「不発弾ある限り終わらない」=指7本欠損の93歳―戦後81年、体験語る・沖縄

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 沖縄戦の組織的戦闘終結から81年となる今も、沖縄には大量の不発弾が地中に残り、人々の生活を脅かし続けている。14歳の時に不発弾の事故で手の指7本を欠損した名嘉地義昭さん(93)=那覇市=は「不発弾がある限り戦争が終わったとは言えない」と話す。
 名嘉地さんは台湾から石垣島に引き揚げた1946年、海辺で不発弾を見つけた。「誰かがけがをするといけない」。そう思って持ち帰ったが、弟たちが「爆弾投下だ」と、落として遊びだした。驚いて取り上げた際、つい信管を触ってしまった。目の前が真っ暗になり、「兄さんが死んだ」という大声が聞こえた。
 戦時中、障害などを持つ人は「国のお荷物、役立たず」と周囲から冷たい目で見られた。障害のある子を部屋の隅に隠し、外から隔離する親もいた。そんな風潮は72年の本土復帰ごろまで続いたという。名嘉地さんは手を隠すように白い包帯を巻き、ポケットに入れて通学した。
 ある日、西表島で沖縄本島の復興に使う木材を切り出す作業をしていたところ、激戦地のフィリピン南方の島々などから引き揚げてきた復員兵たちと出会った。「もっと哀れなやつはいくらでもいる。指先がないくらいでくよくよするな」。不登校になる手前だったが、そう励まされるうち、包帯を巻かずにいられるようになった。
 西表島での作業で重機などの扱いを覚え、自動車整備工場に職を得た。だが、細かい作業がうまくできず、退職を余儀なくされた。包帯は外せても、自身を卑下せずにはいられなかった。
 そんな名嘉地さんが初めて体験を語ったのは、昨年になってのこと。「不発弾でけがをした人は多くを語ってこなかった。今も不発弾は地下に眠っていて、これから先も事故は起こる。体験を継承しなくては」と決心したという。「戦争と不発弾は密接につながっている。81年間続いた平和を終わらせてはいけない」。静かな口調で語った。 
〔写真説明〕不発弾事故の体験を語る名嘉地さん=16日、那覇市
〔写真説明〕沖縄全戦没者追悼式後、焼香台の前で手を合わせる人たち=23日午後、沖縄県糸満市の平和祈念公園