東武急行「りょうもう」はいかにして特急に“出世”したのか 日光線の名車から機器流用 引退迫る「60年戦士」の出自

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東武鉄道の特急「りょうもう」は、どのように誕生したのでしょうか。日光線のお古から始まった有料急行、特急並みの専用車両導入、そして特急格上げと通勤利用重視への戦略の変遷を振り返ります。

日光線のお古から始まった「有料急行」

 東武鉄道にはかつて、大手私鉄では珍しい有料の急行列車が走っていました。小田急にも国鉄(JR)御殿場線直通の「あさぎり」が存在しましたが、こちらが4往復と限られていたのに対し、東武は伊勢崎線の「りょうもう」、宇都宮線の「しもつけ」、日光線の「ゆのさと」「きりふり」など様々な列車が設定されていました。

 東武急行の代表的な存在である「りょうもう」は1999(平成11)年、残る急行も2006(平成18)年に特急に格上げされ、「急行」の種別は無料優等列車に転用されました。そんな東武の一時代を築いた「りょうもう」は、どのように誕生したのでしょうか。

 東武は戦前から日光線に特別車両を用いた「特急」を運行していましたが、本線たる伊勢崎線には同様の列車はありませんでした。戦後になり特急料金の徴収が始まると、日光線の特急車両はグレードアップされます。そこで余剰となった旧型車両を伊勢崎線に転用し、1953(昭和28)年に有料急行の運行を始めました。

 1956(昭和31)年には桐生線から上毛電気鉄道中央前橋駅まで乗り入れる「じょうもう」が新設され、直通しない列車は「りょうもう」と呼ばれるようになりました。「じょうもう」は利用低迷により7年で廃止されてしまいますが、「りょうもう」は高度成長のビジネス需要を背景に好調でした。

 その後、桐生線に「あかぎ」「おりひめ」「こうづけ」、佐野線「からさわ」が新設されますが、伊勢崎線の急行列車ネットワークは1969(昭和44)年、新型の専用車両「1800系」の導入にあわせて一新されます。

 それまでの車両は日光線の「お古」ばかりで、有料列車にふさわしい設備とは言い難いものでした。日光線では1960(昭和35)年から、私鉄で最も豪華な特急車両と称されたデラックスロマンスカー「1720系」の投入が始まっていました。

 そこで伊勢崎線のサービスレベルを一気に引き上げるべく投入された切り札が、1800系です。非リクライニングながら上質な回転クロスシート、フットレスト、車内冷房、トイレを備えた、特急車両並みの「急行車両」でした。

 1800系導入にあわせて急行の愛称は「りょうもう」に統一し、1973(昭和48)年に運転本数は毎時1本以上に増発します。また、1979(昭和54)年に4両から6両に増結され、最終的に9編成54両が製造されました。

特急格上げと「通勤シフト」

「りょうもう」は両毛地域と都心を直結するビジネスの足として一時代を築きましたが、1990年代に入ると日光線にはすでに100系「スペーシア」がデビューしており、登場から20年以上が経過した1800系は陳腐化が目立ちつつありました。

 そこで100系の導入に伴い退役する1700系・1720系の機器を転用し、車体だけ新製した200系により、1800系を置き換えることになりました。200系はシートピッチこそ短いものの、リクライニング式回転クロスシートなど車内設備は100系に匹敵するものとなりました。

「りょうもう」にとって大きな転機となったのが、1997(平成9)年のダイヤ改正です。前年に北千住駅特急専用ホームが新設されたことを受け、翌年3月のダイヤ改正で全ての特急・急行列車が北千住駅に停車するようになり、あわせて定期券で全ての特急・急行列車に乗車可能となりました。

 東武は1990(平成2)年に一部の急行列車を定期券で利用できる「ビジネスライナー」に指定し、通勤通学需要の開拓に着手していました。しかし思いとは裏腹に、その後の平成不況で優等列車の利用が低迷したことで、全面的な解禁に踏み切り、さらなる利用促進を図りました。

 車両更新が完了した1999(平成11)年のダイヤ改正では、特急並みの急行列車「りょうもう」が正式に特急に格上げされました。このダイヤ改正のポイントは次の4点です。

(1)最高速度を105km/hから110km/hにアップし、浅草~赤城間を最大18分短縮
(2)加須・羽生駅に停車する列車を大幅に増加(上り6本→12本、下り4本→13本)
(3)特急料金改定(60kmまで800円だったところ、30kmまで500円の区分を新設)
(4)伊勢崎発着列車を新設

 さらに2000(平成12)年のダイヤ改正で「りょうもう」全列車が東武動物公園に停車。2006(平成18)年に一部列車が久喜に停車を開始し、2017(平成29)年には全列車が停車するようになりました。さらに2020年から一部列車が曳舟停車を開始し、半蔵門線直通列車との連携を強化しました。

 かつては大半の列車が北千住から舘林までノンストップでしたが、現在は東武動物公園から舘林まで7~8km間隔で停車しており、埼玉県内の通勤利用者を重視する戦略が明白です。

 90年代から30年にわたって「りょうもう」を支えた200系も9編成中4編成が廃車になり、半分ほどの列車が500系「リバティ」による運行です。前述の通り、1960年代の車両機器を転用した200系は「60年戦士」であり、引退が迫っています。北関東の旅客需要が縮小する中、「りょうもう」は運行形態や列車本数を維持するのか。数年のうちに今後の方向性が見えてきそうです。