「なんか仕事ないスか?」→600万台の大ヒットに!? イタリアの巨匠が日本に“営業”して生まれた名車とは

2026年、駆け込み事業承継に注目

自動車デザインの巨匠であるジウジアーロ氏が、なんと日産に自ら売り込みに来たことがきっかけで誕生したクルマがあります。40年も続いたロングセラー「マーチ」です。

「試しにやってみて」から始まった企画!

 イタリアのプロダクトデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロ氏は、自動車をはじめ数多くの分野で名作を生んできた巨匠として知られています。特に1970年代から1980年代初頭にかけては、ドイツのフォルクスワーゲン「ゴルフ」、自国イタリアのフィアット「パンダ」など、コンパクトカーで多くのヒット作のデザインを手掛けています。

 そんなジウジアーロ氏は、同時代に日本メーカーのモデルもいくつかデザインしています。なかでも少々異色なのが、ジウジアーロ氏が自らデザインの仕事を売り込んで生まれた、日産の「マーチ」です。

 ジウジアーロ氏の売り込みを受けた当時の日産担当者は、「まずは試しに」と、ヨーロッパで人気が出ていたハッチバックタイプのコンパクトカーのデザインを依頼します。ただし、この時点で日産側は市販化を考えていたわけではなく、目的は「ヨーロッパにおけるコンパクトカーの基準」を学ぶことでした。ジウジアーロ氏のデザイン案を通じ、どんなところにコンパクトカーの魅力が隠されているのかを知ろうとしたのです。

 しかし、ジウジアーロ氏が提出したコンパクトカーのデザイン案(デザイン図や模型など)の仕上がりは、日産のスタッフの想像を遥かに上回っていました。造形スタイルだけでなく、車両レイアウトの設計もかなり繊細かつ丁寧に練られていたため、デザイン案は程なくして本社に持ち込まれます。

 そして役員も含めた内覧でも「市販化しよう」と声が上がり、トントン拍子で市販車の企画が正式決定。こうしてジウジアーロ氏がまとめたコンパクトカーは開発が進められ、わずか3年後の1982年に「マーチ」としてデビューしました。さらに、この初代マーチは1992年のフルモデルチェンジまで10年間も販売が続き、当時の国産車としては異例の長寿モデルに。

 以降、マーチは2022年に生産を終了するまで40年・4世代にわたるロングセラーとなりました。日産を代表するモデルのひとつとして親しまれたマーチですが、元はと言えば、ジウジアーロ氏の売り込みが誕生のきっかけだったのです。

 当時の日産の担当者は、「初代マーチが長く愛された理由は、コンパクトなのに室内が広く、そして軽いのにボディがしっかりしていたからでしょう。つまり、ジウジアーロ氏はクルマの基本技術をしっかり理解していたのです」と、改めてジウジアーロ氏の偉大さを語っています。

初代マーチに「リターンマッチ」した人物

 また、「マーチ」という車名は一般公募で決まったものでしたが、このネーミングもジウジアーロ氏が考えた「素晴らしいコンパクトカー」の優位性を広く一般に浸透させるため、効果的に活用されました。

 それが人気の絶頂にあったアイドルで、“マッチ”こと近藤真彦氏をイメージキャラクターに起用した広告戦略です。特に「マッチのマーチはあなたの街にマッチする」というフレーズを使ったテレビCMは、その頃小学生だった筆者も鮮明に覚えています。マーチのことを、親しみやすく生活に根差したクルマとして紹介する名コピーであり、多くの人の心に残ったことでしょう。

 ちなみに近年、近藤氏は初代マーチと“再開”を果たしています。近藤氏がクルマ雑誌での連載で、「初代マーチをもう一度手に入れたい」と記したことがきっかけとなり、2025年に初代マーチをレストアする「マッチのマーチがあなたの街にリターンマッチ」プロジェクトが敢行されたのです。

 このプロジェクトには、エムケイカンパニーと日産自動車大学校が協力しており、車両のレストアは日産自動車大学校の学生たちによって行われました。

 なんともホッコリとする話ですが、きっと近藤氏だけでなく、マーチのハンドルを握ったユーザーそれぞれに大切な思い出があるのでしょう。日産マーチは40年間で、全世界累計の販売台数が600万台とも言われています。少なくとも、新車で買った600万人分のドラマが存在するわけです。マーチを愛用した一人一人のエピソードを想像するのも、これまた感慨深いものです。