
<全米オープン 事前情報◇13日◇パインハースト・リゾートNo.2(米ノースカロライナ州)◇7548ヤード・パー70 >
今季メジャー第3戦の「全米オープン」がいよいよ開幕する。昨年大会は、米カリフォルニア州にあるザ・ロサンゼルスカントリークラブのノースコースで開催。映画の都として知られるロサンゼルスの“超”中心地、ビバリーヒルズに36ホール(ノース、サウスコース)を有する超名門コースで行われた。
3日目を終えトータル10アンダーで首位タイに立ったのは、当時29歳のウィンダム・クラーク(米国)。クラークは、5月の「ウェルズ・ファーゴ選手権」でツアー初優勝。メジャー大会の最終日を生まれて初めて最終組で回ることになった。
「ボギーなら戦いは終わりにはならない。でもダブルボギー、トリプルボギーは戦いに幕を下ろす」
こんな言葉を残していたクラーク。最大の見せ場は、バーディを奪ったホールではなく、8番のボギーの直後の9番のパーセーブ。そして、15番、16番で2連続ボギーを喫した直後にパーで切り抜けた17番と18番の上がり2ホールだった。
「(勝利への)カギとなったのは9番だった。2ボギーの後の17番、18番も、いいプレーができた。よく感情をコントロールできた。『僕にはできる。僕にはできる』と自分に言い聞かせながらプレーした。やっぱり、ボギーは僕を終わりにはしなかった」
そして、迎えた最終18番のウィニングパットを決めると、涙をキャップで必死に隠し、空を見上げた。
最終日は「父の日」だったが、思いを馳せたのは、10年前に55歳の若さで他界した母、リセ・テベネットさんだった。クラークが19歳の時、乳がんが原因でこの世を去った。
「母は生前、『ビッグに戦いなさい』と言っていた。きょう、母は天国から僕を眺めていたと思う。もしこの場にいたら、一緒に抱き合いながら、うれし泣きしていたと思う」。新たなメジャー・チャンピオン誕生の物語は、“涙”と“笑顔”があふれた。