大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,861件

  1. #145973 | KON |
    文春砲によると 無期限閉鎖中で伊勢ヶ濱部屋で預りという境遇の元横綱・白鵬が相撲協会「退職の意向」 直撃インタビューに白鵬本人は否定せず…… などと不穏な記事が明らかにされてます SNSでは 『さっさと退職してしまった上で、もう別の団体・・・新日本大相撲協会でも設立して、より開かれた見ごたえのある相撲を展開して欲しいし、横綱白鵬にそれをやって欲しい。』 というコメントも出てますね
  2. #145972 | 匿名 |
    文春で元白鵬の宮城野親方が 相撲協会を退職するという記事が 出たそうですが 本当なのか? 本人は否定はしなかったらしいけど 宮城野親方の部屋の弟子らは  どうなるのか? 伊勢ヶ濱部屋の力士となるのでしょうか? 元石浦の間垣親方は、伊勢ヶ濱部屋付きの親方として残るのか? 白鵬、相撲協会を退職だとなると その、後はどうするのでしょうか?  
  3. #145954 | KON |
    バカでかいTボーンステーキを「おれはこっち、君はそっち」と分け合って食べた。おなかは満たされた。「口直しに行こう」と言うのでコーヒーか甘い物かとついて行くと、向かった先はオイスターバー。大量の生ガキで口直しとなった。  地方場所は1人でホテルに宿泊している北の富士さん。早朝に突然の電話で起こされた。  「今日はテレビの解説なんだけど、昨日から便が出なくてね。体育館に行くまでに出ないと困るんだ。アレを買ってきてよ」  「アレ」で分かってしまう自分もどうかと思うが、早朝から開いている薬局を探して、いつもの便秘薬を届けに行った。 「あと歯磨き粉も。白くなるやつね」と追加の注文。 そうくると、こっちもやけくそだ。「この店で一番白くなる歯磨き粉をください」。訳の分からない私の要求に、店員さんもさぞかし驚いたことだろう。  もう電話は かかってこない。あの頃が本当に懐かしい。 (大相撲担当・岸本隆) 終了
  4. #145952 | KON |
    北の富士さんが大事にしていた人生訓 師匠(初代九重=元横綱千代の山・・・後に都道府県別で最多の8人を数える北海道出身横綱の草分け)から数々の教えを受けた北の富士さんですが、人生訓として大切にしてる言葉は、歌舞伎の世界の人からの言葉だったそうです。 それは 歌舞伎役者の四代坂田藤十郎さん(藤十郎襲名前は三代目中村鴈治郎・二代目中村扇雀)。 扇千景さんのご主人としても知られ、中村玉緒さんの実兄。艶っぽいエピソードでは北の富士さんのかなり上をいく藤十郎さんは 北の富士さんが 今も大相撲の新入幕最多勝記録の13勝して一気に小結へと番付が上がった昭和39年春場所にて4勝11敗と大きく負け越し、とある飲食店でひとりでお酒を飲んでいる時に(当時の名前が)扇雀さんから声を掛けられて、励まされたそうです。 扇雀さん曰く 「弓の矢も引かなければ飛びません。今、関取はキリキリ…と弓を引き絞っている時なんです。元気を出して頑張りなさい。歯を食いしばって耐えて基本の稽古を続ければ ほどなく良い結果が出ますよ」 この言葉は、後年の北の富士さんの人生訓だったようです。 扇雀さんの言葉通り、稽古に励み、得意の突っ張りからの左四つ右上手で寄って出ながらの上手投げを繰り返し稽古。 新小結での大負けの翌場所には 左四つからの寄り、そして自身の腰高の弱点をつかれて吊りあげにきた相手を外掛けで刈り倒して得意の外掛けが冴えに冴え外掛けで4番勝つなどして十一日目には勝ち越して、一気に新関脇に昇進したのでした。
  5. #145946 | SAI |
    NHKサンデースポーツで 大相撲秘蔵映像特集を 放送するそうです! このコメントが載る時には 既に手遅れだと思います? これからも頑張って下さい♪
  6. #145918 | KON |
    翌日、巡業を切り上げ、大急ぎで東京に帰ってきました。幸い一命は取り留めたが、優勝から一転、師匠の自殺未遂は15歳の私にとってあまりにも大きい体験でした。  お茶屋(今の国技館サービス)問題が国会に取り上げられ、その責任をとり、割腹に及んだと兄弟子に聞かされましたが、腹を切るのは昔の武士みたいで格好いいなとも感じました。やはり考えることは子供です。  やがて傷も治り、元気になりましたが、その3年後の 1960昭和35年九州場所後に急死。千秋楽の夜、大好物のふぐ鍋を食べ、豪快に酒を飲んで大いにご機嫌だったのですが、朝起きたら亡くなっていたのです。 なかなか体が大きくならない私に「俺も小さかったが稽古をたくさんして強くなったのだから、おまえも頑張れ」と励ましていただきました。それに花札まで教えていただきました。「花札と相撲は国技だ」。そんな冗談も言っていました。  晩年、栃木山の初代春日野親方と一杯やりながら2人で座布団を挟んで仲良く “コイコイ”をしていたのを思い出します。 私は18年間の現役中、3人の師匠に指導を受けました。3年間と短い期間でしたが、出羽海秀光親方を一番目の師匠にいただけたのは望外の喜びであり、名誉でありました。中でも安芸ノ海関が双葉山関の70連勝を阻止した折に発した「勝って騒がれるのではなく、負けて騒がれる力士になれ」の一言は現在の力士の中にも脈々と受け継がれています。どうしても出羽海時代の話になるととりとめがありません。私の運命はさらに激動の時代へと向かっていきます。 つづく
  7. #145917 | KON |
    つづき、 うれしかったなー。私は「俺が入門したから優勝したのかな」と本気で思ったものです。それと副賞についた森永製菓の三色アイスクリームを丼に山盛りで2杯も食べたのは今でも鮮やかに覚えている。あの時ばかりは力士になって本当に良かったなーと思ったものです。  しかし、いいことばかりではありません。場所後すぐに地方巡業に出されました。現在は入門して半年間、相撲教習所に通うので楽なものです。15歳になったばかりの私にとって過酷な体験でした。関東巡業といって東京に近い村々をまわります。 戦後10年、まだ物資の不自由な時代でトラックの荷台に分乗し、各地を転々とします。忘れられません。  静岡県の千頭村に向かっている途中、ラジオを聞いていたら兄弟子が「親方が腹を切ったぞ」と叫んだ。 つづく
  8. #145916 | KON |
    とにかく大所帯で若者の1人、2人脱走しても誰も気がつかないほどでした。師匠は出羽海秀光、元横綱常ノ花。優勝10回を誇る大横綱。相撲協会の理事長であり、名門中の名門出羽海一門の総帥でもあります。しかし部屋の実情は大変で、千代の山関は休場が続き、引退もささやかれていた。  出羽錦、羽島山、その他の関取衆もベテランばかり。新聞、雑誌に斜陽出羽海部屋と書かれ始めていた。子供の私には何の事やらさっぱり理解できなかったが、太宰治の小説から引用したようだ。そんな時に発奮したかどうかは分からないが、千代の山関が破竹の勢いで連戦連勝、15戦全勝を果たしたではありませんか。千代の山関、6度目、最後の優勝でした。 つづく
  9. #145915 | KON |
    復刻配信・北の富士コラム特別寄稿4】「親方が腹を切ったぞ」兄弟子が叫んだ…地方巡業で起きた衝撃の出来事 師匠の自殺未遂は15歳の私にとってあまりにも大きい体験でした 特別寄稿~4~、2020年5月27日付  27日で4日目。相撲抜きで記事を書くのはけっこう難しいものですね。何しろ基礎ができていないのだからお許しを願いたい。  それでは3日目の続きです。当時の出羽海部屋は横綱千代の山を筆頭に出羽錦、大晃、巨漢の大起、やぐら投げの羽島山、けたぐりの名人出羽湊。まだいたと思うが、忘れてしまった。十両も5、6人いました。この他行司、呼び出し、床山、幕下以下の力士も合わせると優に100人は超えていたと思われます。   つづく
  10. #145857 | KON |
    優勝の報告をひと通りし終えて 部屋の座敷で一杯呑みながらでしたが、そんな話をしてくれました。 その答えはすぐに、わかりました。 翌日からマスコミの記者さんたちの部屋への取材が一気に10倍になったのです。 幸い、親方(元横綱北の富士)が記者さんたちの対応に長けていたので、自分たち力士に影響は少なかったのですが、カメラを回されての稽古に浮き足立つ力士もいましたね。 それとテレビや新聞雑誌の取材も増えてきましたが、そこも親方が稽古の時間を割いての取材は一切断ってくれてましたので本場所の成績に影響が出ることはなく、初優勝で大関昇進し、3場所で横綱昇進 同じ年に、関脇、大関、横綱と3つの番付位置すべてで優勝したのは、大相撲史上初でした。 初優勝した時に(九重)親方が厳しく律してくれなかったら、タニマチさんの誘いを全部受けて 有頂天になって稽古そっちのけで飲み歩いて駄目になっていたでしょう。 あとで聞いた話では、親方自身が大関のころに 稽古よりも 銀座で酒飲んで楽しい時間を過ごす毎日で、歌もヒットしたのでテレビ番組出演が忙しくて、またそれが楽しくて大関の地位に長居してしまい横綱へはずいぶん遠回りした…… と言ってたそうです。

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