1949年から長らく中国大陸と戦いが続いた金門。台湾と同じく中華民国が実行支配する諸島で、実は約50年もの間、中華民国・国防部公式の従軍慰安所が設置されていました。その赤裸々な歴史はいま、誰でも見られる形で「公開」されています。
金門の各所に存在した従軍慰安所「特約茶室」
第二次世界大戦中、日本軍は侵攻した諸外国の各地に、軍当局の関与のもと、「従軍慰安所」を開設したことは広く知られています。このことは侵攻の歴史とともに、女性を心身ともに蝕んだ行為だとして、戦後80年を経過した今なお非難の的にもなっています。
一方、中華民国(台湾を統治する国)が実効支配する中国大陸の目と鼻の先にある島嶼エリアで、1949年から1979年まで中国との間で熾烈な戦いが繰り広げられた「金門」でも、実は1951年に中華民国・国防部が公式に従軍慰安所を設置し、約50年間もの長きにわたって営業が続きました。このことは近年まであまり知られてきませんでした。
その従軍慰安所の名は「特約茶室」といいます。「茶室」というタテマエ的な呼び名が中華的な語感ですが、かつての軍事や地元の人々の間では「831」「軍中楽園」という呼称でも知られたそうです。
戦時中、訓練中の兵士、現役軍人は「結婚すること」を厳しく制限され、また軍の休暇もままならなかったと言われています。
こんな背景もあってか、同時期に金門同様、中華民国が統治する台湾・澎湖などでは軍人による性的暴行事件が発生。激戦区の金門でも同様の事件が起きることを危惧し、1951年に「特約茶室」が設置されました。一時は金門に7か所もの特約茶室があったと言われています。
なかでも、約50年以上営業を続けたのが金門・小徑にある特約茶室です。現在はその史実を後世に伝えるため、「特約茶室展示館」として公開されています。
50年間の営業時、おおむね10名ほどのスタッフと慰安婦が働いていたと言われ、その多くが自主的に志願し金門にやってきた台湾人だったそうです。
なお、慰安婦は「軍人以外と接しない」「秘密を漏らさない」「外の客を招いたりしない」「週イチで定期検査・3か月に一度に血液検査をする」といった厳しい規則が設けられていたといいます。
「特約茶室」での恋愛模様が2014年に映画化
一方、利用する軍人にも規則がありました。その内容とは、「軍人証明書を提示する」「武器を所持しない」「慰安婦に軍事機密を漏らさない」「一回の利用時間は30分」といったもので、違反すれば当然軍法にかけられ、厳しく罰せられたそうです。
また、時代や軍人の階級で入場料金も異なっていたそうで、1951年当時は「軍人=15元」「兵隊=10元」だったと言われています。これが38年後の1989年になると「軍人=250元」「兵隊=150元」と値上がりしたそうです。
これら「特約茶室」は、あくまでも軍人の性的欲求を発散させるものでしたが、何度も通い続けるうちに慰安婦と懇意となり、恋愛へと発展するケースも少なくなかったといいます。こういった悲しく複雑な恋愛模様を描いたのが、2014年公開の台湾映画『軍中楽園』でした。
個々に異なる事情を抱えた軍人たちと、さまざまな事情から春をひさぐ慰安婦たちの、悲しく残酷な現実を描いた映画で、商業的な成功には至らなかったものの、数々の賞を受賞するなど、映画ファンの間では非常に高い評価を得た作品でした。
約50年間も続いた「特約茶室」ですが、営業停止から10年にも満たない2010年より一部リノベーションされ、史実を伝える「特約茶室展示館」として開館しました。この展示館は、無料で見学することができます。
施設の真ん中には広々とした中庭があり、その周囲に複数の部屋があります。この各部屋で「接待」が行われていましたが、実際に部屋の内部を目にすると、当時の慰安婦の悲しく切ない生活環境、スタッフの日常などをうかがい知ることができました。
日本政府は終戦から1990年代に入るまで、かつて日本軍が開設した各地の従軍慰安所について軍の関与を公式に認めませんでした。一方、中華民国・国防部は、「誤った過去を正しそれ自体を隠蔽せず、反省し続ける」意味でも、この「特約茶室展示館」を残し、一般に開放しているのかもしれません。