
ロシアによる侵攻に抵抗するウクライナで大いに活用されている兵器のひとつが、陸上自衛隊にも配備されているのですが、これがすでに退役の予定にあるといいます。なぜ不要と判断されたのか、その背景などを解説します。
ウクライナで戦果を挙げる多連装ロケット砲
ロシアによるウクライナ侵攻が開始されてから、間もなく1年が経過しようとしています。ウクライナ軍の懸命な抵抗により、ロシア軍の進撃は停滞を余儀なくされていますが、そのウクライナ軍にとって今や欠かすことのできない兵器となっているのが、アメリカやイギリスが供与している多連装ロケット砲です。
アメリカからはM142「高機動ロケット砲システム(HIMARS)」、そしてイギリスからはM270「多連装ロケットシステム(MLRS)」がそれぞれ供与されています。このふたつの兵器には、M142が装輪式(タイヤ)、M270が装軌式(履帯、いわゆるキャタピラ)という違いがありますが、基本的に発射する弾は共通のGPS誘導ロケット弾(M30/31)です。ただし、M142ではこれを6発しか装填できないのに対して、M270では12発を装填可能です。 射程70km以上を誇るこのロケット弾は、ピンポイントで敵の司令部や弾薬庫などを攻撃することが可能で、ウクライナ軍の反撃を支える重要な存在となっています。 実は、このうちのM270に関しては、日本の陸上自衛隊でも運用されています。ウクライナでの戦果などを踏まえると、これからも長らく運用されることになるのかと思いきや、実際にはすでに退役が決定されています。
戦果重ねるM270 なぜ日本では退役?
2022年12月16日に公表された「防衛力整備計画」(今後おおむね5年間の自衛隊による装備調達などについて定める文書)の概要を記した「防衛力整備計画の概要」(2023年1月5日公表)によると、陸上自衛隊のM270(装備名称「多連装ロケットシステム 自走発射機M270」)は2029年度までに用途廃止、つまり退役させる方針が明記されています。 その理由については、シンプルに「陳腐化」とだけ記されていますが、一体どのような背景から陳腐化したと判断されたのでしょうか。
考えられる最も大きな理由は、M270が装備するロケット弾の射程の短さです。陸上自衛隊では、運用するM270用のロケット弾として、前述のウクライナ軍で運用されているものと同じく射程70km以上を誇るM31を装備しています。 70kmというと、東京都の中心である千代田区丸の内から円を描いた場合、西は神奈川県小田原市、南は千葉県の房総半島全体がほぼすっぽり収まるほどの広さです。こう書くと、70kmという距離は非常に長大に見えます。しかし現在、防衛の必要性が高まっている南西諸島での運用を想定した場合、事情は大きく変わってきます。 九州の南方から台湾北東にかけて、約1200kmにわたり広がる島々から構成される南西諸島は、その西端に尖閣諸島を含み、さらに台湾との距離も近い与那国島や宮古島を抱えるなど、近年、安全保障上の観点から注目が高まってきています。 その南西諸島を自衛隊が防衛するとなった場合、問題となるのは島と島とのあいだの距離です。沖縄本島と各島々との距離をみてみると、たとえば宮古島とは約300km、尖閣諸島や石垣島とは約400km、さらに日本最西端の与那国島とは約500kmも離れているのです。 そうなると、射程70kmのロケット弾では、もしも南西諸島に中国軍が攻撃を仕掛けてきた場合、有効に対処することができないわけです。
変化する陸上自衛隊と「スタンド・オフ防衛能力」
M270は、さらに射程の長い短距離弾道ミサイルの「ATACMS」(射程約300km)を装備することが可能で、加えてアメリカ軍では2025年より射程約500kmの「精密打撃ミサイル(PrSM)」の運用も開始される予定です。それを踏まえれば、陸上自衛隊のM270の退役は時期尚早に見えるかもしれません。
ところが、中国が保有する各種巡航ミサイルや弾道ミサイルの射程を踏まえると、そもそも沖縄本島自体も安全とはいえません。よって、さらに離れた場所から攻撃可能な、より射程の長い装備が必要となるわけです。 そこで、将来的に自衛隊が保有を目指しているのが、敵の射程圏外から安全に攻撃を実施できる「スタンド・オフ防衛能力」です。たとえば、九州や本州、さらに北海道から尖閣諸島を射程に収めるミサイルを装備することができれば、敵から攻撃を受けるおそれがない状態で安全に攻撃を実施することができます。 先述した「防衛力整備計画」によると、このスタンド・オフ防衛能力を担う装備として、今後「12式地対艦誘導弾能力向上型」「島嶼防衛用高速滑空弾(早期装備型・能力向上型)」「極超音速誘導弾」を陸上自衛隊に配備し、そのための部隊も新編することとなっています。これらはいずれも約1000kmを超える射程を持つと目されており、今後の開発次第では3000kmを超える射程を有するものまで登場することも想定されます。 冷戦時代のように、広大な土地が広がる北海道にロシア軍が上陸してくることを想定するとなれば、M270の意義は決して小さなものではなかったでしょう。ところが、今後想定される状況は、海に隔てられた島をいかに防衛するかというものであり、そこではM270は能力不足と考えられます。「陳腐化」という表現は、主にそうした背景によるものだと筆者(稲葉義泰:軍事ライター)は考えます。そこで、今後はこうした装備を退役させ、これまでそうした装備の運用に充てられていた人員を別の部隊に回すことで、より効率的な体制の構築を図っていくというわけです。 ウクライナと日本とでは直面している状況や環境が異なる以上、ある兵器がウクライナで活用されているからといって、単純にそれを日本に当てはめることはできないのです。