鉄道と城跡は、切っても切れない関係性があります。線路の横には意外と城跡の石垣があるもの。そのような例を空撮写真で紹介します。
「難攻不落の城」今は展望台に
鉄道は洋の東西を問わず、古跡や城跡に隣接して線路を敷設した場所があります。その理由は他に敷設できる場所がなかったり、代替地であったりと様々です。城跡が隣接している箇所は車窓から石垣や土塁といった史跡が望め、車内にいながらその土地の歴史を感じさせてくれます。
では、そのような場所を空から見るとどう見えるのか、今まで空撮してきた地域から選び、城跡と鉄道が接している地点を見ていきましょう。
東北は山形城と奥羽本線です。山形駅の北側には山形城が構え、県民からは霞城(かじょう)の名で親しまれています。1356(延文元)年に最上家初代の斯波(しば)兼頼が築いたとされており、現在の原型となったのは最上義光の時代です。山形城は山形盆地の馬見ヶ崎川扇状地に築城された平城で、中心に本丸、周りに二ノ丸と三ノ丸を配し、堀と土塁で防御する構造で、全国的に見られた輪郭式と呼ばれる種類です。
1901(明治34)年に奥羽南線が開業したとき、山形城の東側に線路が敷設されました。奥羽南線はこの4年後に全通して奥羽本線となります。
奥羽本線は山形新幹線開業によって福島~山形間が標準軌化。さらに1998(平成10)年には、山形新幹線新庄延伸工事のため、城に隣接する区間は、複線のうち片側が標準軌、もう片側は仙山線と左沢線用に狭軌のままとなりました。
奥羽本線(山形新幹線)の線路は、山形城の東側の堀に沿って南北に延びています。青々と葉を広げた桜が、堀の周囲をなぞります。春には桜が満開となって、車窓からも美しい春の情景が堪能できます。
太平洋に面した城跡と鉄道は、小田原城です。小田原駅の西側構内の外れに小田原城があります。この城は伊豆国の伊勢氏をルーツとする後北条家の居城で、同家は関東一円に支城を配しました。小田原城は片方を太平洋の相模湾に面し、険しい箱根連山を背後に配し、上杉謙信や武田信玄が攻めても落とせない難攻不落の城でした。小田原城の防御は、全長9kmの土塁と空堀を築いて総構えとしていたのです。
この難攻不落の城跡は、1960(昭和35)年に再建された鉄筋コンクリート製の模擬天守がそびえます。天守は展望台となって、小田原の街や駅を一望できます。ということは、空撮でも模擬天守と電車が絡められます。タイミングが合えば小田急ロマンスカーも現れ、城跡に隣接する鉄道らしい光景が捉えられます。なお小田原城は、線路をまたいだ山側の八幡山に、最後の居城となる詰め城が存在していました。