10年ぶりの広島帰還 浅野拓磨が持ち続けた“紫の誇り”と消えない成長・挑戦への意欲

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 8年前の2018年10月、ドイツ・ハノーファーで当時23歳の浅野拓磨は言った。

「忘れようと思っても忘れられない“紫の誇り”は常に自分の中にあり続けます」

 同年7月、200名以上が亡くなった西日本豪雨(平成30年7月豪雨)を受け、浅野は広島県に義援金を寄付した。その3カ月後、当時所属していたハノーファーの練習場で広島について話を振ったときの言葉だ。

「自分が苦しいとき、選手としてなかなかうまくいかないときに支えてくれた人たちへの恩返しは、サッカーやそういう形(寄付)で表すしかないので。広島にお世話になったぶん、こういうときに協力しないとなっていう気持ちと、あとは1人でも多くの人が協力してくれたらなという気持ちで自分も行動しました」

 それから8年、ドイツ、セルビア、スペインでの戦いを経験し、31歳になった“ジャガー”が10年ぶりのサンフレッチェ広島復帰を決めた。7月3日、エディオンピースウイング広島で行われた新加入会見で、「ついにこの日が来たなっていう感覚です」と心境を明かした。

「サンフレッチェ広島の選手として帰ってくることに、やっぱり感じるものはたくさんあります。ただ懐かしいというよりも、海外で10年続けてきた挑戦を終わらした感覚が自分の中にはあるので、本当の意味で帰ってきた感覚がありますし、いろんな感情があります」

 この夏も、浅野はまだヨーロッパでの挑戦を続けるつもりだった。

「シーズンが終わってからも正直まだ日本に帰る気はさらさらなくて、もっと自分の向かっている夢や目標に対してチャレンジしていきたいと思っていました。なによりも、このサンフレッチェ広島を旅立った時に、僕はできるだけ長くヨーロッパでプレーしたいという覚悟を持っていたので、その気持ちを忘れたことはないですし、そこで活躍している姿を見せることが自分のできる恩返しだと信じていました」

 2013年に広島に加入した浅野は、2016年夏にプレミアリーグの名門アーセナルに移籍したが、そのままレンタル移籍でドイツのシュトゥットガルトとハノーファーでプレーした。2019年の夏にセルビアの名門パルチザンに移籍し、2年目で18得点を挙げて飛躍を遂げると、2021年夏にボーフムに移籍してドイツ復帰を果たした。
 
 2022年にはカタール・ワールドカップの日本代表メンバーに選出され、グループステージ初戦のドイツ戦で大会デビューを飾り、決勝ゴールを決める活躍で勝利に貢献。2024年夏にスペインのマジョルカに移籍し、在籍2シーズンで公式戦46試合出場、3ゴール2アシストを記録した。

 今回の移籍を前に、広島の強化部がマジョルカを訪問していたが、浅野は「うれしかったけど、『来てもらったとて、僕の気持ちは変わらないですよ』と代理人にも正直に伝えていました。それぐらい僕はまだまだ挑戦する気持ちがありました」と明かす。

 ただ、古巣からの熱意や期待を受けて、「そこからずっと日本に帰るべきなのか、もっとヨーロッパでやるべきなのか、自分の中で葛藤もありましたし、もう悩みに悩んで、僕の中で答えは見つからなかったです」と気持ちが揺れ動いた。

「帰ってくる決め手になったのは、サンフレッチェ広島の熱い気持ちと、自分は今何ができるのかを考えたら、日本に帰ってくるからといって僕の挑戦が終わりじゃないですし、海外での挑戦を終わらせることに対して悔しさなのか、悲しさなのか、今までに感じたことのない感情はありましたけど、それ以上にここに帰ってくる意味が大きいなと思いました。そして、僕にやれることが自分の想像以上にあるんじゃないかと感じて、最後は自分で決断しました」

 愛着あるクラブへの復帰とはいえ、「もちろん自分がやれることを全力でやりますし、それをゴールや勝利につなげる自信は確固たるものがあります。でも、果たしてそれができるのかという怖さや、期待に応えられるのかという自問自答はこれまでに何十回、何百回とやってきました」と不安もあった。それでも、古巣復帰を選んだのは自分らしさを貫き、覚悟を込めた結果だ。

「正直、怖さはありますけど、でもそこを振り払ってでもサンフレッチェ広島でプレーする意味がすごく大きいなと感じました。ヨーロッパでプレーすることも1つのチャレンジですけど、自分の中でサンフレッチェ広島を選ぶことが、何よりもチャレンジだと最終的には感じたので、僕の中で1番難しい決断をしました。今までも自分の中で難しいチャレンジを決断してきたので、今回も自分らしい決断だったと思いますし、もう決断してからには、ここからやるだけだという気持ちでいます」

 そのチャレンジの先に見据えるのは、ワールドカップで活躍すること。これまで常に口にしてきた夢であり、31歳になる今も変わらぬ大きな原動力だ。

「周りから見ると、日本に帰ってきたイコール、1つの挑戦が終わっただとか、日本代表を諦めているようにも見えると思います。ただ、僕が広島に戻ってきた理由はもう一度日本代表のピッチに立つためですし、何よりも自分自身が今の自分よりも成長するためにこのチームを選びました。何かが終わって、ここから日本で落ち着く気はさらさらないですし、日本代表や次のワールドカップももちろん目指しているので、少しでも成長して、もっともっといい選手になりたいです」

 今年11月に32歳になる浅野はベテランの域だが、「何かを還元するために帰ってきた気はなくて、自分は自分の成長のために帰ってきたので」と、よりたくましくなった背中で示していく。

「自分は21歳で海外に行って、今年32歳になりますけど、気持ちは広島を発った21歳のままで、ベテランになっている感覚も全くないです。広島でも僕より若い選手たちと同じ思いで、自分の成長に向かってやっていくだけだと思います。その姿を見てチームメイトやファン・サポーターの方が何かを感じてくれるなら、それはうれしいことですし、そのためにとにかく1日1日、100パーセントでやるだけだと思っています」

 10年ぶりの復帰の舞台は、浅野も待ち望んだ新スタジアム。前本拠地の広島広域公園陸上競技場(愛称:ビッグアーチ、現:ホットスタッフフィールド広島)を知る浅野は、2024年に開業したエディオンピースウイング広島のピッチに立つ瞬間を心待ちにしている。

「前のスタジアムも僕は大好きだったし、みなさんで作り上げてくれるあの雰囲気のビッグアーチで試合する時間はかけがえのないものでしたけど、やっぱりサッカー専用スタジアムの最高の雰囲気の中でサッカーをすることは、サッカー選手にとってすごく特別なことです。専用スタジアムはみなさんが応援しに来てくれる理由の1つにもなるし、みなさんが来てくれることによって選手のみんなの頑張るエネルギーにもなるので。2年前に川辺(駿)選手(当時スタンダール・リエージュ所属)とこのスタジアムを見に来た時は、やっぱりすごいなと感じましたし、この雰囲気の中で自分もプレーしたいなと思ったので、ここに戻ってこられですごくうれしいですし、楽しみです」

 ファン・サポーターとの距離も近くなったピッチで、浅野は「とにかくゴールを取る姿を見せないといけない」と力を込める。

「保険をかけるわけじゃないですけど、やっぱり全てがうまくいくとはさらさら思っていないし、みなさんが期待してくれている姿を見せられない可能性だってあると思います。ただ、そこで他の選手と違うと自信を持って言えるのは、そんな時にこそ、人よりやれる精神やフィジカルがあって、とにかくこのチームの誰よりも成長してやると思っています。それが結果につながるかは自分でもわかんないけど、どういう状況であれ、いい時だけ頑張るんじゃなくて、常に夢や目標に向かっている姿を見せられればなと思います」

 3度目のJ1制覇を果たした2015年を最後にリーグ優勝から遠ざかっている広島。浅野は帰ってきたからこそ、「このチームを優勝に導くことが絶対条件だと思っています」と力強く語った。

「まずはサンフレッチェ広島を優勝させるために、とにかく自分はゴールをどんどん取ることが必要だと思っているし、その先に日本代表やワールドカップがあると今までと同じように感じています。ただ、これまでは本当にワールドカップのことしか頭になかったですけど、1つ自分の中で変化があるのは、その前にこのチームを優勝させたい気持ちの方が強いです。それができれば自然とワールドカップにもつながっていくと思っています」

 自分の夢や目標に向けて、まずはサンフレッチェ広島のために全力を尽くす。浅野の胸に常に宿っていた“紫の誇り”がまた燃え出した。

取材・文=湊昂大

【動画】浅野拓磨、広島復帰会見