ナニ乗ってた? 80’s「走り屋50cc」たち 「そんな乗り方あるのか!」ユーザーがブームを牽引

造船大国・日本再生に必要なこと

1980年代、当時高校生だった筆者をはじめ、多くの若者が「走り屋」の不良に憧れていた時期でした。ここでは当時の彼らが好んでまたがり、夜な夜な峠を攻めていたのは“原付”のレーサーレプリカやスクーターでした。

当時の「原付走り屋」たちの「神バイク」

 1983年は、若者の不良カルチャーの二分が始まった時代でした。

 一つは、従来からのヤンキーカルチャーをよりリアルに描いた漫画『ビー・バップ・ハイスクール』などが火付け役となったツッパリ武闘派。そしてもう一つが漫画『バリバリ伝説』などが火付け役となった高校生の「走り屋」派です。

 どちらも1983年に連載がスタートし、名漫画として今も語り継がれていますが、当時のヤンチャな若者たちは、おおむねこのどちらかを好む傾向がありました。

 筆者(松田義人:ライター・編集者)が高校生だった頃、その双方に友人がいましたが、「バイク」という共通の趣味があったことで、放課後でもよく遊んでいたのは「走り屋」の友人たちでした。

 彼らはこぞって当時のレーサーレプリカの原付にまたがり、あるいは原付スクーターをカスタムするなどし、猫耳をつけたヘルメットを被り、謎の尻尾をなびかせながら、深夜にランド坂(東京・読売ランド周辺の峠)までよく攻めに行っていました。

 当時の彼らが好んでまたがっていた原付レーサーレプリカ、原付スクーターはいくつか存在します。

 その中でも、「走り屋」の友人たちの間で、「神バイク」的な扱いを受けていたのが、1981年発売のRZシリーズの末裔、ヤマハ・RZ50と、「元祖原付レーサーレプリカ」とも呼称される1982年発売のスズキ・RG50Γ(ガンマ)でした。

 RZ50は原付にしてミドルクラス並の最新機能を搭載したスポーツモデルで、RZブランドの名に恥じぬ速さを実現し、爆発的なヒットとなりました。後の原付レースでも抜きん出て好成績を残した伝説の原付で、今でも評価の高い1台です。

 このRZ50のヒットぶりを受けて登場したのが、RG50Γでした。

 当時はミドルクラスでもレーサーの外観などをまとうレプリカモデルがほとんどない時代でしたが、RG50Γは角形パイプフレームをベースに、高出力の2サイクル水冷エンジンを搭載。フルフローターサスペンション、ディスクブレーキなども装備し、オプションではセンターカウル、アンダーカウルなどもあった超画期的な原付レーサーレプリカでした。

 このRG50Γのヒットと注目度の高さもあってか、スズキは翌1983年にRG250Γを発売したほどです。こうしたことからも、レーサーレプリカブームの先駆的な1台だったと言って良いでしょう。

 後に原付「走り屋」ブームが盛り上がるにつれ、1986年にはグランプリレーサースタイルをスケールダウンさせたスズキ・ギャグも発売しますが、これはモデルとしての「面白い」的な注目度のほうが高く、意外と「走り屋」には好まれていなかったような記憶があります。

1987年発売のYSR50、NSR50が人気を二分

 原付「走り屋」ブーム全盛期、特に好まれたレーサーレプリカは1986年発売のヤマハYSR50や1987年発売のホンダNSR50などでした。

 YSR50は、当時のファクトリーレーサーYZR500をスケールダウンしたモデルで、本格的なスポーツ仕様を搭載し、クラス最高の7.0PSを実現させた1台でした。原付「走り屋」ブームの定番モデルとして知られました。

 一方のNSR50は、原付「走り屋」ブームの中では後続的なモデルでしたが、YSR50を凌駕する7.2PSを実現しました。ホンダのレーサーNSR500をモチーフにした外観と合わせて大人気となり、YSR50と人気を二分すると、冒頭で触れた「ランド坂」などの峠では、この2台が白煙を撒き散らしながら攻めていました。

 この原付「走り屋」ブーム期の市場は、数々のスクーターが登場した時代でもあり、原付スクーターをカスタムして「走り屋」仕様にする流れもありました。

 1983年発売のヤマハ・ジョグは当時最速と言われ、「走り屋」仕様にさらにカスタムする例は数多くありました。ジョグのエンジンを、車体の軽いヤマハ・パッソルに載せ替え、さらに速さを高める「パッジョグ」といったカスタムもありました。

 こういった流れを受けてか、1987年にはヤマハからスポーツ性能の高い原付スクーター、チャンプRSも登場します。ヤマハワークスのグラフィックなどをまとったモデルもあり、明らかに原付「走り屋」ニーズを意識しての発売でした。

 また、チャンプRSと同じ1987年にはスズキからもハイRというスポーツスクーターが登場しました。ベースは、1985年発売のハイというスクーターでしたが、時流に合わせたスポーツ仕様で標準にしてヘッドライトはイエローバルブ、ウィンカーはスモークレンズという、攻めた仕様の1台でした。

 ここまで、記憶に残る当時の原付「走り屋」たちに愛されたバイクとスクーターを紹介しました。メーカーが開発し提案したバイクの楽しみ方を、ユーザーがさらに飛躍させブームになると、今度はメーカーが後追いでブームに合うようなモデルを後追いで開発する――こうした流れに、改めて日本のバイクの歴史として面白さがあります。

 ユーザーとメーカーとの間での相乗効果とも言うべき事象は、他にも例が思い浮かびますが、特に強く感じる事象はまさしく80年代の原付「走り屋」ブームだったように感じます。