2002年に人気ジャンルのクロスオーバーSUVの「ヴォルツ」を日本に輸入。ネッツ系の販売チャンネルにて「スプリンターカリブ」の後継として販売しました。

 GMとの合弁会社だったNUMMIで開発され、姉妹車にはポンティアック「ヴァイブ」やトヨタ「マトリックス」があります。カリフォルニア州のフリーモント工場で生産され、日本市場向けに右ハンドル化などのローカライズが施されました。北米ではエッジの立った外装が若年層を中心に人気となりましたが、日本ではアクの強いデザインとして敬遠されて販売は振るわず、デビューからわずか1年9か月で販売を終了しました。

全長5m級! トヨタ「アバロン」

 1995年に日本で販売を開始した「アバロン」は、北米トヨタが現地生産していた最上級セダンです。全長4.8mを超える大型乗用車でありながら、FFレイアウトを採用して広々としたキャビンを実現し、トヨタのフラッグシップ「セルシオ」に勝るとも劣らないと評価されました。

 しかし、当時のトヨタは中・大型セダンのラインナップが充実しており、「クラウン」や「マークII」3兄弟といった国内生産車に加え、同じく北米から輸入された「セプター」や「ウィンダム」なども販売されており、「アバロン」は存在感を発揮できずに埋没してしまいました。2000年には2代目「アバロン」を「プロナード」の名称で登場させますが、こちらも人気を掴むことなく国内では2005年に販売を終了しています。

他社には「あえて左ハンドルのまま」でヒット作も

 日本メーカーの純正モデルという扱いながら、あえて左ハンドル車として販売されたものにホンダ「アコード」や三菱「エクリプス」などがあります。

当初は左ハンドル!? ホンダ「アコードクーペ/ワゴン」

 アメリカ生産の日系ブランド車のなかで、数少ない商業的な成功例となったのがホンダ「アコード」シリーズです。主力の4ドアセダンは日本で生産されていたものの、1985年に登場した3代目以降について、派生モデルのクーペやステーションワゴンはオハイオ州のホンダ工場で生産されていました。

 アメリカ生産の「アコード」の元祖は3代目セダンをベースにした「アコードクーペ」で、左ハンドルのまま輸入されました。続く4代目では、1990年にクーペ、翌1991年にワゴンが販売され、このモデルから右ハンドル化されました。5代目は、国内生産のセダンから1年遅れとなる1994年にクーペとワゴンが登場。これが最後のアメリカ生産モデルとなります。当時の日本はステーションワゴンブームの真っ只中だったこともあり、ヒットにつながりました。

スタイリッシュだったが不発に… 三菱「エクリプス」

 1989年に三菱「スタリオン」の後継として、FF&4WDのスペシャリティクーペ「エクリプス」がアメリカで登場し、日本にはそのデビューから1年遅れで上陸しました。

 当時は今とは違って左ハンドル車がステータスシンボルと見なされていたため、左ハンドルでありながらも販売は好調でした。続く2代目は日本には1995年に上陸し、クーペのほかにオープンモデルの「スパイダー」も販売されました。3代目はアメリカデビューから5年遅れの2004年に登場したものの、輸入されたのは4速AT&左ハンドルの「エクリプス・スパイダー」のみ。販売期間はわずか1年6か月で、販売台数もごくわずかにとどまりました。

※ ※ ※

「日本ではアメ車は売れない」とよく耳にしますが、日本メーカーが企画開発に携わり、日本ブランドのバッジ(エンブレム)がついたアメ車でさえも日本市場での成功は難しいようです。その背景にはボディサイズや排気量、ハンドル位置の違い以上に、日米のクルマに求めるニーズの違いが影響しているのかもしれません。

externallink関連リンク

【写真】よく売ったな! わずか2年足らずで打ち切ったトヨタ車ですホンダ「ホライゾン」て何!? じつは傑作4WDの派生モデル 神奈川・藤沢が生んだ「百面相SUV」とは?バブル絶頂期に神奈川で量産されたドイツ車とは?「技術の日産」の礎か 日本人が驚愕したハナシまで
externallinkコメント一覧

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)