北海道初の鉄道は幌内炭鉱から産出される石炭を運ぶ幌内鉄道で、札幌と小樽市内の手宮まで先行開業しました。道内初の鉄道区間の今を空から紹介します。
札幌~手宮間を空撮
2026年6月23日、京都鉄道博物館(京都市下京区)で7100形蒸気機関車7105号機「義経」が有火(ゆうか)状態で試運転をしました。
この機関車は、1880(明治13)年に開業した北海道初の鉄道「幌内鉄道」用に、アメリカピッツバーグのH.K.ポーター社から輸入されたうちの1台です。僚友である「弁慶」は鉄道博物館(さいたま市大宮区)で、「しづか」は小樽市総合博物館(北海道小樽市)にて静態保存されています。本州がイギリスに倣って敷設したのに対し、北海道はアメリカの技術を取り入れたため、蒸気機関車も西部開拓時代のようなカウキャッチャー装備のスタイルで走りました。
義経が走った幌内鉄道は、幌内炭鉱産出の石炭輸送のために敷設され、札幌~手宮間が先行開業しました。線路は函館本線札幌~小樽間の大部分に受け継がれ、現在も幹線として活躍しています。
北海道初の鉄道開通から146年、開業当時の面影はとうに消えていますが、線路の位置はだいたい同じです。札幌~手宮間を空撮した模様をお伝えします。
札幌駅から手稲駅にかけては札幌の市街地であり、一戸建てから集合住宅まで平野部に立ち並んでいます。幌内鉄道の開業の頃、一帯は原野だったことでしょう。
札幌運転所を過ぎると一気に石狩平野がすぼまり、銭函駅から先は石狩湾の沿岸部に張り付くように進みます。住宅が少し続いたのも束の間、恵比須島という奇岩が見える頃、線路は海岸の断崖部を右へ左へと進みます。この断崖部の崖側に小さな素掘りのトンネルが残されています。第五張碓トンネル、別名「義経トンネル」といいます。幌内鉄道開業に際して道路とトンネルを転用して線路を敷設。義経号が走ったトンネルとして名付けられました。
海岸沿いの線路は、現代技術ならば内陸の台地を長大トンネルで貫くところですが、明治初期は海岸のわずかな場所に敷設するしかありませんでした。義経トンネルから西へと進むと、かつて張碓駅が存在していました。海水浴客利用の臨時駅となったのち、2006(平成18)年に廃駅となり、駅舎は既に解体されています。
旧張碓駅のすぐ西側は、長年の海蝕からなのか、断崖部がところどころ崩れかけています。開業当初の線路はこの断崖部を海岸にへばり付いていましたが、後年に張碓トンネルを穿いて線路を付け替えました。線路の痕跡は崩れかけた断崖部に飲み込まれています。
その先の線路は堤防に守られ、かたや山側はギリギリまで山肌が迫っています。堤防は年月を重ねながら補強され、コンクリートの風合いが場所により異なっています。北海道初の鉄道は、こうした難所をクリアして小樽方面へと線路を延ばしました。
海岸線ギリギリを進むと再び平地が広がり、小樽市の港湾部が見えてきました。かつてC62形蒸気機関車などの中枢であった小樽築港機関区もここにありましたが、現在は姿も形もなく、再開発されたショッピングセンターなどに変化しています。
南小樽駅を過ぎると、函館本線の右手に錆びた線路が併走します。小樽市街を横断した手宮線の廃線跡です。この手宮線こそが、幌内鉄道の小樽側の線路で、幌内炭鉱で産出された石炭を、小樽港の手宮へ輸送していました。
手宮線は1985(昭和60)年に廃止されましたが、痕跡は十分に残っています。廃線跡はレールが残された状態で遊歩道化され、旧手宮駅跡地に整備された小樽市総合博物館へと続いています。
北海道初の鉄道の痕跡は、小樽市内で線路も剥がされずにしっかりと残り、義経や弁慶が走った往時が想像できます。一世紀半も前に北海道で産声を上げた鉄路に思いを馳せながら函館本線の電車に揺られ、手宮線の跡を散策するのも楽しい歴史旅となることでしょう。