サッカーのワールドカップ(W杯)北中米3カ国大会で、「最高の景色」を目指し、前回カタール大会に続き、日本代表の指揮を執った森保一監督(57)。「謙虚だが、仲間のためには前に出る。そういうところはずっと変わらない」。小中高時代を過ごした長崎県で、共にサッカーに熱中した幼なじみが指揮官を語った。
森保監督は小学1年から高校卒業までを長崎で過ごした。「人望が厚く、上からも下からも好かれていた」と話すのは、長崎市で立ち飲み居酒屋「ぽいち」を営む樋口紀彦さん(56)。森保監督の一年後輩で、小中高で共にサッカーに打ち込んだ。店の名前も監督の愛称にちなむ。
「はじめ君は義理堅く、仲間思い。人とのつながりを一番大事にする」と樋口さん。高校時代、練習試合で後輩が相手選手に激しいプレーで倒されると、飛び蹴りで応酬したこともある。ただし「自分のことでは絶対に怒らない。仲間が何かされた時だけ」と語る。
小学生時代からの幼なじみでJ1長崎元取締役の岩本文昭さん(58)は、森保監督の隣町の小、中学校に通っていたが、練習試合などを通じ親交を深めた。「繊細で、ほかの人が気付けないところに気付ける」と岩本さん。試合で負けた時も、別のチームの岩本さんのことを呼び止め、励ましてくれたという。
森保監督は長崎日大高を卒業後、マツダ(現J1広島)に入団。1992年に日本代表に初めて選出された。岩本さんは「人が寝ている間にも、ものすごくトレーニングしていたと思う。でも彼は努力しているとは絶対に言わない」と熱っぽく話す。
森保監督は2003年に現役を引退し、12年にはJ1広島の監督に就任。だが17年、成績不振を理由に辞任した。岩本さんも同年、クラブ創設時から携わるJ1長崎の取締役を望まぬ形で退任し、気落ちしていたという。だが「自分が一番きついのに、僕の心配ばかりしてくれた。当時はサッカーから離れようと思っていたが、立ち上がることができた」。岩本さんは現在、指導者として活動している。
森保監督はW杯へ出発する前、「一戦必勝で戦いに行く。それだけの準備をしてきた」と覚悟を語っていたという。岩本さんは「8年間やってきた中で、今大会に懸ける思いは人一倍強かった。目に見えない苦しさがあったと思う」とおもんぱかった上で、「日本らしさを出し、ブラジルに立ち向かった姿は本当に感動した。ゆっくり休んで」とねぎらった。
〔写真説明〕サイン入りユニホームの前で、森保一監督から贈られたW杯カタール大会決勝トーナメント進出記念のメダルを手にする立ち飲み居酒屋「ぽいち」の樋口紀彦さん=6月22日、長崎市
〔写真説明〕サッカー日本代表の森保一監督(右)と樋口紀彦さん(樋口さん提供)
〔写真説明〕森保一監督の幼なじみでJ1長崎元取締役の岩本文昭さん=6月25日、長崎市