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そうでしたか、お飲みになられましたか、よかったです。 北海道の人は、納豆に砂糖をたっぷり入れるほど甘党の人が多いから、蜂蜜が甘いってのは甘過ぎた訳ではないと思いますね。 見た目がどんなに若くても、国技館で颯爽と歩いていても、赤いレザージャケットや渋い和服を着こなしていても 後期高齢者なのですから、風邪も馬鹿にしてはいけない!高齢者の死因に肺炎が多いのは事実です。 白鵬の後継者となるべく次代の横綱候補は何人も幕内上位にいますが、名(迷)解説者・北の富士勝昭さんの後継者は、まだ見えてきません。 健康に注意して、楽しい楽しい解説を続けて欲しいです。
遅くなりましたが、コークジンジャー飲ませました(笑) 風邪引きはじめに今度は飲んで下さいと、偉そうに!レシピ教えました。 でもちゃんと博士!から教えて頂だいたと言いました。 蜂蜜入れすぎたのか、甘いなと言われて… だいぶよくなってましたが、咳はまだ残ってました。 体に気を付けてながーく解説してもらいたいです。 私はラグビー日本代表とオールブラックスのハカに夢中になってます。 からかいで、何オールブラックスのバカ?って酷いなと、いちゃもんつける方がいますが…誰かはお分かりですね! 世界陸上もやってますし、CSも始まりますし、スポーツずきにはたまらない秋です!
奇人 立川談志が立ち上げた立川流落語会 第1期真打となった 立川談四楼師匠の大相撲考 相撲には栃若、栃錦・若乃花から入りました。若乃花が好きで、子供の私には栃錦の渋さがわかりませんでした。後年、お二人にお会いしました。春日野親方となった栃錦には、相撲甚句の会で。それは腰の低い、器の大きな方でした。若乃花には、解説をやっていた頃、新宿のとんかつ屋であったのですが、豪快に酔っ払っていらっしゃいました。 あっ、思い出しました。当時はビデオの再生がなく、分解写真で取組を見せたのですが!覚えていますか?画面がカクッカクッと動くのです。それを取り入れ、内藤陳率いる「トリオ・ザ・パンチ」ごコントをやり大ウケしたんです。どうでもいいようなことですが、私には相撲にまつわる大切な思い出です。 柏戸・大鵬の柏鵬時代に相撲好きを意識しました。 輪島と北の湖の輪湖時代、彼らが世に出る頃に私は落語家になりました。輪島が私より三つ上、北の湖が二つ年下。私が真ん中ですから、彼らの動向が気になり、相撲をよく観ました。 北の怪童、北の湖には横綱に駆け上がった頃、彼のパーティで会いました。若手何人かで大喜利をやってくれと言われ、条件を聞いてビックリ。ギャラは車代程度だが、料理は食い放題、食うや食わずの我らはこれを受けました。会場は千人超、何をやったってウケやしません。でも我らには食う楽しみがあります。会場の一角でワシワシやってると、挨拶回りの北の湖が通りかかり、我らを見て「噺家はよく食うなあ」って言ったんです。我らは『あんたに言われたくねえよ』と総ツッコミ。北の湖も我らも大笑いでした。そういう茶目っ気ある横綱でした。強くて大好きでしたねえ。 ここまで書いて、列記した横綱全員がすでにこの世の人ではないことに愕然とします。そう言えば、九月場所中に井筒親方が亡くなりました。その翌日、たまたま弟の錣山親方が向こう正面の解説でそれは日程が決まっていたということですが、つらい仕事であることに変わりありません。 で、この日の錣山親方の解説が良かったんです。淡々と誠実に務めたということです。当然、アナウンサーが弔意を述べるわけですが、『ありがとうございます』にとどめ、解説となると俄然精彩を放ち、筋道の通った話をしました。愛弟子の阿炎の相撲には、『才能があるのに右手だけで突くからいけないんです。左を使えと言ってるのに直らない。』と厳しい注文をつけ、公平を心掛けたのです。 放送が終わろうとした時にアナウンサーが解説の礼を言った時に錣山が本音を言いました。『本日は兄のことを取り上げて頂き、ありがとうございました。』と。 そして錣山は深く頭を下げたのですが、この瞬間、グッときました。途中でこれをやられたら湿っぽくなり、相撲どころではなくなります。最後の最後まで抑えていたんですね。男です。いいものを見せてもらいました。 御嶽海と貴景勝の優勝決定戦や大関を陥落する栃ノ心、そして前述の阿炎をはじめとするホープ、小兵の炎鵬や石浦にも触れたかったのですが、紙幅が尽きました。次回申し上げることに致しましょう。惜しい切れ場です。 立川談四楼 東京スポーツ紙面にて ・・・大相撲に造詣が深い落語家さんは多いのですが、談四楼師匠も大相撲を観る観点が鋭いですねえ。
温故知新 大相撲カレンダー10月2日 1971昭和46年10月2日に、第48代横綱・大鵬幸喜の現役引退相撲が蔵前国技館で行なわれ、太刀持ちに玉の海、露払いに北の富士と、次世代を背負うべく(はずの)両横綱を従えて最後の横綱土俵入りが披露されました。 大鵬: 幕内優勝回数は(当時)史上最多の32回、全勝8回、 幕内勝利 746勝 勝率0.838、 横綱勝利 622勝 勝率0.8579 引退直後のインタビューで 最多優勝回数にも、「優勝12回の双葉関の時と比べれば、場所の数が3倍に増えているし、江戸時代の谷風関や雷電関はもっと凄かったらしいし。自分などまだまだです。」と、優勝回数を鼻にかけることはありませんでした。
北勝富士が婚約しましたね 豊山も1月に結婚していたそうですね。 どちらも年上の姉さん女房だそうですが。 結婚、婚約とより一層の活躍を期待してます 貴景勝の怪我をした部分を見て、胸の回りが紫色の青あざになっていて。 稽古している時はテーピングはしないのでしょうか? 写真を見て思わず息を飲む程の怪我の酷さでしたよね 怪我をした胸の回りの広範囲が紫色に腫れていて、稽古して大丈夫なのかと心配です あれでは九州場所の出場がどうなるかより これから大丈夫なのかと心配です 稀勢の里の事もあるし、無理せずに九州場所は休んで欲しいです 力士は怪我がつきもので、注意していても 怪我はしてしまうし、防ぎようがないでしょう 貴景勝だけでなく、怪我で番付が下がって 幕下まで下がっている力士もいるのに 公傷制度の復活を協会には強く望みます 年、六場所と本場所があり 巡業の日数も増えている状態では、怪我を 治す暇などありませんよね
KONさん情報ありがとうございます どこかの図書館で毎日新聞を読みます 話は変わりますが九月場所の大相撲動画で 九日目の琴恵光の右と明生の左の 二番連続の掬い投げの動画が面白いです♪ 良かったら見て下さい♪
貴景勝が稽古を再開しましたが、負傷箇所の内出血が相当酷い様です。 本人は九州場所に出たがっている様ですが、回復不十分なまま元の相撲取れるのか。 九州場所全休しても大関の座は維持できますし、初場所は8勝すればOKですから先の事も考えてほしいです。
大関琴欧洲の引退相撲断髪式の時も、凄かったですよ。いざ開場 の際には、満員電車の中のような、押し合い圧し合いでした。 人気力士の引退興行は、大きな国技館でも まず売り切れですから 客数10000人を超えますね。 おっしゃる通り、本場所は、打ち出しの18時過ぎは大混雑ですが 入場は、朝の8時から夕方4時にかけて、まちまちの時間に入場されるので混雑を感じません。 しかし、11時から とか 10時半開場 となっている引退興行は、国技館正面入り口前の国技館通りは 1万人前後の人・人・人でごった返します。 力士の引退興行の場合、会場使用料は無料。 チケットの代金はすべて本人の懐に入ります。 力士・行司・呼出らは、全員、ノーギャラで出演してくれています。 そのために、協会・力士会はじめ関係各所に 本人が出向いて「引退興行を行なうので・・・」と挨拶し、協力をお願いしたり パンフレットやポスター、チケットまで 印刷屋さんに手配するのもすべて自分(および奥さま)が動いて行ないます。 国技館が満員になれば 1億円以上の収入になりますし、断髪式で鋏を入れてくれる人達はみなさん10万円単位(有名人・著名人・会社の社長れべるの方々だと 50万円とか100万円)の御祝儀を包んでいきますから 300人として4000-8000万円になるようです。 それらはすべて、将来、独立して自分の部屋を興す際の土地・建物購入の軍資金としてしっかり溜めておかなければなりません。 関取以上の経験が浅く、国技館を使えない元力士の引退断髪は、自分が育った部屋で行なったりしますね。
ここ最近に稀勢の里に引退式ほど人が来た 他のお相撲さんの引退式は無かったんでしょうね。 あれだけ並んでいたのだから、時間を早めて入場させてくれたらなと思いました これからは白鵬が引退式を行う時は、稀勢の里と同じように観客が集まるでしょう。 引退式は所属している部屋は関係なく、引退する本人が行う事だそうで。 引退式は2階にも観客が、ほぼ埋まれば黒字になると聞いた事があります 稀勢の里の引退式は2階もビッシリ満席でした。 国技館の入り口から入場を待つ人がズラリと並んだ列は隣の江戸博物館の方まで続き、また折り返して列はずっと続いてました。 29日までの展示だった相撲博物館での 若の花、隆の里、稀勢の里の展示を最後の29日に見に行きました 稀勢の里の最後に絞めた横綱の綱や 北斗の拳の三つ揃いの化粧まわしと牛久の郷土の景色の三つ揃いの化粧まわしを展示されていたので。 引退式には、別な化粧まわしで土俵入り↓のかなと思いました 稀勢の里が絞めていた茄子紺のまわしや えんじのまわしも展示されていました そこで力士のハガキが売ってて稀勢の里と記念ハガキセットを買いました、 引退式の当日も販売していたらしいけど 早々と売り切れたらしいので買っておいて 良かったです 断髪式の時に兄弟子だった隆の若でしたっけ? 関脇まで行ったのに、観客の間でこの人が 親方になっていたらという話がアチコチで 聞こえてました。 次がお父さんで。次が日馬富士だったので 観客の人達は涙が止まらなくなったようでした 日馬富士の稀勢の里の肩を優しく抱く姿に 泣けました 西岩親方が髷を切って、これで最後なんだなと思って見ていたら 館内が暗くなって稀勢の里にスポットが当たってる中での最後の優勝の時の事を司会者さんが目の前で取り組みされてるのが 思いだされるような見事な話し方に観客は涙してました それから、また館内が明るくなって 田子ノ浦親方が土俵に上がって最後の挟みを入れたんですが 土俵に上がる時も、よろけていて 館内からは大丈夫か? と言う声が聞こえてきました 田子ノ浦親方も、あの体型ではと心配になります 芝田山親方も、やっと土俵に上がっていたので 健康に気を付けて欲しいです
今日の朝刊は、毎月第一火曜日にだけ、毎日新聞のコラム「月刊 相撲」が掲載されてるので、駅ナカのコンビニにて、150円で毎日新聞朝刊を購入しました。 14面のほとんど(下三段の広告を除く全て)を割いての特集三題。 まず、上四段ぶち抜きで『幕下・照ノ富士 再起期す』として、逸材が揃って激戦状態の幕下上位を特集。 中ほどの三段分の右半分は『大相撲 技あり』というコラムで名手・逆鉾、大を制す。 同じく、中ほどの左半分は、『待ったなし』というコラムでは、東京相撲記者倶楽部会友の武藤 久氏による、「立ち合い」相撲の妙 という特集が載っていて、戦前に日本に立ち寄ったフランス人芸術家ジャン・コクトーに『バランスの奇跡!』と感動させた「立ち合いの間」について。 さらに、「待った」 について、「手つき不十分」「立ち合いの変化」についても結構ポイントを突いて触れてます。 伊勢ヶ濱部屋推しのSAI さんはもう読まれましたか? 皆さまも、是非、月に一度、今日だけでも、毎日新聞を読まれるよう、お勧めします。
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そうでしたか、お飲みになられましたか、よかったです。
北海道の人は、納豆に砂糖をたっぷり入れるほど甘党の人が多いから、蜂蜜が甘いってのは甘過ぎた訳ではないと思いますね。
見た目がどんなに若くても、国技館で颯爽と歩いていても、赤いレザージャケットや渋い和服を着こなしていても
後期高齢者なのですから、風邪も馬鹿にしてはいけない!高齢者の死因に肺炎が多いのは事実です。
白鵬の後継者となるべく次代の横綱候補は何人も幕内上位にいますが、名(迷)解説者・北の富士勝昭さんの後継者は、まだ見えてきません。
健康に注意して、楽しい楽しい解説を続けて欲しいです。
遅くなりましたが、コークジンジャー飲ませました(笑)
風邪引きはじめに今度は飲んで下さいと、偉そうに!レシピ教えました。
でもちゃんと博士!から教えて頂だいたと言いました。
蜂蜜入れすぎたのか、甘いなと言われて…
だいぶよくなってましたが、咳はまだ残ってました。
体に気を付けてながーく解説してもらいたいです。
私はラグビー日本代表とオールブラックスのハカに夢中になってます。
からかいで、何オールブラックスのバカ?って酷いなと、いちゃもんつける方がいますが…誰かはお分かりですね!
世界陸上もやってますし、CSも始まりますし、スポーツずきにはたまらない秋です!
奇人 立川談志が立ち上げた立川流落語会 第1期真打となった 立川談四楼師匠の大相撲考
相撲には栃若、栃錦・若乃花から入りました。若乃花が好きで、子供の私には栃錦の渋さがわかりませんでした。後年、お二人にお会いしました。春日野親方となった栃錦には、相撲甚句の会で。それは腰の低い、器の大きな方でした。若乃花には、解説をやっていた頃、新宿のとんかつ屋であったのですが、豪快に酔っ払っていらっしゃいました。
あっ、思い出しました。当時はビデオの再生がなく、分解写真で取組を見せたのですが!覚えていますか?画面がカクッカクッと動くのです。それを取り入れ、内藤陳率いる「トリオ・ザ・パンチ」ごコントをやり大ウケしたんです。どうでもいいようなことですが、私には相撲にまつわる大切な思い出です。
柏戸・大鵬の柏鵬時代に相撲好きを意識しました。
輪島と北の湖の輪湖時代、彼らが世に出る頃に私は落語家になりました。輪島が私より三つ上、北の湖が二つ年下。私が真ん中ですから、彼らの動向が気になり、相撲をよく観ました。
北の怪童、北の湖には横綱に駆け上がった頃、彼のパーティで会いました。若手何人かで大喜利をやってくれと言われ、条件を聞いてビックリ。ギャラは車代程度だが、料理は食い放題、食うや食わずの我らはこれを受けました。会場は千人超、何をやったってウケやしません。でも我らには食う楽しみがあります。会場の一角でワシワシやってると、挨拶回りの北の湖が通りかかり、我らを見て「噺家はよく食うなあ」って言ったんです。我らは『あんたに言われたくねえよ』と総ツッコミ。北の湖も我らも大笑いでした。そういう茶目っ気ある横綱でした。強くて大好きでしたねえ。
ここまで書いて、列記した横綱全員がすでにこの世の人ではないことに愕然とします。そう言えば、九月場所中に井筒親方が亡くなりました。その翌日、たまたま弟の錣山親方が向こう正面の解説でそれは日程が決まっていたということですが、つらい仕事であることに変わりありません。
で、この日の錣山親方の解説が良かったんです。淡々と誠実に務めたということです。当然、アナウンサーが弔意を述べるわけですが、『ありがとうございます』にとどめ、解説となると俄然精彩を放ち、筋道の通った話をしました。愛弟子の阿炎の相撲には、『才能があるのに右手だけで突くからいけないんです。左を使えと言ってるのに直らない。』と厳しい注文をつけ、公平を心掛けたのです。
放送が終わろうとした時にアナウンサーが解説の礼を言った時に錣山が本音を言いました。『本日は兄のことを取り上げて頂き、ありがとうございました。』と。
そして錣山は深く頭を下げたのですが、この瞬間、グッときました。途中でこれをやられたら湿っぽくなり、相撲どころではなくなります。最後の最後まで抑えていたんですね。男です。いいものを見せてもらいました。
御嶽海と貴景勝の優勝決定戦や大関を陥落する栃ノ心、そして前述の阿炎をはじめとするホープ、小兵の炎鵬や石浦にも触れたかったのですが、紙幅が尽きました。次回申し上げることに致しましょう。惜しい切れ場です。
立川談四楼 東京スポーツ紙面にて
・・・大相撲に造詣が深い落語家さんは多いのですが、談四楼師匠も大相撲を観る観点が鋭いですねえ。
温故知新 大相撲カレンダー10月2日
1971昭和46年10月2日に、第48代横綱・大鵬幸喜の現役引退相撲が蔵前国技館で行なわれ、太刀持ちに玉の海、露払いに北の富士と、次世代を背負うべく(はずの)両横綱を従えて最後の横綱土俵入りが披露されました。
大鵬: 幕内優勝回数は(当時)史上最多の32回、全勝8回、
幕内勝利 746勝 勝率0.838、 横綱勝利 622勝 勝率0.8579
引退直後のインタビューで 最多優勝回数にも、「優勝12回の双葉関の時と比べれば、場所の数が3倍に増えているし、江戸時代の谷風関や雷電関はもっと凄かったらしいし。自分などまだまだです。」と、優勝回数を鼻にかけることはありませんでした。
北勝富士が婚約しましたね
豊山も1月に結婚していたそうですね。
どちらも年上の姉さん女房だそうですが。
結婚、婚約とより一層の活躍を期待してます
貴景勝の怪我をした部分を見て、胸の回りが紫色の青あざになっていて。
稽古している時はテーピングはしないのでしょうか?
写真を見て思わず息を飲む程の怪我の酷さでしたよね
怪我をした胸の回りの広範囲が紫色に腫れていて、稽古して大丈夫なのかと心配です
あれでは九州場所の出場がどうなるかより
これから大丈夫なのかと心配です
稀勢の里の事もあるし、無理せずに九州場所は休んで欲しいです
力士は怪我がつきもので、注意していても
怪我はしてしまうし、防ぎようがないでしょう
貴景勝だけでなく、怪我で番付が下がって
幕下まで下がっている力士もいるのに
公傷制度の復活を協会には強く望みます
年、六場所と本場所があり
巡業の日数も増えている状態では、怪我を
治す暇などありませんよね
KONさん情報ありがとうございます
どこかの図書館で毎日新聞を読みます
話は変わりますが九月場所の大相撲動画で
九日目の琴恵光の右と明生の左の
二番連続の掬い投げの動画が面白いです♪
良かったら見て下さい♪
貴景勝が稽古を再開しましたが、負傷箇所の内出血が相当酷い様です。
本人は九州場所に出たがっている様ですが、回復不十分なまま元の相撲取れるのか。
九州場所全休しても大関の座は維持できますし、初場所は8勝すればOKですから先の事も考えてほしいです。
大関琴欧洲の引退相撲断髪式の時も、凄かったですよ。いざ開場 の際には、満員電車の中のような、押し合い圧し合いでした。
人気力士の引退興行は、大きな国技館でも まず売り切れですから 客数10000人を超えますね。
おっしゃる通り、本場所は、打ち出しの18時過ぎは大混雑ですが
入場は、朝の8時から夕方4時にかけて、まちまちの時間に入場されるので混雑を感じません。
しかし、11時から とか 10時半開場 となっている引退興行は、国技館正面入り口前の国技館通りは
1万人前後の人・人・人でごった返します。
力士の引退興行の場合、会場使用料は無料。 チケットの代金はすべて本人の懐に入ります。
力士・行司・呼出らは、全員、ノーギャラで出演してくれています。
そのために、協会・力士会はじめ関係各所に 本人が出向いて「引退興行を行なうので・・・」と挨拶し、協力をお願いしたり
パンフレットやポスター、チケットまで 印刷屋さんに手配するのもすべて自分(および奥さま)が動いて行ないます。
国技館が満員になれば 1億円以上の収入になりますし、断髪式で鋏を入れてくれる人達はみなさん10万円単位(有名人・著名人・会社の社長れべるの方々だと 50万円とか100万円)の御祝儀を包んでいきますから
300人として4000-8000万円になるようです。
それらはすべて、将来、独立して自分の部屋を興す際の土地・建物購入の軍資金としてしっかり溜めておかなければなりません。
関取以上の経験が浅く、国技館を使えない元力士の引退断髪は、自分が育った部屋で行なったりしますね。
ここ最近に稀勢の里に引退式ほど人が来た
他のお相撲さんの引退式は無かったんでしょうね。
あれだけ並んでいたのだから、時間を早めて入場させてくれたらなと思いました
これからは白鵬が引退式を行う時は、稀勢の里と同じように観客が集まるでしょう。
引退式は所属している部屋は関係なく、引退する本人が行う事だそうで。
引退式は2階にも観客が、ほぼ埋まれば黒字になると聞いた事があります
稀勢の里の引退式は2階もビッシリ満席でした。
国技館の入り口から入場を待つ人がズラリと並んだ列は隣の江戸博物館の方まで続き、また折り返して列はずっと続いてました。
29日までの展示だった相撲博物館での
若の花、隆の里、稀勢の里の展示を最後の29日に見に行きました
稀勢の里の最後に絞めた横綱の綱や
北斗の拳の三つ揃いの化粧まわしと牛久の郷土の景色の三つ揃いの化粧まわしを展示されていたので。
引退式には、別な化粧まわしで土俵入り↓のかなと思いました
稀勢の里が絞めていた茄子紺のまわしや
えんじのまわしも展示されていました
そこで力士のハガキが売ってて稀勢の里と記念ハガキセットを買いました、
引退式の当日も販売していたらしいけど
早々と売り切れたらしいので買っておいて
良かったです
断髪式の時に兄弟子だった隆の若でしたっけ?
関脇まで行ったのに、観客の間でこの人が
親方になっていたらという話がアチコチで
聞こえてました。
次がお父さんで。次が日馬富士だったので
観客の人達は涙が止まらなくなったようでした
日馬富士の稀勢の里の肩を優しく抱く姿に
泣けました
西岩親方が髷を切って、これで最後なんだなと思って見ていたら
館内が暗くなって稀勢の里にスポットが当たってる中での最後の優勝の時の事を司会者さんが目の前で取り組みされてるのが
思いだされるような見事な話し方に観客は涙してました
それから、また館内が明るくなって
田子ノ浦親方が土俵に上がって最後の挟みを入れたんですが
土俵に上がる時も、よろけていて
館内からは大丈夫か?
と言う声が聞こえてきました
田子ノ浦親方も、あの体型ではと心配になります
芝田山親方も、やっと土俵に上がっていたので
健康に気を付けて欲しいです
今日の朝刊は、毎月第一火曜日にだけ、毎日新聞のコラム「月刊 相撲」が掲載されてるので、駅ナカのコンビニにて、150円で毎日新聞朝刊を購入しました。
14面のほとんど(下三段の広告を除く全て)を割いての特集三題。
まず、上四段ぶち抜きで『幕下・照ノ富士 再起期す』として、逸材が揃って激戦状態の幕下上位を特集。
中ほどの三段分の右半分は『大相撲 技あり』というコラムで名手・逆鉾、大を制す。
同じく、中ほどの左半分は、『待ったなし』というコラムでは、東京相撲記者倶楽部会友の武藤 久氏による、「立ち合い」相撲の妙 という特集が載っていて、戦前に日本に立ち寄ったフランス人芸術家ジャン・コクトーに『バランスの奇跡!』と感動させた「立ち合いの間」について。
さらに、「待った」 について、「手つき不十分」「立ち合いの変化」についても結構ポイントを突いて触れてます。
伊勢ヶ濱部屋推しのSAI さんはもう読まれましたか?
皆さまも、是非、月に一度、今日だけでも、毎日新聞を読まれるよう、お勧めします。