親を残して戦地に向かう葛藤や、学業半ばで亡くなる無念。東大本郷キャンパス近くにある「わだつみのこえ記念館」(東京都文京区)では、太平洋戦争末期の学徒出陣などで戦死した学生の手紙や日記などが多数展示されている。その記念館に7月下旬、美術への夢半ばに25歳で倒れた丸尾至さんの手記など約200点が寄贈された。
丸尾さんは1920年に東京で生まれ、42年に当時の東京帝大文学部美学美術史学科に入学。絵画や芸術を学ぶ一方で硬式野球部の主将も務め、当時の野球誌に「帝大野球部創設以来の逸材」と書かれることもあった。
しかし、学徒出陣で44年に中国に派遣され、現地で体調が悪化。入退院を繰り返す中で旧ソ連軍の侵攻に巻き込まれたとみられ、45年8月30日に旧満州(中国東北部)の陸軍病院で戦病死した。遺骨は今も日本に帰っていない。
在学中は水彩画を描くことに励み、出征後も軍隊生活を精力的にスケッチしていた丸尾さん。今年1~7月にかけ、当時の絵はがきやノート、手紙が、いとこの孫にあたる浜崎園子さん(63)の両親の実家から発見された。
丸尾さんが両親に宛てた手紙には、画材の仕送りに加え、古本の文庫本を買い集めるよう依頼する様子も記されていた。「知識は汚い本だとて変わりませぬ。それを読む日を楽しみに軍務に励みたいと思います」とつづり、学問への思いをにじませていた。
丸尾さんの遺稿は挿絵の多さを生かし、中国での生活の様子が分かる絵はがきを中心に展示されている。学徒出陣前に野球部員らで作成した文集も読むことができ、学生としての一面も想像できるよう工夫されている。
小説や詩の執筆にも打ち込んでいた丸尾さん。浜崎さんは「生きていれば何かを成し遂げたかもしれないが、いや応なく生が絶たれ、さぞ無念だったと思う」と思いをはせる。その上で「彼の思いや夢を知ってほしいとの思いから、記念館に寄贈した」と話す。
記念館は12月、開館20年を迎える。所蔵する約2100点の手紙や日記などには、勝算のない戦争を続けることへの疑問や家族と死別する覚悟がつづられる。渡辺総子理事長(90)は「学生直筆の資料が残されていることが継承の原動力。若者の豊かな未来を奪い去った社会を二度と繰り返してはならない」と力を込める。
〔写真説明〕戦没学生の遺稿を展示する「わだつみのこえ記念館」で、丸尾至さんが書き残した日記や手紙を読む浜崎園子さん(右)と渡辺総子さん(中央)=7月27日、東京都文京区
〔写真説明〕丸尾至さん(遺族提供)
〔写真説明〕戦没学生の丸尾至さんが学生時代に描いた水彩画=7月27日、東京都文京区
〔写真説明〕丸尾至さんが学生時代に書き残した手記=7月27日、東京都文京区