日本でも活躍した“ピンク・パンサー” ママになった今も最前線で戦う理由とは?

ピンクのリボンとウェアを身に付け、“ピンク・パンサー”の愛称で親しまれるポーラ・クリーマー。38歳となった今も彼女は最前線で戦っている。
2004年、18歳になるとすぐさまプロ転向し、12月の米国女子ツアー最終予選会で2位に5打差をつけてトップ合格。ルーキーイヤーの05年5月に、当時の最年少記録となる18歳9か月で初優勝を果たしたポーラ・クリーマー(米国)も38歳になった。

初優勝の2か月後には米国女子ツアー2勝目。8月に来日すると『NEC軽井沢72ゴルフトーナメント』で日本ツアー初優勝。10月には『マスターズGCレディース』で2勝目を挙げた。これを機にクリーマーは、日本ツアーにも毎年のように参戦。同週に米ツアーの大会があって“罰金”を支払ったこともあったが、それでも訪日を続けるほど、日本が大好きな場所となっていた。

ちなみに、宮里藍と親友になったのも日本参戦がきっかけ。05年に宮里が米国女子ツアーの予選会に出場する際には「ただ合格するだけじゃダメよ。トップに立たなければ」とエールを送り、宮里はその期待に応え、最終予選会で2位に12打差をつけての圧勝。その後2人は米国女子ツアーでともに戦い、宮里の引退試合では同組に指名されるほど、親交を深めていた。

ピンクのリボン、ピンクのウェアに身を包み“ピンク・パンサー”の愛称で親しまれ、女の子のファンを多く獲得。ファッションリーダーとして女子ゴルフ界を引っ張った。06年に女子ゴルフに世界ランキングが導入されると、堂々の2位に入り、人気と実力を兼ね備えるスター選手に。10年3月には、左手親指の手術を受けたが、6月の『全米女子オープン』で優勝という、驚愕のエピソードもある。

一度離婚を経験し、21年に元野球選手と結婚。22年1月に第一子となる女の子、ヒルトンちゃんが誕生した。「ママになっても必ず復帰したい」の言葉通り、同年秋にはツアー復帰。昨季は「生涯獲得賞金トップ20」の資格で8試合に出場するも予選通過は一度も果たせなかった。

それでも戦い続ける理由は「ゴルフが好きで、戦うことが大好きだから。娘のためにプレーがしたい。誰かのためにプレーすることは大きな力となる」と語る。盟友の宮里藍は引退の道を選択したが、クリーマーは「もう少し、私を応援してくれた女の子たちにゴルフの楽しみを伝えたい」と戦い続けている。(文・武川玲子=米国在住)
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