
ロシアのウクライナ侵攻が始まってから2023年2月24日で1年を迎えました。泥沼の様相を呈し、いまだ終わりの見えないウクライナ紛争、戦火が止むことはあるのでしょうか。新進気鋭のロシア専門家が情勢をひも解きます。
ウクライナ侵略におよんだロシアの思惑
ロシア軍がウクライナへの全面侵攻を開始してからついに1年が経過しました。ウクライナは1年にわたってロシアの侵略に抵抗し続けているとも言い換えることができますが、これ自体が、ロシアにとっては大きな誤算であったと考えられます。
昨年(2022年)2月の開戦当初、ロシア軍は、主攻方向を東部のドンバス地方と見せかける陽動作戦を展開してウクライナ軍主力を誘引し、手薄になった首都キーウを空挺部隊のヘリボーン作戦で急襲するという戦略を取りました。これと合わせてロシアの諜報機関は、ウクライナ全土の保安機関や地方自治体の長に対する買収工作を行っており、ロシア軍が侵攻してきた場合には抵抗しないよう言い含めてあったと見られます。 奇計を用いることにより、ごく短期間で、そう大きな犠牲を出すことなく勝てる、と踏んでいたのがロシア側の思惑であったのでしょう。 ところが、キーウを守るウクライナ軍が予想外の抵抗を示したことで、首都を電撃的に陥落させるというロシア軍の戦略は破綻しました。そもそもウクライナ軍の兵力は平時でも19万6000人。これは旧ソ連邦の構成国内でロシアに次ぐ第2位の軍事力である上、2014年にロシアから最初の侵略を受けて以来、軍の改革にもかなり真剣に取り組んできました。ロシア側の作戦は、巧妙なようでありながら、ウクライナ軍の実力をみくびっていた部分があることは否めません。 また、ゼレンスキー大統領が首都キーウに踏みとどまり、国民に徹底抗戦を呼びかけたことも大きかったのではないでしょうか。開戦直後、アメリカはポーランドへの脱出をゼレンスキーに勧めたと伝えられていますが、仮にそうなっていたらウクライナ国民の士気は今のように旺盛なままではなかったでしょう。逆に言えば、その点を見越して脱出を拒んだゼレンスキーの読みには戦略的に大きな意義があったと思います。
ウクライナ首都防衛に成功、焦点は東部での激戦へ
いずれにしても、ロシア側が描いていた「ごく短期間で、そう大きな犠牲を出すことなく勝てる」戦争というビジョンは、開戦から数日後には破綻が明らかになりました。この結果、ロシア軍は開戦から1か月でキーウ攻略を諦めざるを得なくなり、戦闘の焦点はウクライナ東部へと移っていったのです。ロシア本土に近い東部ならば兵站が比較的容易であり、ロシア軍が伝統的に得意とする火力戦で優位に立てるという思惑もあったと考えます。
しかし、ウクライナが簡単に敗北しないことを見てとった西側諸国が本格的な軍事援助を開始したこともあって、ウクライナ軍は東部においてもロシアの攻勢によく耐え、開戦から半年以上経った2022年9月にはハルキウ方面で大規模な反攻にさえ転じています。11月には、南部のヘルソン方面でも州都ヘルソン市を含む一帯がウクライナ軍によって奪還されました。 これに対してロシア側は、第2次世界大戦後初めての部分動員で32万人弱の予備役を招集し、極東の予備装備保管基地からも旧式装備を大量に現役復帰させるなどして、軍事力の再建を図ります。また、ウクライナ戦線で戦う4つの軍管区(西部、南部、中央、東部)の司令官たちの上位に統括司令官職を新設し、年明け以降はこのポジションをゲラシモフ参謀総長本人が担うなど、指揮統制系統にも大幅な手直しを加えています。 これ以降、ロシア軍が東部戦線でいくつかの都市を奪取し、ウクライナ側に奪われかけていた主導権を取り戻したのは、こうした大規模なテコ入れの結果と言えるでしょう。
開戦から1年 予想される今後の展開は?
今後について言えば、ロシアは、東部における戦果の拡張を図るはずです。ロシアは部分動員で招集した予備役の全力をまだ東部戦線に投入していないと見られるため、ウクライナ軍の防衛線に大きな穴が空いたら、控え置いていた予備戦力をただちに送り込んで決定的な打撃を与えようとするでしょう。 他方、ウクライナ側にしてみれば、当面は東部戦線で持ちこたえつつ、ロシアの攻勢が弱まったところで反撃に転じようと企図している可能性が高いと思われます。したがって、今後しばらくの間は、「1:ロシア軍の攻勢が成功するのか」「2:仮にウクライナがそれに耐え切れた場合、反撃に出るだけの戦力の余裕が残されているのか」「3:ロシアやウクライナそれぞれの攻勢がどの程度の成果を挙げるのか」、この3点が焦点になるでしょう。
このうちの「2」に関しては、年明け以降に取り沙汰されてきた西側からの軍事援助の拡充も大きな影響を及ぼすと捉えています。 西側諸国はすでに多数の榴弾砲や旧ソ連製装甲戦闘車両(戦車を含む)、短射程の精密攻撃ミサイル、対レーダーミサイルなどをウクライナへ供与していますが、今年(2023年)1月には西側製の第3世代戦車や歩兵戦闘車、そして射程150kmを誇るGLSDB(地上発射型小口径爆弾)の引き渡しまで決まっています。 ただ、西側諸国はこれまで、第3世代戦車の供与がロシアの過剰反応を招く「レッドライン」なのではないかという恐れを強く抱いてきたことなどから、実際、供与が決まってからも各国の動きは極めて鈍い模様です。ウクライナが強く求めてきた戦闘機やATACMSミサイルについては、まだ供与の決定さえなされておらず、仮に今すぐ決まっても戦力化には時間がかかるでしょう。 最後の「3」については、ロシアもウクライナも互いの戦争継続能力を完全に破壊しえないだろうという見方が有力です。ウクライナがロシアの国家体制を軍事的に打倒できないのは自明であり、厳しい制裁もロシアの財政や軍需生産能力を麻痺させるには至っていません。 一方、そのロシアも現状では東部のバフムト市ひとつを陥落させるのにも苦労している状況であることから、ロシアにとって圧倒的に有利な条件での停戦(たとえばプーチン大統領が開戦時に掲げた、ゼレンスキー政権の退陣と非武装中立化など)を強要できるほどの決定的成果を挙げるのは難しいのではないでしょうか。 他方で西側の軍事・経済援助も、たびたび「息切れ論」が唱えられつつも、継続・拡大し続けています。
停戦/終戦に至る落としどころは?
そうなると、この戦争の「落としどころ」なるものは、なかなか見出しにくいように思われます。少なくとも、短期的にどちらかが圧倒的な優勢を獲得して自らの意志を強要できるような状態はなかなか望み難いでしょう。また、双方の継戦能力が簡単に尽きないことも前述のとおりであり、こうなると戦争はかなり長期化する可能性が高いと言わざるを得ません。
もちろん、ここまで述べてきたことは純粋に軍事的な観点からのハナシであるため、どこかの時点で政治首脳同士の妥協が成立する可能性は排除できません。また、どんな戦争も永遠に続くということはないので、いずれは軍事の領域から政治の領域へと軸足が移ってくることは間違いないでしょう。 このようなフェーズにおいて、ウクライナ側が考えている「落としどころ」はおおむね判明しています。昨年3月にトルコのイスタンブールで行われた停戦交渉の内容や、同年9月にフォグ・ラスムセン前NATO(北大西洋条約機構)事務総長との連名で発表された「キーウ安全保障盟約」案などを見ると、「1:政権の進退・国家体制のあり方には一切言及しない(ロシアの内政への介入を認めない)」「2:NATOには加盟しない(中立化を受け入れる)」「3:ただし独自の重武装を保有し、平時から西側諸国との密接な安全保障協力を行う」、といったあたりが、ウクライナの描く構想のようです。 ただ、これはあくまでもウクライナにとっての「落としどころ」であって、ロシアが受け入れるかどうかは全く別問題です。そもそも今回の戦争に関してプーチン大統領が主張した「ゼレンスキー政権はネオナチでありロシア系住民を迫害・虐殺している」「密かに核兵器を開発している」「このまま放置すればウクライナにアメリカのミサイルが配備されてロシアの安全が脅かされる」といった話にはいずれも根拠が乏しく、実際に何を考えて侵略に及んだのかがどうにも判然としません。 よって、この戦争の見通しに関する最大の不確定要素は、それを始めたロシア自身にあるように筆者(小泉 悠:東京大学先端科学技術研究センター講師)は考えます。