亡き級友と恩師への思い今も=学校への空爆で犠牲に―ベトナム終戦50年

 【ハノイ時事】ベトナム戦争中の1966年、北部タイビン省トゥイザン村の学校が米軍に爆撃され、生徒54人のうち30人と国語教師の女性が命を落とした。「とても悲しい」。終戦から30日で50年を迎えるが、生き残った生徒の一人、レ・バン・タンさん(74)は、級友や恩師を亡くした日のことを今も忘れられないと話す。
 ◇耳をつんざく音
 66年10月21日午前10時半ごろ、米軍機の襲来を知らせる警報が村中に鳴り響いた。国語の授業中だったタンさんら生徒は、いつものように教室から通路をつたって避難壕(ごう)へ入った。ブイ・ティ・タイン・スアン先生は、生徒たち全員が避難するのを見守ったという。
 爆撃された方角から煙が立ち上るのが見える。女子生徒たちは怖くて泣いていた。爆撃音が近づき、ついに学校が標的になった。耳をつんざく音。避難壕の中、互いの様子は分からなかった。
 タンさんは爆撃で土砂に埋まったが、続く爆撃でがれきが崩れ動けるように。手で顔に触れると血だらけだった。土砂を手で掘って抜け出し、必死の思いで数十メートル動いた所で記憶が途切れた。病院に搬送され、意識が戻ったのは翌日夜。同級生と先生が亡くなったと知らされた。先生は妊娠中だった。
 ◇「戦争なくして」
 村にはスアン先生と生徒たちの墓がある。まるで教室で先生を囲んで授業を受けているような配置。タンさんは毎年、命日に供え物と線香を用意して昔をしのぶ。
 物資が不足し貧しい中でも、級友たちは仲が良かった。スアン先生は生徒思いで、誰からも慕われていたという。「もしあの日、爆撃がなかったら、先生も級友たちも家族と平和に過ごしていただろうなと考える」。タンさんはそう静かに口にした。
 今も世界各地で戦争や武力衝突が起き、多くの子どもや女性が犠牲になっている。そうした現状に思いをはせ、あの日の自分と重ねるというタンさん。「世界から戦争がなくなってほしい。私と同じような悲しみを感じないようにしてほしい」と語った。
 統計によって差はあるが、ベトナム戦争による民間人の死者は約200万人とも言われる。 
〔写真説明〕墓に線香を手向けるレ・バン・タンさん=3月13日、ベトナム北部タイビン省トゥイザン村
〔写真説明〕米軍の爆撃で命を落とした教師と生徒らの墓=3月13日、ベトナム北部タイビン省トゥイザン村

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