復興のシュシャ、愛国の観光地に=開発進むナゴルノカラバフ―深い遺恨、住民の心に影・アゼルバイジャン

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 アゼルバイジャンが2020年の軍事作戦で隣国アルメニアから奪還したナゴルノカラバフの要衝シュシャ。国家主導の復興が急ピッチで行われ、愛国の観光地として開発が進む。ただ、長年の紛争が残した遺恨は深く、元住民は失った過去に思いを募らせている。
 ◇変貌する町
 白を基調とした石造りのアーチの上に、木製のバルコニーがせり出した建物。石畳が敷き詰められた通り沿いに街路樹が整然と並ぶ。シュシャ中心部を貫く「カラバフ通り」は、官民連携で復興を進めた目抜き通りだ。現在はホテルやオフィスビルが立ち並ぶが、現場を案内したアゼルバイジャン政府の担当者は「4年前は損傷した建物しかなかった」と強調する。
 シュシャはかつて伝統音楽で著名な人材を数多く輩出したアゼルバイジャン文化の揺籃(ようらん)の地でもある。政府は21年5月、シュシャを「文化の首都」に指定し、伝統文化と戦勝の象徴として観光誘致を強化。空港や高速道路を次々に整備し、25年の観光客は55万人を超えたとしている。
 雄大な峡谷の絶景で知られるジディル平原は、朝から観光客でにぎわう。若者たちはアゼルバイジャン国旗を掲げ、「聖地」を訪れた喜びで愛国心が高揚しているように映った。観光の目玉である18世紀建設のシュシャ要塞(ようさい)では、70代の旅行者の女性が領土奪還の感動を語り、立役者であるアリエフ大統領を「最高の大統領。皆が大好きだ」と手放しで称賛した。
 ◇熱狂の裏で
 「聖地巡礼」に熱狂する国民をよそに、元住民の帰還は道半ばだ。政府は30年までに8000人以上の帰郷を目指すが、現時点では377世帯1411人にとどまる。市内は一部区画を除き、至る所で工事が行われていた。
 約30年ぶりに帰還した元住民の60代男性は変わりゆく町の姿に葛藤を抱える。「もうあの頃のシュシャではない」。真新しい建物が並ぶ風景を悲しげに見詰めていた。
 1992年のアルメニア側の進撃を受け、町を脱出。欧州などを転々とした。ベルリンで勝利の知らせを聞き、3年前に帰国したが、かつてにぎわった喫茶店やビリヤード場はもうない。紛争で引き裂かれた知人や親戚とはいまだ再会できず、「ここには誰もいない。もう疲れた」と孤独感に襲われる心情を吐露した。
 ◇遠い和解
 「ここは私たちの土地だ!」。談笑していた30代男性が、アルメニアの話題になると突然表情を一変させた。復興作業に当たる出稼ぎ労働者らも「アルメニア人が町を壊した」と口をそろえ、遺恨の深さがうかがえる。
 町に残されたアルメニア教会の大聖堂を巡っても対立が続く。イスラム教徒が大多数のアゼルバイジャンは奪還後、教会建築の特徴である尖塔(せんとう)と十字架を撤去。「本来の姿」としてドーム型に改修し、アルメニア側の反発を招く結果となった。
 88年の衝突激化以降、両国では少なくとも約3万6000人の死者が出たと推計される。紛争は事実上決着を見たが、50代の建設作業員の男性は「戦死した兵士の親族は今も互いを憎んでいる」と話す。将来の和解は「五分五分。時がたてば分かる」とつぶやくだけだった。(シュシャ=アゼルバイジャン=時事)。 
〔写真説明〕シュシャ要塞=7月13日、アゼルバイジャン南西部シュシャ
〔写真説明〕アゼルバイジャン南西部シュシャのカラバフ通り=7月14日
〔写真説明〕観光名所のジディル平原で、アゼルバイジャン国旗を掲げる若者たち=7月14日
〔写真説明〕屋根がドーム型に改修されたアルメニア教会のガザンチェツォツ大聖堂。看板には「歴史・文化遺産の保存と修復」と書かれている=7月13日、アゼルバイジャン南西部シュシャ
〔写真説明〕アゼルバイジャン南西部シュシャの工事現場。市内の至る所で建設工事が行われていた=7月12日