米11年目は日本人選手「最長寿」 “初”や“新”を追いかける、松山英樹のすごさ【舩越園子コラム】

PGAツアーはプレーオフシリーズが終わり、先週は試合開催がないオフウィークだった。最後の最後まで日本のゴルフファンを湧かせた松山英樹も、ようやく日本へ戻り、束の間の休息を楽しんでいる様子である。
振り返れば、2024年の松山は大健闘だった。2月にシグネチャーイベントの「ジェネシス招待」を制し、8月には「パリ五輪」で銅メダルを獲得。パリから米国へ戻る途上、ロンドンで盗難被害に遭うという予想外の出来事に襲われたものの、臨時キャディとともにプレーオフ第1戦「フェデックスカップ・セントジュード選手権」を見事に制覇。苦境をモチベーションに変え、通算10勝目を挙げた松山には、これまで以上の「すごさ」が感じられた。

32歳。PGAツアーで本格参戦を開始した13-14年シーズンを「1年目」と数えると、今季は11年目となる。

21年「マスターズ」を制し、メジャー優勝を達成した松山が、その後も「プレーオフで勝つことを、ずっと目指していた」という具合に、依然として新たな目標を持ち続け、実際、プレーオフ第1戦を制してプレーオフ初優勝を挙げた。そうやって新たな目標を設定してはクリアしているところ、いまだに「初」や「新」を見据えては達成しているところに、彼のサステイナブルな強さとすごさが見て取れる。

プレーオフ最終戦「ツアー選手権」をフェデックスカップ・ランキング3位の好位置で迎えたのも、彼にとってはキャリア初だった。優勝して年間王者に輝く可能性に今年は最も近づき、だからこそ日本のファンの期待と興奮を最大化した。

そして、今季の彼が稼いだ賞金は1123万7611ドル(約16億円)で、PGAツアーの賞金ランキングでは堂々3位。いやいや、「すごい」と感服させられる。

だが、それ以上に「すごい」のは、松山が10年超の長きにわたってPGAツアーに生き残っているという彼のサバイバル性だ。

日本人選手がPGAツアーに長期で生き残った過去の例は、尾崎直道と丸山茂樹の2例しかない。1990年代のはじめごろからPGAツアーにスポットで出始めた尾崎は、01年までほぼ10年間を米国で過ごし、現地に腰を据えて本格参戦する日本人男子選手の草分けとなった。だが、日本と日本食を恋しがっていた彼は、いつも、とても辛そうだった。そして勝利を挙げられないまま、米国から去っていった。

00年からPGAツアーに本格参戦した丸山は、01年から毎年1勝を挙げ、通算3勝のトッププレーヤーになった。その後も「直道さんを目標に、10年ここで頑張る」が口癖だった。しかし、小柄な丸山は、欧米人選手たちとの飛距離差に苦しみ、首痛などの故障にも泣かされ、09年頃からは出場試合数が激減。フェードアウトする形でPGAツアーから去っていった。

そんなふうに、精神的に辛そうだった尾崎、体格や飛距離、故障に苦しんだ丸山が、どちらもPGAツアーで「ほぼ10年」を過ごしたものの、最後は力尽きた様子で日本へ戻ったことを思うと、松山が本格参戦11年目にして、いまなお「初」や「新」を達成し、フェデックスカップ9位、世界ランキング7位でレギュラーシーズンを終えたことは、とんでもなく「長生き」で、そして「すごい」ことだと、あらためて驚かされる。

拠点を海外に置き、そこで戦い続けるためには、どうしても直面することになるさまざまな壁を、1つ1つ、ことごとく乗り越えない限り、生き残ることはできない。

言葉、食事、生活様式、生活環境。そして、ゴルフにおける心技体。そのすべてをクリアし、心技体には、さらに磨きをかけながら、11年目のシーズンをキャリア最高の形で締めくくった松山のサバイバル性こそは、彼の最大のすごさであり、これからも彼の最大の武器になるはず。いつまで続けてくれるのか、どこまで生き残ってくれるのか。さらなる興味と期待が膨らんでくる。

松山のPGAツアーにおける日本人選手「最長寿」に、「おめでとう」の一言を贈りたい。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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