今年の4月半ば。サッカー日本代表を率いる森保一監督(57)は、広島市にある「恩師」の自宅にいた。「こんな僕を拾ってくれて…」。優しくほほ笑む遺影を前に、むせび泣いていた。
自身をサッカーの世界へ導いてくれたJ1広島元総監督の今西和男さんが、4月16日に85歳で亡くなった。体調が優れないことは知っていたが、最期の時も、葬儀にも仕事で間に合わず、Jリーグの視察に合わせて弔問する形となった。
森保監督が無名だった長崎日大高3年の時に発掘してもらった、かけがえのない恩師。採用枠を特別に増やし、マツダのサッカー部(現広島)採用となったのはよく知られた話だ。この出会いがなければ、現役選手、現在の日本代表監督としての活躍もなかっただろう。
今西さんは東京教育大(現筑波大)の出身で、当時は卒業後に教員になる学生がほとんど。まだ日本でサッカーの認知度が低い中、同大サッカー部の仲間は「赴任地にゴールポストを」を合言葉に全国で普及に努めた。
人のことが大好きで、見抜く力にもたけていた今西さんは「育将」と呼ばれた。「サッカー選手である前に良き社会人であれ」。教員にはならなかったが、その教えを受けて現在もプロの世界で活躍する「門下生」は数知れない。
温厚な森保監督も、「やんちゃ」と振り返る盛んな時期があった。「組織の中の一人なんだ、みんなの中の一人ということが身に付いた」。今西さんは未熟な自身に向き合い、チームのために戦う大切さを説いてくれた。森保監督の指導者としての根幹をなす教えだ。
今西さんら先人の尽力があって、今の日本サッカーの発展がある。そして、森保ジャパンは日本人の強みを生かした、互いに助け合える組織力を武器に世界で目覚ましい台頭を見せる。
「天国にいる今西さんが試合を楽しんで、結果を喜んでもらえるようにすることが、今の自分にできる一番の恩返し」。おごることなく、それでも、手にした自信を胸に真っ向からブラジルに挑む。
〔写真説明〕恩師の今西さん(左)と談笑する森保監督=2025年6月、広島市の平和記念公園
〔写真説明〕現役時代、広島でプレーした森保監督(右)=2001年11月、静岡県磐田市
〔写真説明〕スウェーデン戦での森保監督=25日、米ダラス