
2022年の「大王製紙エリエールレディス」で史上2番目のブランクとなる11年35日ぶりに通算6勝目を挙げた藤田さいき。優勝のほか2位も3回あり、メルセデスランキングは10位。獲得賞金はキャリア最高の約7900万円を稼いだ。平均ストロークも自己ベストをマークするなど、37歳にしてまさに今がピークともいえる成績を残した。シード選手としては全美貞(韓国)に次ぐ年長者。長年戦えるヒミツはどこにあるのだろうか。
■一人何役もこなす夫の存在が支えとなった
1.2メートルのウィニングパットを沈めると、その場にうずくまって涙を流した。「打つ前はものすごく集中していて、入れることしか考えていなかったんです。入れた瞬間、全身震え出しました。緊張していたんでしょうね。自分がカップまで届かなかった(笑)」。ベテランの復活劇は2022年シーズンの中でもとても印象的だった。
1985年生まれの藤田は、19歳だった2005年にプロ転向。06年に「プロミスレディス」でツアー初優勝を遂げて初シードを獲得。18年に12年守ったシードを手放したが、20−21シーズン見事に返り咲き、昨シーズンの復活Vにつなげた。
長年シード権を保持していたが優勝は2011年の「富士通レディース」までさかのぼる。「勝ちたくても、勝てない」時期を乗り越えてつかんだ勝利。その間、手首や肩、腰の痛み、腹直筋断裂、加えて子宮の病気なども患った。また、両親が生死に関わるさまざまな病に襲われるなど、精神的なダメージもあった。加齢による肉体の変化もあり、次第にゴルフがうまくいかなくなり、シード落ちも経験。5勝目を挙げた翌月の2011年11月に同じ年の和晃さんと結婚。しかし、いつしか「結婚したことで勝てなくなった」という声まで聞こえてきたが、支えてくれた関係者らに恩返しにもなる優勝でもあった。
優勝会見でも夫へのあふれる感謝を口にしたが、「今の藤田さいきがあるのは、夫のおかげです」ときっぱりと言い切る。ツアーに帯同するマネージャーとして支え、料理を作ったり、体のケアもするなど何役もこなして、藤田がゴルフに集中できる環境と整えている。今ではツアー会場ではおしどり夫婦として有名だ。病気を患ったり、シードを落とした時にツアーを退いてもおかしくなかったが、夫の“ポジティブな思考”が藤田の再起に大きな影響を与えている。
■QT行きで引退も考えたが夫の言葉で再起を決意
1つの転機となったのは2019年。18年に12年保持したシード権を手放したが、この年は賞金ランキング51位でQTを受けずに翌年の前半戦出場権を獲得。シード復活をかけて臨んだ翌19年は賞金ランキング60位に終わった。シードを獲ることが当たり前となっていた藤田は、「シードを落としたら辞めるみたいな感じで思っていました」。QT行きの状況となり引退も考えたが夫は「なんで? QT通ったら何かが変わるよ。初心に戻ってまたがんばろう」と励ましの言葉をかけた。「もともと自分の考えが間違っていました。またQTからがんばればいいと思うようになりました」と、2004年以来15年ぶりのQT行きを決意して、翌年の出場権をしっかり獲得した。
夫の勧めで出場したQTという独特な雰囲気を戦うことで、新しい発見もあった。「QTを戦う辛さを考えたら…試合は楽しいって感じました。あらためてゴルフが好きなんだなって思いましたね」。緊張感の伴う1打を競う試合の中でも、ゴルフの楽しみを再確認。シードを落としたことをきっかけに自分のゴルフとしっかり向き合えるようになった。
■復活V前夜は夫の勧めで携帯電話の電源をオフ
11年ぶりの優勝を挙げるまでにも、夫の縁の下の力持ちぶりは発揮されている。前向きに支えたそのやり取りを紹介しよう。6月に行われた「サントリーレディス」は2位に3打差の単独首位で最終日を迎えた。スタート前の朝、夫が声をかけた。「とりあえず優勝する、しないは別として、みんなをワクワクさせるゴルフをしてね。俺もワクワクしたいから、つまらないゴルフはしないでね」と発破をかけて送り出していた。久しぶりの優勝争いという緊張感もあって逆転負けを喫したが、途中で崩れることなく、パーパットを決めればプレーオフと最後までワクワクさせるプレーを見せてくれた。
「サントリーレディス」では惜しくも優勝を逃したが2位に入り、海外メジャー「AIG女子オープン」(全英女子)の出場権を獲得した。これまで海外の試合には縁がなく、藤田自身は海外に行くイメージはなかった。「何言っているの? せっかくのチャンスなんだからいこうよ」と夫が背中を押すと渡英を決意した。
男子の「全英オープン」でおなじみのミュアフィールドビレッジが舞台。人生初の海外メジャーでは「80」、「81」で142位タイと最下位で予選落ちに終わった。「心の肋骨が6本折れました(笑)」と、好調で乗り込んだがリンクスの洗礼を浴びて打ちのめされた。80を切れずに背中を丸める藤田と見ると「練習不足なんだよ、きっと。またリベンジしにくればいいじゃん」といって奮起させ、シーズン後半も高いモチベーションを保たせた。
また22年シーズンは2位に3回入り、中盤以降も優勝を狙える試合が続いた。「今年中に優勝したい」という気持ちは大きくなる。終盤戦の「伊藤園レディス」を41位タイで終えると、「あと2試合しかない」と考える藤田に対して「あと2試合もあるよ」と焦りを生むよりもまだチャンスはあると鼓舞した。
そして「大王製紙エリエールレディス」の最終日前夜、夫に言われ携帯電話の電源を落として、眠りについた。周囲から入る情報を遮断したのである。最終日の朝は「今日はパープレーを目指そう。ゴルフの基本はパープレーだから。それで勝てなかったら、まだまだ練習不足だってことだよ、きっと」と声をかけた。1打差2位と追いかける立場にもかかわらず、だ。夫の言葉を聞いた藤田は「けっこう気楽だった」と最終日はボギーなしの「67」をマークして逆転に成功した。
100人以上が出場する大会で優勝者は一人しかいない。勝つことの難しさは十分理解している。しかし逆の見方をすればルーキーや若手が初優勝を遂げることも多く、みんなのレベルが上がってきて誰が勝ってもおかしくない。試合に出ている以上は優勝のチャンスはある、いつ勝ってもおかしくないとも二人で話していた。長年サポートしてくれる夫について藤田は、「常に前向きで、いいと思うものはやってみようと支えてくれました。優勝争いしたときは、私の心理状態を考えて言葉のかけ方も考えてくれていました」。やってダメなら次の手段。夫の細かなサポート力は、計り知れない。
■「今は何を言いたいかが分かる」結婚歴11年の信頼感
夫の言葉は時にはやる気を起こさせ、時にはやる気を失いそうなときに奮い立たせる。「お互いどこまで言ったら怒るというラインを分かっているので、怒らない程度に言葉を選んでくれます。昔は同じことをいわれて『はぁ』って思うこともありましたが、今は、何が言いたいかが分かるから、言い方がきつかろうか、『はい』って受け入れられるんです」。互いを尊重し合って築き上げた夫婦関係。まさに二人三脚で初めて優勝カップを掲げられた。
そんな和晃さんは、22年夏に1.5センチほどの脳腫瘍が見つかり、12月から放射線治療を開始し、1月6日に治療を終え、再びサポートに力を注ぐ。
■おしどり夫婦は目標とする存在が身近にいる
そんな二人はツアーでは仲のいい夫婦として有名である。「結婚して最初の5年は喧嘩ばっかりだったけど、今では試合会場で(いい夫婦で)うらやましいとか言ってもらえるのがありがたいです」と二人は口を揃える。そんなおしどり夫婦には目標とする存在がいる。廣瀬勇次さん、正絵さん夫妻だ。
もともと藤田のファンだった正絵さんが15年ほど前にゴルフ雑誌の読者企画に当選して、憧れの存在と9ホールラウンドする機会があった。それをきっかけに付き合いが始まり、今では正絵さんは藤田の専属ネイリストとなり、家族同然の付き合いをしている。
廣瀬夫妻に初めて会った時には「新婚ですか?」と聞くほど初々しい感じだったが、実は結婚歴20年ということに驚かされたという。何年たっても変わらない仲睦まじい関係は、いつしか藤田の憧れとなった。
まだ和晃さんと結婚する前の20代半ばの頃。一人で廣瀬夫妻のところに遊びに行き、その時、結婚について聞いたことがある。「その時結婚に興味があって『結婚して飽きたりしないんですか?』って聞いたら、正絵さんは『年を重ねるごとに好きなところを見つけていくから年々好きになっちゃう』っていうんです。私が思っていた結婚のイメージと全然違いましたよね。その時、こういうご夫婦いいなって思いました」。廣瀬夫妻の関係を見ていたからこそ、5勝目を挙げた直後の26歳で結婚を決められたという。
憧れの夫妻は遠方の試合でも応援に駆け付け、いい時も悪いときもともに時間を過ごしてきた。藤田が調子を落とすと「気晴らしに旅行に連れていってくれてイルカに触らせてもらったりしました」こともある。22年の「伊藤園レディス」終了後には、復活優勝を信じる正絵さんが「運気の上がるネイルにしよう」と「フジサンケイクラシックレディス」でホールインワンを達成した時と同じ赤と金が入ったモノを施して愛媛に送り出している。
結婚当初から和晃さんは藤田を支える気持ちは十分持っていたが、新米夫婦は時にはぶつかることも多かった。「いい夫婦って言ってもらえるまで、勇さんたちにいろんなことを教えてもらいました」。互いに思いやる気持ちやちょっとした言葉使い、周囲との接し方、感謝の気持ちを持つなど、身近な理想の夫婦から多くのことを学んでいる。
勇次さんは「旦那さんがいたから今の彼女がいると思う。人間的にも成長して考え方、言葉遣いを含めてやわらかくなって柔軟性が出てきたと感じます」。二人を見守ってきた正絵さんも「二人で伸ばし合ってきたと思います」と、強固な二人三脚になる姿を見届けてきた。
■廣瀬夫妻の目の前で勝ちたい
シーズンを終えると夫が脳腫瘍の治療で藤田の元を留守にすると、廣瀬夫妻はマネージャー代わりに付き添いも務める。しかし、11年ぶりの復活優勝を目の前で見ることはできなかった。
22年8月の「ニトリレディス」で優勝争いをする藤田の応援に北海道まで駆け付けた勇次さんは、最終日の途中に脳梗塞で倒れた。そのまま北海道の病院に入院。幸い治療が早く大事には至らず順調に回復したが、11月に飛行機で移動する愛媛には行けなかったのである。
劇的な優勝を挙げてから一度帰京。最終戦の宮崎に向かう藤田を羽田空港まで見送りに来た廣瀬夫妻と熱い抱擁で喜びを分かち合った。
「今度はちゃんと目の前で勝ちます。11年という呪縛は解かれたので」と藤田は力強く語る。理想の夫婦が身近にいることで藤田夫婦も成長できた。廣瀬夫妻の目の前で優勝するために、和晃さんとの二人三脚の歩は止められない。