よくぞ残った「戦車改造ブルドーザー」お披露目! 80年前の戦車、改造を重ねた数奇な歴史

静岡県御殿場市のNPO法人が80年前の旧軍戦車を改造したブルドーザーを入手しました。一見すると建機ですが、足回りや変速機はオリジナルのまま。かなり貴重な車両を今後どうするのか、NPO代表に話を聞きました。

80年現存の旧軍戦車 ブルドーザーの姿で御殿場へ

 2023年9月初旬、静岡県御殿場市にあるNPO法人「防衛技術博物館を創る会」は、旧日本陸軍の九五式軽戦車をベースにした改造ブルドーザーを入手したと発表。その車両を自分たちの保管施設に搬入しました。 このブルドーザーは、1945年8月の太平洋戦争終結に伴い必要なくなった九五式軽戦車を、戦後の土木工事などで使うためにブルドーザーに改造したシロモノです。 戦車の顔とも言える砲塔部分は完全に撤去し、その部分には窓付きの運転席を設置。これにより、内部には乗用車のような横並びの座席を設けて2人乗れるようにしています。車体前方にはブルドーザーの必須装備といえる排土板が取り付けられていることから、全体的なフォルムはブルドーザーそのものといった感じですが、よく見ると足周りの履帯(いわゆるキャタピラ)とそれを回す転輪部分は九五式軽戦車のままで、戦車時代の面影も見ることができます。

 今から約80年前、太平洋戦争が終わった直後の日本では、戦後復興に役立てるために多くの戦車や装甲車がブルドーザーに改造されました。これらは「更生戦車」や「更生ブルドーザー」と呼ばれましたが、戦争のために造られた兵器が民間転用されることを「更生」と呼んだあたりに、戦後直後の世相を感じ取ることができるでしょう。 これら「更生戦車」は、一説によると通常のブルドーザーの3分の1程度の低価格で民間市場に放出され、資源・資金不足だった戦後日本では格安の建設機械として重宝されたとか。戦車・装甲車合わせて数百台が改造され、全国各地で土木工事や田畑の開墾などに使われたといいます。 しかし、即席的な改造だったためか、ブルドーザーとしての使い勝手はイマイチだったらしく、終戦から10年ほどが経過した1955年頃には、専用に設計・製造されたブルドーザーが、国産の新車、アメリカ製の中古問わず数多く市場に出回るようになり、それらに更新されて多くがスクラップとして処分されてしまったとのこと。 今回、NPO法人が入手したブルドーザーもそんな戦後復興の礎として生き延びた車両でしたが、じつはこの車両に関しては通常の「更生戦車」とは異なる数奇な歴史を経ているとのハナシでした。

用途に合わせて何度も改造 でも車体はオリジナルのまま

 この改造ブルドーザーを入手したNPO法人「防衛技術博物館を創る会」の小林雅彦代表理事によると、この車両は最近まで北海道で使われていたものだといいます。もともとは更生戦車として民間に払い下げられましたが、その後はオーナーと用途に合わせて改造が3回も行われているそうです。つまり、現在の形は某アニメ風にいえば「第3形態」というべき状態なのです。 改めてこの車両の足跡を振り返ると、最初の「民生機第1形態」と呼べるのが、戦後にGHQの監督下で「更生戦車」としてブルドーザーに改造された状態になります。

 その後、1955年頃にブルドーザーの役割を終え、代わりに製材所で材木などの重量物を引っ張る牽引車として使われることになります。この間の1965年頃にオリジナルの九五式軽戦車の空冷ディーゼルエンジンを、バスなどに使われているいすゞ製のDA120水冷ディーゼルエンジンに載せ替えています。 また、エンジンから履帯に動力を伝えるトランスミッション(変速機)も、もともと搭載していた九五式軽戦車のモノをそのまま残し、新たにDA120についたトランスミッションを増設。これにより、変速機が2つあるダブル仕様へと姿を変えています。 小林代表理事によると「1速と1速のダブルミッションにした場合、最高速度は時速1キロ程度になりますが、代わりにトルクが非常に強くなり、材木などを引っ張るには便利だったと思います」とのことでした。 更生戦車の顔とも言えるブルドーザーとしての排土板と、その取り付け機構がすべて外され、牽引車になった状態が「民生機第2形態」になります。

戦後史の貴重な生き証人 戦車には戻さず整備へ

 そして、御殿場市に運ばれてきた今の改造ブルドーザー状態が、「民生機第3形態」と言えるものです。 牽引車として使われなくなった「第2形態」の車両を、1975年頃に前のオーナーが入手し、それにコマツの民生ブルドーザーの部品を組み込んで作り上げたことで、今の状態になったのだそう。

 ブルドーザーから移植された排土板を車体前面に装備していますが、それを動かすアームと油圧動作機構は車体内部に設置できないため、油圧ラインは車体外部の周囲に巻き付くように設置されています。アームは車体正面中央、作動油のタンクは左後部、循環させるポンプは車体後部のクランクシャフトの末端に設置されており、それを繋ぐ形で作動油のホースが走っています。ものすごくDIY感を感じる造りですが、ブルドーザーとしてはしっかり機能します。 最初の「更生戦車」でのブルドーザー化、すなわち「民生機第1形態」では、排土板の操作は機構がシンプルなワイヤー式であり、それが使い勝手の悪さの要因にもつながってしまったようです。しかし、「第3形態」のブルドーザーは使いやすく、だからこそこの車両もつい最近まで前オーナーの元で除雪や整地作業で使われ続けたのでしょう。 現在取り付けられている運転席も、もともとは車体上部が取り払われオープントップ仕様になったのを、前オーナーが雪国でも快適に使えるようにと増設したもので、そこにはワイパーと曇止めのデフロスターも設置されていました(現在は落下防止の為に前部窓ガラスは外してある状態)。

ひと足先に手に入れた九五式軽戦車と並べられれば…

 この「戦車改造ブルドーザー」は、近い将来、NPO法人が御殿場市内で建設を計画している「防衛技術博物館(仮称)」において展示される予定ですが、その前に車両自体の修復作業も行うそうです。 それについて小林代表理事は「この車両は民生利用された戦車からさらに手が加えられており、あえて呼ぶなら『更生戦車改造ブルドーザー』といった感じでしょうか。一般的に知られている『更生戦車』とは違いますが、ここまでに至る歴史と現在の状態にも非常に重要な価値があると考えています。ですから、修復するにあたっては今の昭和50年代ブルドーザーとして改造された状態を目標とし、塗装や整備などを進めたいと思っています」と語っていました。

 小林代表理事によれば、「更生戦車」となって今も現存する車両は恐らくこの1台のみとのこと。同NPO法人では昨年(2022年)末に稼働する九五式軽戦車をイギリスから里帰りさせましたが、この九五式軽戦車ベースの改造ブルドーザーも大切に扱い、最終的には同じ建物内で展示できるようにする模様です。 戦後の日本の産業史を知る上で重要な車両である「更生戦車」の生き残り、末永く大事にされることを期待しましょう。

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