
この30年で国際物流は急激に伸長した一方で、日本国内の物流は人手不足が深刻、でも貨物量は微減、JR貨物の輸送量は半減と、海外にかなりの差を付けられてしまいました。一体なぜでしょうか。3回の連載から紐解きます。
国際物流で「ポツンと取り残された日本」
バブル崩壊後の日本経済をして「失われた30年」とよく言われます。この間、国際物流が急激に伸びているのに対し、日本国内の物流は人手不足が深刻なうえに貨物量は微減、JR貨物の輸送量は半減と、海外にかなりの差を付けられてしまいました。この差は一体なぜ起きたのでしょうか。この原因は2つあると筆者らは捉えています。
失われた30年の原因の一つと考えられるのは「コンテナ革命」です。
従来の海運は、港湾倉庫に貨物を貯め、船が入港すると多数の港湾労働者が手担ぎで迷路のような船倉に貨物を積み込んでいました。そのため時間もかかり、貨物の破損や盗難も多く発生し、コストも高くなっていました。
寸法が国際的に規格化された「箱」海上コンテナは、1956年に米国でトラック会社を経営していたマルコム・マクレーンが発明しました。その動機は、船でまとめて運んだ方が安くつくが、港湾労働者の手担ぎ荷役に任せると時間とお金がかかるので、トラックごと船に載せたい、船に乗せるならタイヤなどは不要で荷台部分だけの方が積み重ねられて無駄が無い――といった思考だったようです。
ところが、このコンテナは思いも付かないほどの発展を遂げます。
コンテナにはいくつも優れた点がありました。積替えが無いので盗難・破損の心配が少なく、地上に置けば保管できるので港湾倉庫が不要になります。さらに何を運ぶにも同じサイズの箱になるので規格化ができ、船・鉄道・トレーラーなど各種の乗りもので運べ、クレーンなど荷役機器も共通化でき、コンテナに振った番号で情報が紐づけられるので大量多様な貨物の流動も管理できるのです。
このコンテナという「箱」の持つ素晴らしい特性により、海運コストが劇的に下がり、かつては「舶来品」と珍重されていたほど高価な輸入品が国内生産よりも安くなり、貿易量が爆発的に増えていきました。そのため、港の形も変わり、各地の生産拠点も再編が進み、コンテナは物流コストを引き下げ港も製造プロセスも世界すらも変えてしまったのでした。
「まとめて運べば安くなる」を追求した結果 物流は「装置産業」へ
コンテナ化の流れはいち早く日本も取り入れました。発明から数年と置かず、当時の国鉄も独自規格ながら鉄道コンテナを開発し1959年に使い始めました。そして日本初のコンテナ船「箱根丸」は1968年に就航しています。
いち早く日本はコンテナ化に対応したのに、なぜ“コンテナ革命”が失われた30年を招いたのでしょうか。実はその後があります。
コンテナ輸送は“規模の経済”が効きます。大きな港に貨物をまとめ、取扱量が増えるほどコンテナ1個あたりのコストは下がるのです。また、コンテナ船の大型化も進みました。現在、世界最大のコンテナ船は“2万4000TEU”クラス、すなわち20フィートコンテナを約2万4000個積むことができ、これが世界を毎日行き交っています。
そのため、世界では港湾の集約化が進み、基幹航路は貨物量が多い国際ハブ港だけに立ち寄り、他の港は支線(フィーダー航路)で結ぶ「ハブ&スポーク化」が1990年代に進みました。さらに製造業は、この物の流れを前提に工場の場所を選ぶようになりました。
また、このハブ港に国内各地から効率的に貨物を集めるためにインターモーダル(複数の輸送手段による積み替えなしのドアツードア輸送)化が進み、港と鉄道や艀(はしけ)による内陸水運が結ばれました。「まとめて運べば安くなる」はここにも効きました。
これを実現するには港を大きくして、鉄道への積み込み施設(オンドックレール)を作り、貨物ターミナル駅も整備し――と多額の投資が必要です。コンテナ革命とともに陸の物流も装置産業となっていきました。
トレーラーで運ばれたコンテナは、倉庫のドックに接続されると運転手の仕事はそこまで。トレーラヘッドを外す“台切り”をして次にいきます。あとは着荷主が荷役するのです。しかし、日本はこうなりませんでした。
「大きな港」を作らなかった日本 その結果…!
この頃(1990年代)から日本は不思議な動きを取ります。地方分権が謳われ、各地に小さなコンテナ港を分散して建設しだします。
当然、1港あたりの取扱量は小さくなります。世界物流の規模が拡大するなか、貨物が少ない港には幹線航路が立ち寄らなくなりつつあります。日本向けは釜山(韓国)や上海(中国)でコンテナをフィーダー航路に積み替えるので、その分リードタイムも伸びました。
そして、日本では海上コンテナを最終目的地へ運ぶドレージ輸送や、倉庫でコンテナから貨物を卸してトラックで運ぶ輸送網が出来上がりました。ただ、この過程でほぼ連携がなされていないのが“鉄道”です。
港と鉄道を結ぶオンドックレールは、欧米やアジア・ロシア・中国など世界各地にあるのですが、日本だけは皆無という異様な状況になっています。コンテナ革命が港で止まってしまい、日本の陸運は労働集約産業のままに留まっているのです。
鉄道や内陸水運に比べれば、トラックは労働者1人あたりの輸送量が少なく労働生産性は低くなります。さらに、国内のトラック輸送では運転手による手荷役が業界慣習として残っていますので、その間、トラックも運転手も次に行けず回転率は低いままです。
以上が欧米と日本の仕組みの違いです。海外の物流コストが下がり貨物量は激増する中、国内陸運は微減で推移し、労働者も不足して「2024年問題」となりました。このままでよいのでしょうか。
次回は、「失われた30年」の原因その2、“海外では設備投資が行われ、日本では進まなかった原因と考えられる理論と政策”について紹介します。
※この記事は2024度「第24回 貨物鉄道論文」最優秀賞「陸海一貫インターモーダル輸送の可能性と社会効果」(金沢大学 伊東尋志〔経済学博士課程 元えちぜん鉄道専務〕/合同会社日本鉄道マーケティング 山田和昭共著)の内容と、伊東氏とのディスカッションを元に構成したものです。