日本唯一の“五輪馬術金メダリスト”「バロン西」とは? 名誉市民となった国と戦った軍人の功績を米大使館が投稿

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アメリカ大使館は2026年8月14日、公式Xで、1932年に開催されたロサンゼルス五輪の馬術競技で金メダルを獲得した西竹一さんの功績を称えました。

最初に開催されたロス五輪で金メダル! その後は戦争で…

 アメリカ大使館は2026年8月14日、公式Xで、1932年に開催されたロサンゼルス五輪の馬術競技で金メダルを獲得した西竹一さんの功績を称えました。

 西さんは1932年8月14日、ロサンゼルス五輪の馬術・大障害飛越競技に出場し、愛馬のウラヌス号に騎乗して金メダルを獲得しました。これはアジア諸国として初めての馬術競技における金メダルであり、現在に至るまで日本人選手が同競技で獲得した唯一の金メダルとなっています。なお、馬術競技で日本人がメダルを獲得することは、西さん以降、長らくありませんでした。2024年パリ五輪の総合馬術団体で獲得した銅メダルが、約92年ぶりのメダルとなりました。

 公式Xでは「ロサンゼルス五輪の馬術障害飛越競技で、日本の西竹一選手が金メダルを獲得しました。競技後のインタビューで、愛馬ウラヌスとの勝利を『We won.(我々は勝ったのだ)』と表現したエピソードはよく知られています」と解説。「その気品あふれる人柄と精神に深く感銘を受けたロサンゼルス市民は、西選手を同市の名誉市民に迎えました」と、当時は現地でも大きな話題となったことを紹介しました。

 さらに公式Xは、「これから約1世紀。2028年、オリンピック・パラリンピックが再びロサンゼルスに帰ってきます。スポーツ外交は今なお、日米の人々を結ぶ、最も力強い架け橋の一つであり続けています」と述べました。

 なお、西さんは180cmを超える長身で、端正な顔立ちをしており、陸軍軍人で男爵という爵位を持っていたことから、当時のロサンゼルス社交界でも話題となりました。愛称であった「バロン西」も、現地のハリウッド社交界と親交があったことから、アメリカメディアによって名付けられたものです。

 その後、西さんは第二次世界大戦中の1943年8月に中佐に昇進し、戦車第26連隊の連隊長に就任。当初は満州の防衛にあたっていましたが、1944年6月20日に戦車25両とともに硫黄島へ派遣されました。1945年2月19日から3月26日まで行われた硫黄島の戦いでは、かつて金メダルを獲得した国であるアメリカを相手に戦い、戦死しています。

【ロス五輪での功績】“バロン西”の偉業を称えるアメリカ大使館(画像)