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ぼてっとした体型より、筋肉質の方が好きだから、三兄弟注目しよう! 理想は千代の富士だけど、炎鵬は応援してるけど、小さいから怪我が心配で、はらはらだよね。 束の間の快晴の様だから、忙しい! 余談だけど、おばちゃんの母は100才越えてるよ。 多少の物忘れはあるけど、まだ畑仕事もしてるし、相撲も好きですよ! 私もああなりたいね。
昨日27日、力士たちは続々と九州入りしています。 そして今朝、九州場所の番付発表 小結四人 協会審判部が久しぶりのナイスプレーです 先場所(秋場所)、東筆頭で勝ち越し(9勝)した北勝富士と西二枚目で10勝した朝乃山でしたが、関脇御嶽海が12勝、東小結阿炎が9勝、西小結の遠藤も8勝と三役陣が勝ち越していた為、さらに貴景勝が大関復帰を決めたが栃ノ心が関脇に陥落してくる為、三役に空きはなく、北勝富士と朝乃山は東西筆頭に留め置きか?と危惧されましたが、まさかの「小結四人」という(2006平成18年九州場所の稀勢の里・黒海・安美錦・露鵬以来13年ぶりとなる)番付にしてくれました。 ナイスですねえ。 朝乃山は34年ぶりの富山県出身三役、三段目100枚目格付け出し力士としては初の三役昇進となりました。 番付で他に注目できるのは、豪栄道が史上10位となる大関在位32場所目、高安は三度目の角番。 御嶽海は17場所連続の三役(ここでは関脇・小結)在位。 福島県出身(では13年ぶりとなる)、荒汐部屋の若隆景が 嬉しい嬉しい新入幕を果たし、隆の勝・千代丸・大翔丸が返り入幕。 新十両はあの朝昇龍の甥っ子の豊昇龍、再十両が若隆景の次兄でもある若元春が先場所幕下筆頭で6勝1敗で文句なし!天空海・明瀬山も再十両を決めました。 残念なことに、不誠実な行為をしていた若手呼び出しへの注意に暴力を加えてしまった、立て呼出拓郎の不祥事(→退職)が問題となり、「立て呼出」は四年ぶりに不在となってしまいました。 なお、若隆景や若元春の長兄である若隆元は、先場所幕下22枚目で5勝2敗の好成績、九州場所では十両目前の幕下上位に番付を上げてきていて、寺尾三兄弟での関取に次ぐ、そして寺尾三兄弟が為し得なかった「三兄弟同時関取」まであと一歩。 三兄弟揃って、身長182~185cm、体重117~131kgの理想的体型。 長兄の若隆元(27歳)184cm117kg、 次男の若元春(26歳)185cm131kg、 三男の若隆景(24歳)182cm125kg。 長兄と末弟が際立つイケメンだった寺尾三兄弟ほどではありませんが、顔立ちもまあまあすっきりしていて、あんこ型の“度を越した肥満体型”が多い昨今の相撲界で、阿炎や竜電・貴源治に近い、すらっとした体型の三兄弟は今後人気爆発しそうです。
温故知新 大相撲カレンダー10月27日 1982昭和57年10月27日 元栃錦の春日野理事長が相撲協会員として史上初めて 昭和天皇主催の秋の園遊会に招待され赤坂御苑に赴きました。 昭和28年に始まった園遊会ですが、時津風理事長(元双葉山)や立浪理事(元羽黒山)など、とうに相撲協会から出席者が出ていてもおかしくないと思えるのですが、角界第一号で園遊会の場に立ったのは栃錦でした。 戦後の復興の時代に、焦土と化した東京で、疲弊していた日本人の前に現われ、“柔よく剛を制す”の精神で巨躯を倒しまくって拍手喝采を一手に浴びた名人横綱栃錦の多彩な技は、テレビ中継で見始めた であろう好角家の昭和天皇がさぞかしお好きだったのでしょう。皇居には篭ってられなくなり、昭和30年5月にはついに、蔵前国技館まで行幸され戦後初の天覧相撲が行なわれたのでした。 栃錦現役引退後は春日野理事長として昭和天皇の天覧相撲のほとんどを御そば係として斜め後ろの席から説明されていましたね。
温故知新 大相撲カレンダー10月28日 1780安永9年10月28日 仙台藩の伊達関 森右エ門 改め 二代谷風梶之助が、8勝0敗2休という好成績で 四場所連続10度目となる幕内優勝(相当)を挙げました。 元禄時代の初代谷風梶之助=讃岐の谷風が9年間無敗だったとの記述が残っているが、番付や対戦相手の詳細などが、度重なる江戸の大火や関東大震災・東京大空襲で焼失しているため、二代谷風の優勝相当10度は、史上初の二桁優勝(相当)と言える。 この時、当時歴代1位の63連勝の真っ只中。 この時点で谷風は、看板大関としてデビュー後、 いったん前頭筆頭から相撲を取り直し以来 幕内在位11年、幕内22場所で110勝8敗10預1無勝負4分け47休 戦後、優勝回数32回を数えた大鵬幸喜曰く、 『双葉山関やそれ以前の年二場所の時代の優勝回数は、もし自分の頃の年6場所制と比較するなら、その優勝回数を三倍にした回数が妥当で、谷風関は63回、雷電為右衛門関は84回の優勝と言える』とのことでした。
昨日25日に荒磯親方が早稲田大学院・スポーツ科学研究科修士課程に合格した!というニュースが入ってきました。 怪我に泣いた横綱時代を教訓に、相撲協会の業務の合間を縫って、スポーツ医学や身体運動科学を学ぶとのことです。
銀座一丁目の外堀通り沿いにある「茨城県アンテナショップ・IBARAKIsence」で今日、悪天候の中、このショップの開店一周年イベントに元横綱稀勢の里が参加してトークショー・握手会をやったそうです。 今日は休みだったので、残念ながら稀勢の里を見ることはできませんでした。
『 大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,747件 』
高尾のおばちゃんズさん
お母上の年齢が100歳超とは、しかも畑仕事までされてるとは、凄い!
母娘して元気いっぱい!健康で精力的に生きてらっしゃるんですね。
お相撲もお好きなんでしょうか?
福島県出身の新入幕力士は2013年春場所で双大竜が入幕しており、6年ぶりになります。
ぼてっとした体型より、筋肉質の方が好きだから、三兄弟注目しよう!
理想は千代の富士だけど、炎鵬は応援してるけど、小さいから怪我が心配で、はらはらだよね。
束の間の快晴の様だから、忙しい!
余談だけど、おばちゃんの母は100才越えてるよ。
多少の物忘れはあるけど、まだ畑仕事もしてるし、相撲も好きですよ!
私もああなりたいね。
昨日27日、力士たちは続々と九州入りしています。
そして今朝、九州場所の番付発表
小結四人
協会審判部が久しぶりのナイスプレーです
先場所(秋場所)、東筆頭で勝ち越し(9勝)した北勝富士と西二枚目で10勝した朝乃山でしたが、関脇御嶽海が12勝、東小結阿炎が9勝、西小結の遠藤も8勝と三役陣が勝ち越していた為、さらに貴景勝が大関復帰を決めたが栃ノ心が関脇に陥落してくる為、三役に空きはなく、北勝富士と朝乃山は東西筆頭に留め置きか?と危惧されましたが、まさかの「小結四人」という(2006平成18年九州場所の稀勢の里・黒海・安美錦・露鵬以来13年ぶりとなる)番付にしてくれました。
ナイスですねえ。
朝乃山は34年ぶりの富山県出身三役、三段目100枚目格付け出し力士としては初の三役昇進となりました。
番付で他に注目できるのは、豪栄道が史上10位となる大関在位32場所目、高安は三度目の角番。
御嶽海は17場所連続の三役(ここでは関脇・小結)在位。
福島県出身(では13年ぶりとなる)、荒汐部屋の若隆景が
嬉しい嬉しい新入幕を果たし、隆の勝・千代丸・大翔丸が返り入幕。
新十両はあの朝昇龍の甥っ子の豊昇龍、再十両が若隆景の次兄でもある若元春が先場所幕下筆頭で6勝1敗で文句なし!天空海・明瀬山も再十両を決めました。
残念なことに、不誠実な行為をしていた若手呼び出しへの注意に暴力を加えてしまった、立て呼出拓郎の不祥事(→退職)が問題となり、「立て呼出」は四年ぶりに不在となってしまいました。
なお、若隆景や若元春の長兄である若隆元は、先場所幕下22枚目で5勝2敗の好成績、九州場所では十両目前の幕下上位に番付を上げてきていて、寺尾三兄弟での関取に次ぐ、そして寺尾三兄弟が為し得なかった「三兄弟同時関取」まであと一歩。
三兄弟揃って、身長182~185cm、体重117~131kgの理想的体型。
長兄の若隆元(27歳)184cm117kg、
次男の若元春(26歳)185cm131kg、
三男の若隆景(24歳)182cm125kg。
長兄と末弟が際立つイケメンだった寺尾三兄弟ほどではありませんが、顔立ちもまあまあすっきりしていて、あんこ型の“度を越した肥満体型”が多い昨今の相撲界で、阿炎や竜電・貴源治に近い、すらっとした体型の三兄弟は今後人気爆発しそうです。
温故知新 大相撲カレンダー10月27日
1982昭和57年10月27日
元栃錦の春日野理事長が相撲協会員として史上初めて
昭和天皇主催の秋の園遊会に招待され赤坂御苑に赴きました。
昭和28年に始まった園遊会ですが、時津風理事長(元双葉山)や立浪理事(元羽黒山)など、とうに相撲協会から出席者が出ていてもおかしくないと思えるのですが、角界第一号で園遊会の場に立ったのは栃錦でした。
戦後の復興の時代に、焦土と化した東京で、疲弊していた日本人の前に現われ、“柔よく剛を制す”の精神で巨躯を倒しまくって拍手喝采を一手に浴びた名人横綱栃錦の多彩な技は、テレビ中継で見始めた であろう好角家の昭和天皇がさぞかしお好きだったのでしょう。皇居には篭ってられなくなり、昭和30年5月にはついに、蔵前国技館まで行幸され戦後初の天覧相撲が行なわれたのでした。
栃錦現役引退後は春日野理事長として昭和天皇の天覧相撲のほとんどを御そば係として斜め後ろの席から説明されていましたね。
温故知新 大相撲カレンダー10月28日
1780安永9年10月28日 仙台藩の伊達関 森右エ門 改め 二代谷風梶之助が、8勝0敗2休という好成績で 四場所連続10度目となる幕内優勝(相当)を挙げました。
元禄時代の初代谷風梶之助=讃岐の谷風が9年間無敗だったとの記述が残っているが、番付や対戦相手の詳細などが、度重なる江戸の大火や関東大震災・東京大空襲で焼失しているため、二代谷風の優勝相当10度は、史上初の二桁優勝(相当)と言える。
この時、当時歴代1位の63連勝の真っ只中。
この時点で谷風は、看板大関としてデビュー後、
いったん前頭筆頭から相撲を取り直し以来 幕内在位11年、幕内22場所で110勝8敗10預1無勝負4分け47休
戦後、優勝回数32回を数えた大鵬幸喜曰く、
『双葉山関やそれ以前の年二場所の時代の優勝回数は、もし自分の頃の年6場所制と比較するなら、その優勝回数を三倍にした回数が妥当で、谷風関は63回、雷電為右衛門関は84回の優勝と言える』とのことでした。
最近の千葉県は台風や大雨
災害に苦しめられています!
千葉県出身の力士や千葉県の高校出身の力士の
頑張りが千葉県民にとって励みになります!
これからも頑張って下さい♪
昨日25日に荒磯親方が早稲田大学院・スポーツ科学研究科修士課程に合格した!というニュースが入ってきました。
怪我に泣いた横綱時代を教訓に、相撲協会の業務の合間を縫って、スポーツ医学や身体運動科学を学ぶとのことです。
吉田司家って今はどうしてるのかな?
借金問題で協会と絶縁してるからな。
金の切れ目が縁の切れ目って、相撲用語だったかな?
銀座一丁目の外堀通り沿いにある「茨城県アンテナショップ・IBARAKIsence」で今日、悪天候の中、このショップの開店一周年イベントに元横綱稀勢の里が参加してトークショー・握手会をやったそうです。
今日は休みだったので、残念ながら稀勢の里を見ることはできませんでした。