神奈川県の京浜工業地帯を走る鶴見線は、京浜東北線の鶴見駅を起点とし、本線と2支線の合計9.7kmの小路線です。3両編成の電車が走る姿を空から観察しました。
私鉄としてスタートした鶴見線
JR鶴見線は、鶴見駅(横浜市鶴見区)と京浜工業地帯の埋立地を結んでいます。鶴見駅の2階から高架線となって東海道本線をまたぎ、工業地帯の埋立地へ分け入ると、海芝浦駅方面と大川駅方面へ二つの支線が分岐します。本線は扇町駅が終点です。本線も支線も大小の工場群に囲まれており、主に工場への通勤輸送として使われています。鶴見線の前身は私鉄の鶴見臨港鉄道で、戦時中に国鉄へ買収されました。
起点の鶴見駅は前身が私鉄であったことを醸し出すように、京浜東北線とは別の独立した高架構造で、ホームは鶴見臨港鉄道時代に建設された駅ビルと一体化されています。
また、沿線のほとんどが工場脇を走り、海芝浦支線終点の海芝浦駅は海(運河)に面しているだけでなく、東芝の敷地内にあるため一般客は改札から出られません。
鶴見駅から続く高架橋には、本山という駅がありました。曹洞宗の本山である總持寺の門前に位置していましたが、戦時中の1942(昭和17)年に不要不急のため廃駅となり、以来80余年間高架ホームの痕跡が残されています。車内からホームの躯体が見えますが、空からでもホーム躯体が判別でき、高架駅があった名残りがしっかりと確認できます。ホームは短く、目測で電車3両分あるかどうかといったところでした。
高架線は東海道本線を斜めに横切って国道駅へ。由来は直下にある国道15号(第一京浜)からで、ストレートな駅名です。開業時の沿線のほとんどは新しい埋立地であり、古からの地名が少なく、浅野財閥(浅野セメント、現・太平洋セメント)の浅野総一郎から浅野駅、埋立地の造成に貢献した安田財閥の安田善次郎から安善駅など、固有名詞や人名、付近の施設を冠した駅が目立ちます。
国道駅は相対式高架ホーム構造で、直下にある改札は無人ですが、昭和30年代で時が止まったかのような高架下アーケード街がひっそりとたたずみ、鉄道ファンだけでなく多彩なジャンルの趣味人が訪れるスポットとなっています。最近まで焼鳥屋が一軒営業していましたが閉店してしまったようで、商店跡も板で塞がれています。
駅の西口のコンクリート擁壁には、戦時中の機銃掃射痕が生々しく残っており、駅の存在そのものが歴史の語り部です。空撮の視点では、鶴見川沿いの住宅街に高架ホームが構えられ、竣工時はさぞかしモダンな施設であったのだと想像できます。現代ではマンションが建ち、その姿は多少小さくなっていますが……。
鶴見小野~弁天橋間は埋立地の突端部へと貨物専用線が分岐していましたが、遊歩道となっています。本線を進むと左手に車両基地が現れます。鶴見線の中枢で、国鉄時代は弁天橋電車区と呼ばれていました。近年は3両編成化された205系が休息していましたが、E131系1000番台が新製投入されました。鶴見線は首都圏で活躍した通勤形車両が投入されてきましたが、新車投入は鶴見臨港鉄道以来とのことです。
鶴見線の空撮で改めて気が付いたのは、工業地帯の埋立地を行くイメージが強いですが住宅地も点在しており、線路を挟んで住宅地は北側、南側はすべて工場群と分離されているのが興味深いです。線路の北側は埋め立て前の海岸部で、漁師町がありました。
鶴見線の線路を観察します。鶴見駅と扇町駅を結ぶ本線は、さほど急曲線がありません。その代わり浅野駅で分岐する海芝浦支線と武蔵白石駅で分岐する大川支線の線路は、ほぼ直角に曲がっています。以前の大川支線は20m級車両が通過できない曲線半径であったため、17m級国電のクモハ12形が受け持っていましたが、20m級車両が入れるよう大川支線ホームを解体して曲線半径を緩め、大川支線との乗換駅は手前の安善駅に変わりました。なお、クモハ12形は1996年に引退しました。
鶴見線は浜川崎駅から扇町駅方向へ曲がっていきます。浜川崎方面から上空俯瞰すると、遠方にJR貨物の川崎貨物駅、その先に多摩川と羽田空港が見えます。鶴見線は乗車していると気が付きにくいですが、扇町駅から羽田空港の敷地まで6kmと近いのです。鶴見線は新車が投入され、これからも地域の足として活躍していくことでしょう。