世界最大の輸送機として多くの人々に愛されたアントノフAn-225「ムリヤ」。2022年のロシア侵攻時に破壊されたこの機体ですが、実は直接的な原因はロシア軍ではなく、ウクライナ軍自身の砲撃だったという見方が有力です。その背後にある悲劇的な真実に迫ります。
巨人機「ムリヤ」誕生の理由
世界最大の航空機として知られたアントノフAn-225「ムリヤ」は、航空史に残る伝説的な輸送機です。その圧倒的な巨体は全長84m、翼幅88.4m、最大離陸重量640tという空前絶後の規模を誇り、250tもの貨物を空輸できるという桁違いのスペックを上回る飛行機は、当面登場することはないでしょう。
An-225「ムリヤ」はソビエト連邦が宇宙往還機「ブラン」を輸送するために開発した特殊な輸送機であり、完成したのはわずか1機だけという希少な存在でもありました。
冷戦終結後、その巨大な貨物室と圧倒的な搭載能力は民間物流の世界で新たな価値を生み出します。通常の貨物機では運べない大型の発電設備や産業機械、鉄道車両、災害支援物資などを世界中へ輸送できるため、「空飛ぶ重量物運搬船」として第二の人生を歩み、日本にもたびたび飛来し、多くの国で人々を驚かせました。
しかし、その伝説は2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻によって突然の終わりを迎えました。
侵攻開始の当日、「ムリヤ」はウクライナの首都キーウ近郊に位置するホストメリ空港(アントノフ空港)の東側格納庫内に駐機していました。ロシア軍は戦争開始の2月24日に大規模な降下作戦を実施し、精鋭の空挺部隊をホストメリ空港へ送り込みました。ここを制圧し、大型輸送機で増援部隊を送り込めば、短期間でキーウを制圧できるという構想です。
ロシア側は数日で戦争を終結させることを想定していたとされます。しかし、この作戦はウクライナ軍の激しい抵抗によって頓挫しました。ロシア軍の輸送機は着陸できなくなり、孤立した空挺部隊は大きな損害を受け、最終的にホストメリ空港はウクライナ軍によって奪還されることとなります。
ホストメリ空港をめぐる戦いは、開戦直後の空挺降下と、その後にベラルーシから進軍してきたロシア地上部隊への反撃という形で、大きく2度発生しました。そして2月27日、その激戦の中で「ムリヤ」もまた無残な姿となりました。
国家存亡の際は激レア機の損失も致し方ない?
当時、世界中のメディアは「ロシア軍がAn-225を破壊した」と一斉に報じました。実際、戦闘を開始したのはロシア軍であり、空港を占拠したのもロシア軍だったため、この見方は自然なものといえるでしょう。焼け落ちた機首部分や崩れた格納庫の映像は世界へ配信され、多くの人々が「世界最大の巨人機」の喪失を惜しんだのです。
ところが、その後の調査によって複雑な実態が明らかになっています。ウクライナ軍はホストメリ空港を奪還するため、空港に対して大規模な砲撃を加えました。その際、格納庫周辺も攻撃対象となり、「ムリヤ」は砲撃によって致命的な損傷を受けた可能性が高いとされています。
つまり、機体を破壊した直接の原因はロシア軍の意図的な破壊ではなく(少なくとも3日間は無傷であった)、空港奪還を目的としたウクライナ軍自身の火力支援だったという見方が現在では有力です。
もちろん、それは決してウクライナ軍の「誤射」や「失策」を意味するものではありません。開戦直後のウクライナは国家存亡の危機に直面していました。首都キーウ陥落の危険が現実となる中、ホストメリ空港をロシア軍に利用させれば、大量の増援部隊が送り込まれ、戦局は決定的になっていた可能性があります。
こうした状況を鑑みると、「ムリヤ」が航空史上極めて貴重な機体だったとしても、その保存を優先できる状況では到底なかったといえるでしょう。
ただ、直接的な損傷はウクライナ軍の砲撃によるものだったとしても、そのような決断を強いた根本原因は、言うまでもなくロシアによる侵攻そのものにあります。侵略がなければホストメリ空港は戦場にならず、ムリヤが砲火にさらされることもありませんでした。
「ムリヤ」は単なる輸送機ではなく、冷戦、宇宙開発、そして世界物流の歴史を体現した唯一無二の存在でした。その喪失は、1機の航空機が失われたという事実以上に、人類が共有していた航空遺産を、製造国であるウクライナが自らの手で破壊せざるを得なかったという悲劇を意味しています。この事実は、ある意味で戦争の悲惨さを伝える一面であったとも言えるのかもしれません。