
JR中央本線と身延線が乗り入れる山梨県の県庁所在地・甲府市では、63年前までは民間企業の電車が走っていました。新造車両を導入した利便性の高い鉄道だったものの、地元の利用者らが付けた愛称は「ヒドすぎる」ものでした。
甲府にも私鉄があった
JR甲府駅南口を出て左へ進むと、ビルの窓に「ここは旧山交電車甲府駅前駅跡」と記した張り紙があります。今は山梨県内の路線バスや、新宿(東京)―甲府間などの高速バスを運行している山梨交通が、この甲府駅前駅と甲斐青柳駅の間に狭軌(JR在来線サイズ)の鉄道路線を20km余り敷設し、計28ある駅・電停を片道56分で結んでいました。
1930年に開業し、多い時には30分おきに運行する利便性の高いダイヤでした。しかしながら自動車の急増に押されて62年に廃止され、約32年間の短命で終わりました。沿線地域の利根川公園(山梨県富士川町)に保存されている車両と再会すべく、筆者(大塚圭一郎・共同通信社経済部次長)は現地へ向かいました。
甲府駅前駅跡には山梨交通の路線バス、高速バスをそれぞれ装飾した2台の飲料自動販売機が並んでいます。ユニークなのは、飲み物に混じって売られている「鉄印」(400円)です。もっとも、廃止された路線なので「廃線印」とも言えます。
購入したところ、丸め込んだ鉄印を入れたガラス瓶が出てきました。自販機で冷やされた瓶を片手に握りしめ、山梨交通電車線の史跡を巡るために山梨交通の44系統鰍沢(かじかざわ)営業所行き路線バスに乗り込みました。
乗ったことあるぞ、この電車
このバスは電車線の跡をほぼなぞるように走っており、出発から46分で目的地の利根川公園に近い長沢新町バス停に着きました。付近は停留所以外でも乗り降りできる「自由乗降区間」のため、運転手さんにお願いすれば公園のより近くに止めてもらうことも可能です。
警察官の形をした「交通人形」が立っている先に、正面の3枚窓が特徴的な旧山梨交通電車線「モハ8」が鎮座していました。筆者が生まれた時には山梨交通電車線は既に廃止されていましたが、この車両に乗車してから約40年ぶりの再会です。乗ることができた理由は、正面と側面に残された「801」という車番が物語っています。
あの時は「チョコ電」だった
この車両は“再々就職先”となった神奈川県の江ノ島電鉄で「801」に改番され、晩年は外観をチョコレート色とクリーム色のツートンカラーに塗られて「チョコ電」と呼ばれていました。
当時は小学生だったため気になりませんでしたが、車外から観察すると全長13.8m、全幅2.3mの車体が小さく見えます。乗務員室の空間も狭く、「運転士は乗務時にかなり窮屈だったのではないだろうか」と想像しました。
そして面白いのは、3枚窓があるだけでのっぺりした後部の妻面です。すぐ後ろの側面にある細いドアが、この形状に変わる前の歴史を偲ばせます。
ヒドすぎる愛称…しかし「公認」!
山梨交通電車線は第二次世界大戦末期の1945年7月の甲府空襲で被爆しても、59年の2度の台風で施設が大打撃を受けても、そのたびに立ち直り、廃線になるまで甲府都市圏の足として大車輪の活躍を見せました。
にもかかわらず、利用者らが授けた“称号”はヒドいものでした。何と「ボロ電」の愛称で呼ばれていたのです。
一見すると“黒歴史”のようですが、山梨交通はこの愛称を「公認」して歴史の一コマとして喧伝しています。開業から90年を迎えた2020年に甲府市・貢川(くがわ)地区の廃線跡に建てた記念碑にも「『ボロ電』と呼ばれ親しまれた」と明記しています。
山梨交通は、「ボロ電」と呼ばれた理由として「鋼板車体の新車を導入したにもかかわらず、駅舎が古かった」ことや、「多くの駅が無人駅で簡素な施設だった」ことなどを挙げています。
「鉄印」を瓶から取り出すと、こちらにも「『ボロ電』と親しまれた旧山梨交通電車線 甲府駅前駅」と毛筆体で綴られていました。廃止から今年で63年になりますが、「ボロ電」という耳目を引く愛称をあえて語り継ぐことで人々の記憶に残り、顕彰されれば「御の字」なのかもしれません。