
豪雨で被災したJR肥薩線の八代~人吉間を鉄道で復旧させることでJR九州が2025年4月1日、熊本県と最終合意書を取り交わしました。しかし、残る被災区間、人吉~吉松間の「山線」については、復旧に慎重な姿勢を崩していません。
「肥薩線は本当にいい景色」と社長
2020年7月の豪雨で大きな被害を受けたJR肥薩線の八代~人吉間(51.8km)の通称「川線」を鉄路で復旧させることで、JR九州の古宮洋二社長と熊本県の木村敬知事が25年4月1日、最終合意書を取り交わしました。一方、残る不通区間の人吉~吉松間(35km)の通称「山線」は被害が軽微だったものの、JR九州は復旧に慎重な姿勢を崩しません。なぜ明暗が分かれたのでしょうか。
川線は2033年度ごろの運行再開を目指しており、15駅のうち1日の平均利用者数が1人以下だった瀬戸石、海路、那良口の3駅は廃止されます。
JR九州の負担を軽くするため、見込まれる川線の復旧費約229億円のうち約9割を国と熊本県が負担します。また、運休前の2019年度の営業損益が6億2100万円の赤字だったことを踏まえ、運行再開後は地元自治体が駅や線路などの鉄道施設を保有・管理し、JR九州は列車の運行に専念する「上下分離方式」を採用します。
古宮氏は「肥薩線は本当にいい景色のところです」と強調。「持続可能な肥薩線にするように今後とも地元の方々と尽力していきたい」と意気込みました。
山線は「絶対に訪れるべき鉄道路線」
鉄道旅行の賞「鉄旅オブザイヤー」の審査員を務めている筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は、全47都道府県および海外で乗り鉄を楽しんできました。被災前に乗った肥薩線は「絶対に訪れるべき鉄道路線だった」と断言できます。なかでも鉄道遺産が豊富で日本屈指の美しい車窓を堪能できたのが「山線」です。
筆者は2019年、国鉄時代に製造されたディーゼル車両キハ47と、キハ140を改造した特急「いさぶろう・しんぺい」で熊本から吉松(鹿児島県)へ向かいました。「いさぶろう・しんぺい」は明治時代に肥薩線の人吉~吉松間が建設された時期の逓信大臣だった山縣伊三郎と、その難工事が完成した時期の鉄道院総裁だった後藤新平の名前を取りました。
旧型客車のような雰囲気の車内でくつろぎ、「日本三大車窓」の一つとされた山線の矢岳(熊本県)~真幸(まさき、宮崎県)間の通称「矢岳越え」で霧島連山を見渡したのは忘れられない思い出です。
ホントに出世する!?「出世駅」も
山線には、ループ線とスイッチバックを併せ持つ日本唯一の駅の大畑(おこば、熊本県)があります。木造駅舎の壁一面を覆っていたのは大量の名刺で、この駅に自分の名刺を貼ると出世すると言われています。
筆者は手元に名刺があったものの、見られるのが恥ずかしいので他人の名刺の裏に貼らせてもらいました。他の人に追い越されて出世コースから外れたのはそのせいでしょうか(笑)。
肥薩線の駅で最も高い標高536.9mの矢岳駅前には「人吉市SL展示館」があり、蒸気機関車(SL)「D51」が保存されています。このSLも、かつて矢岳~真幸間の「矢岳越え」に挑みました。同区間の1908年に貫通した肥薩線最長のトンネル「矢岳第一トンネル」は、全長が2096.17m、最大勾配が25パーミル(列車が1000m進んだ時の高低差が25m)もある難所です。
真幸駅は1911年に開業した宮崎県で最初の駅で、風情のある木造駅舎は開業当初から1世紀余り姿を変えていません。
「いさぶろう・しんぺい」が吉松に到着後、筆者は肥薩線・日豊本線を通って鹿児島中央へ向かう特急「はやとの風」に乗り換えましたが、被災後は残念ながらどちらも廃止されてしまいました。
被災も少なく、赤字額も少ないはずの山線
JR九州によると、豪雨による肥薩線の被害件数448件のうち山線は29件だけで、復旧費も約6億円にとどまると試算されています。
それでもJR九州首脳は筆者に「山線は沿線に住んでいる人がほとんどおらず、日常利用がないので厳しい。観光列車の運行だけではどうしようもない」と語り、復旧に及び腰の姿勢を示しました。
山線は被災前、2019年度の1日1km当たり平均通過人員(輸送密度)が106人と、川線の414人と比べ約4分の1にとどまりました。当時の山線は1日3往復だけだったので無理もありません。一方、19年度の営業損益は2億7000万円の赤字で、赤字額は川線の半分未満でした。
山線復旧には何が必要か
筆者は2025年3月、南日本新聞の南日本政経懇話会で鹿児島県の公共交通について講演した際、JR九州と熊本、宮崎、鹿児島の3県による山線の復旧協議がまとまるには、川線と同じ条件を適用する「イコールフッティングが必要だ」と申し上げました。すなわち川線と同じようなJR九州の負担軽減策が求められ、復旧費の約9割を国と3県が負担し、運行再開後は上下分離方式を採用することが前提になるだろうとお話ししました。
その上で、肥薩線はその名の通り熊本県と鹿児島県をつなぐために敷設された路線で、全線を復旧させてこそ「南九州を周遊する観光客の動脈の役割を果たす」との持論をお伝えしました。車窓から絶景を楽しめるため、2024年に約3687万人と過去最高を更新した外国人旅行者の利用も大いに期待できます。
このたび吉松を6年ぶりに再訪すると、無人化された駅は賑わいを欠いており、窓には「肥薩線(山線)早期着工復旧は私達の切なる願い」と貼り出されていました。その言葉通りになり、山線を通って吉松に到着した列車から利用者が次々と降りる光景が再び見られることを強く願っています。