終電は朝8時台!? “大阪唯一の路面電車”にあった「平面クロス」「日本一早い終電の駅」はなぜ消えたのか 廃止前後を上空観察

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阪堺電気軌道は大阪唯一の路面電車として活躍します。恵美須町と住吉、両停留所の変化を上空観察しました。

ターミナルが移転、名物「平面クロス」も消滅

 阪堺電気軌道は「阪堺電車」「ちん電」の愛称で沿線の人々に親しまれ、大阪市電なきいま、大阪で唯一の路面電車となっています。現在は恵美須町~住吉~我孫子道の阪堺線、天王寺駅前~住吉~浜寺駅前の上町線の2路線で、1928(昭和3)年から製造されたモ161形は、国内最古の現役営業電車として2026年も活躍しています。

 阪堺電気軌道は、2社の鉄道から始まりました。まず、住吉大社や天下茶屋遊園などへのアクセスを目的にした大阪馬車鉄道が、1900(明治33)年、天王寺西門前(現在は廃止)~東天下茶屋間を開業させました。この鉄道は後の上町線のベースとなります。大阪馬車鉄道は1906(明治39)年に電気鉄道への変更を出願し、大阪電車鉄道→浪速電車軌道に改称後、1909(明治42)年に競合する南海鉄道(現・南海電気鉄道)と合併。南海鉄道上町連絡線となりました。

 一方、阪堺線のルーツは、恵美須町から浜寺方面などを結ぶ阪堺電気軌道です。この記事では、便宜上初代阪堺と記します。1911(明治44)年、恵美須町~大小路間を開業させた後、浜寺(現・浜寺駅前)まで開業しました。初代阪堺は競合する南海鉄道と併走する位置関係で、両者は乗客の誘致合戦を繰り広げ、しまいには運賃値下げ合戦という我慢比べ状態になってしまいました。経営は自ずと疲弊し、打開策として両社は合併。南海鉄道阪堺線となりました。

 戦後は南海電気鉄道が発足し、南海の路線として長らく活躍しましたが、モータリゼーションなどの影響が大きく、今池~平野間の平野線を廃止し、1980(昭和55)年に阪堺線と上町線を経営分離して二代目阪堺電気軌道が発足しました。

 阪堺電気軌道の路線は、近年若干変化が生じました。その姿を上空から観察してみます。阪堺線の起終点・恵美須町は、大阪新世界のシンボル通天閣にほぼ隣接します。初代阪堺の開業の頃からの駅でしたが、2018年に台風被害によって駅が被災し、2019年から100m南側に移す工事が始まりました。駅移転は2020年2月のことです。

 移転前の空撮では、長年使用されてきたホーム屋根や、旧平野線の乗降ホームがあった3面ホームなど、初代阪堺からの歴史を物語る櫛形構造の駅を記録しました。現在は旧駅舎が解体されて久しく、跡地はマンションと屋内テニス場などへと大きく変化しました。

もう1か所も変化

 もう1か所、住吉大社のすぐ目の前には、阪堺線と上町線が交差・分岐する住吉停留所がありました。上町線は遡ること南海鉄道上町連絡線の時代、初代阪堺と停留所が近接しており、上町連絡線は1913(大正2)年に住吉公園まで延伸開業し、その場所は南海鉄道住吉公園駅(現・住吉大社駅)に隣接しました。

 両路線は近年まで平面交差と片分岐によって結ばれていましたが、上町線住吉~住吉公園間は近隣駅と停留所に近接するため利用者が極端に少なく、住吉公園駅の平日の終電が朝8時台と「日本一早い終電の駅」という称号まで与えられるほど閑散としていました。

 そのため、軌道の老朽化も相まって、同区間は2016年1月31日に廃止され、軌道は撤去されました。空撮では現役時代の2013年と、駅跡が駐車場化した2017年を比較します。長細い軌道跡の敷地はまだはっきりと残っていました。この区間の廃止によって、阪堺電気軌道の平面交差は解消されました。

 今後の阪堺電気軌道は、南海本線浜寺公園駅周辺の連続立体交差事業によって、南海本線をオーバークロスする箇所が支障となります。その解決策として、阪堺線の軌道を浜寺公園側(西側)から東側へ移設する計画です。

 2026年10月からはその前段階として、船尾~浜寺駅前間の複線が単線となります。南海本線の高架化工事と並行して、阪堺線の軌道と駅の移設工事も行われ、近い将来大きく変化する予定です。