大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,414件

  1. #138679 | KON |
    相撲関係のテレビ番組情報 今日の夕方 12/4 月 17:00 〜 18:00 NHK① ニュースLIVE!ゆう5時 日大・林理事長が会見 ▽佐渡ヶ嶽部屋直伝のちゃんこを町の名物に ▽外来種のキョンが千葉で大量に出没 ▽“ゆう5飯”神崎恵さんの万能ひき肉活用術
  2. #138677 | SAI |
    天皇杯・全日本相撲選手権 金沢学院大学主将・池田俊選手 優勝おめでとうございます! 惜しくも準優勝の日体大3年 ダワードルジ・ブフチョローン選手 モンゴル相撲とレスリングで培った 投げ技が凄かったです! 池田選手は栃乃洋と親戚だそうですが 鼻が潰れてはいないですね? ダワードルジ選手はプロ志望だそうですが どこの部屋を希望していますか? これからも頑張って下さい♪
  3. #138648 | KON |
    壁 2 補足 北の富士さんの言う柏戸さんの怖さ 大鵬は引退後、インタビューで『生まれ変わったら相撲取りになって柏戸さんみたいな相撲を取れる力士になりたい。あの 一気に相手を土俵下まで寄り出してしまう怒涛の寄り! 男らしくて格好いいじゃないですか!?』と身を乗り出して語ってました。 柏戸(富樫少年)は、中学時代に陸上競技・サッカー・バスケットボールで鍛えた俊敏さ…特にスタートダッシュなどは指導する教師ら大人たちが目を見張るほど。 学校代表として山形県内の大会に頻繁に駆り出され上位入賞していたスポーツ万能でした。 顔の怖さについては、 北の富士さん曰く 『柏戸さんの仕切ってる時の表情・特に目!ありゃ怖いよ。塩を蒔いたあとにジロッとこちらを睨み付けるんだよね。思い出してもゾッとする。』『それとね、引退後に勝負審判(審判長)をやってた時(昭和57年からの12年間)だね。立ち合いを合わせないで“待った”をすると 土俵下から「何をやってんだ!」と大声で怒鳴るんだよね。“待った”された力士がお返しの“待った”をしようものなら更に大声で怒鳴り飛ばしてました。目つきの鋭いうちの千代の富士ですら「親方、鏡山さん、怖いっすよ。あの三白眼での睨みで怒るんだから」とぼやいてましたよ。』と語ってました。 この項 終わり
  4. #138647 | KON |
    壁 2 補足 北の富士さんの言う 「横綱柏戸の当たりの強さと顔の怖さ」 柏戸関は 頭から当たる立ち合いはしませんでした。しかし胸から当たるのに、今の正代の当たりとは全く違ったものでしたねえ。 正代のように双差しを狙った立ち合い(当たる角度は70~85度の棒立ち気味)ではなく、まずもって出足が鋭く、当たった瞬間には2歩目の足が出ていましたから 相手はすでに守勢にまわらざるを得なくなっていた。 しかも当たる瞬間の上体の角度は45~55度で相手に当たり すかさず2歩目を出してさらに3歩目……攻めてきてる相手を根こそぎ土俵下へ。大正から昭和初期にあった決まり手「押し切り」と「寄り出し」のうちの「寄り出し」が適していた勝ちっぷりでした。 立ち合いから左前褌(みつ)右おっつけで一気に突進するという取り口で、土俵際でも腰を落とさず一気に長身を利用し覆い被さるように相手を押し倒す相撲で、その破壊力は誰からも恐れられていた。“土俵の鬼”初代若乃花でさえも横に動いて突進を回避しての投げで決めたことがあった。 昭和39年の「月刊大相撲」の相撲評論家による討論会でも神風さんや出羽錦さんが『柏戸のために“寄り出し”を復活させてもいいのでは?』とコメントしていました。 横綱大鵬でさえ「寄り切り」「寄り倒し」「押し出し」「押し倒し」で13度も柏戸に屈していました。大鵬は柏戸戦以外では、先に三役へ昇進していた北葉山にだけ 11敗(24勝)していましたが、とにかく柏戸戦以外は圧倒的優勢でした。
  5. #138635 | KON |
    壁  柏・鵬 最後に大鵬vs北の富士。 大相撲中継の解説席で北の富士さんが何度も語ってましたが、 『柏戸さんは立ち合いで当たると硬くて強くて痛かった。嫌だったねえ。そして顔がね、柏戸さんの顔が怖かった。』 『大鵬さんは とにかく負けない相撲を取っていた。得意の左四つになっても向こうも左四つ十分で、私の攻めが通じなくて、力を吸収されてしまい、いつの間にか負けていた。支度部屋に戻って、“あとちょっとで勝てそうだったなぁ”という気になったのですが、その次の対戦でも もう少しのところで負けてしまう……この連続だったね。』 の言葉通り、北の富士は初顔から大鵬に5連敗、11戦目からは全く勝てずに14連敗。 突っ張りからのはたき・左四つからの上手投げ・攻めながらの外掛けなど 北の富士得意の勝ちパターンは通じず、結局、北の富士は対大鵬戦を5勝26敗と惨敗で終えました。だった 文字通りの “壁” だったのでした。
  6. #138634 | KON |
    壁 2  柏・鵬 残念だったのは、玉の海がさらに強くなって大鵬を名実ともに超える姿を見ることが叶わなかったことですねえ。 北の富士と横綱同時昇進した玉の海は抜群の安定感を示して横綱在位10場所で優勝4回・準優勝5回。 休場ゼロ 横綱勝率.867  金星配給率の低さは昭和以降トップ! 「ひと場所平均の金星配給数が 0.3個」だった玉の海でした。 2位は白鵬の0.31、3位が玉錦の0.33。 大正以前だと、太刀山の横綱在位6年半(15場所)で  0.00 →つまり金星をひとつも与えなかった!! という不滅の記録が残ってます。 玉の海は、1971昭和46年、恩師でもある大鵬の引退相撲に「太刀持ちとして絶対に出席する」ことを最優先したが為に、夏前から盲腸炎が悪化していたのにも関わらず本場所に出場し続け、虫垂炎をこじらせての腹膜炎。 緊急手術して治ったかにみえ、翌日の退院予定も決まっていた10月11日、術後の肺血栓で急死。肺動脈に直径5cmもの大きさの血の塊があって血流を塞いでしまったのが原因だったそうです。 享年27歳 残念無念!
  7. #138630 | KON |
    “ご意見番”武蔵丸が疑問視 まずは大関霧島、1年の最後となる11月九州場所を、大関が優勝で締めてくれたね。ただ、13勝と数字上で勝ってるのは勝ってるんだけれど、「強かったなぁ」との印象が薄くて、ピリッとしなかったんだよね。引く相撲が何番かあった。引くのではなくて、立ち合いで当たって前に持っていく相撲を取らないとな。 同じく大関の豊昇龍もそう。大関になってから守りに入っている。 貴景勝への疑問  成績次第で横綱昇進が話題になった貴景勝だったけれど、9勝6敗に終わった。ケガの影響もあって稽古も思うようにできないとは思うんだけれど、やはり稽古が足りないのが見ていてわかる。突き押しにも勢いがなかった感じだな。 いつも言ってるんだけれど、もちろん、ある程度の筋肉維持のためのトレーニングは必要だと思うよ。うちの部屋でも、ジムと契約してトレーニングに通ってるし。でも、もう幕下の若い子じゃないんだから、大関として肉体は出来上がっているんだよね。もし今の状態に悩んでいるのだったら、これから特に必要なのは、原点に戻っての“相撲力(ぢから)”なんだ。近代的なトレーニングばかりではなく、やっぱり徹底的に四股、すり足、てっぽうをやって、相撲のための“しなやかに動ける筋肉”を大事にすること。最近では専属トレーナーを付けたりするお相撲さんも多いけど、トレーナーの話ばっかり聞いてちゃあダメなんだよ(笑)。 現役時代、アメフト――NFLの研究に協力したことがあるんだけれど、四股、すり足、てっぽうって、相撲という競技に適した体作りに、驚くほどにピッタリなんだって。科学的にも証明されて、昔のお相撲さんたち――先人たちの知恵にみんなでびっくりしてたんだ。一点に立ったままダンベル上げ下げしたって、たかが知れてるんだよね。硬い筋肉をつけ過ぎちゃダメで、体が動かなくなる。ボディビルダーみたいに、筋肉見せてポーズつけるのが仕事じゃないんだからな。 武蔵丸の苦言 
  8. #138628 | KON |
    壁2  柏・鵬 大鵬vs玉乃島(玉の海)は、 同じ二所一門ということがあって、はじめは、直接対戦がなかったのですが、“部屋別総当たり制度導入”により昭和40年初場所から二人の対戦が始まりました。 その初場所初日、横綱大鵬vs小結玉乃島が実現。注目の一番は玉乃島が内掛けで大鵬に尻餅をつかせました。 二所一門の荒稽古にて三番稽古で散々強いて(しごいて)貰ったおかげで強くなれた玉乃島。 取組後、敗者の弁を聞こうと集まった相撲番記者たちに囲まれた大鵬がインタビューを受けながらながら髷を直して貰っている東の支度部屋へ挨拶に赴いた玉乃島が「ごっつぁんでした」と鍛えてもらった御礼を述べると『おう、強くなったな』と玉乃島に声をかけた大鵬。 成長著しい一門の後輩に対して 若干余裕を感じさせる大鵬のコメントでしたが、この2場所後の夏場所と翌名古屋場所でも玉乃島に土をつけられてしまいました。 “限界説”まで新聞紙面に登場する始末に 焦った大鵬は、対策を徹底的に研究し、微塵の油断もしまいと、この年の秋場所から なんと、直接対戦16連勝して大きく厚い壁となりました。 大鵬が行なった工夫は、立ち合いで玉乃島得意の右差しを許さないように両手をクロスさせて当たり、毎場所のように大鵬得意の左四つに持ち込んでいました。 右の上手を強烈に引きつけておいて左の差し手を返す大鵬。右上手を取らせない状態からさらに右上手を引きつけ、玉乃島(途中から玉の海に改名)を半身(はんみ)に近い状態に浮かせておいて掬い投げ(すくいなげ)で仕留めることが多かったですねえ。 左すくい投げに右の引きつけを加えた「併せ技」で、「呼び戻し」のような大技で、大正時代の強豪横綱太刀山(横綱勝率.966で歴代1位)を彷彿とさせる投げ技で、すでに横綱昇進を果たしていた玉の海を赤子手をひねるようにひっくり返していました。 最終対戦成績は大鵬20勝ー玉の海6勝
  9. #138627 | KON |
    壁2  柏・鵬 『次代のホープに負けて自信をつけさせることも横綱の役目なんだ』と二子山理事長となった元横綱初代若乃花がインタビューでコメントしていましたが、 最初に4連勝して力の差を見せつけ、その後甲乙つけ難い勝負となっていく……北の富士にとって まさに理想的な “ 壁 ” となった柏戸でした。 柏戸は玉の海(当時は まだ玉乃島)に対しても、最初の6戦は柏戸5勝ー玉乃島1勝と柏戸が圧倒してました。 が、右の相四つということもあり、玉乃島が、大関に上がった頃には 右四つの型を完成させていた玉乃島を速攻では攻めきれず、ガップリ四つになる相撲が多くなりました。 土俵際で残され得意の電車道で一気に勝負をつけられなくなった柏戸が 土俵中央まで寄り返されてガップリ四つ相撲となると肩幅の広い玉乃島の肩越しに上手を取ることが増え、そもそも腰の位置の低い玉乃島にしてやられる場面が増え、玉乃島が大関に昇進してからは玉乃島10勝ー柏戸5勝と逆転。 特にラストの5戦は、柏戸の糖尿病の悪化と肝機能障害も発症して寄り切られたり吊り出されたりと全く勝負にならず、玉乃島の5連勝で終わりました。
  10. #138626 | KON |
    「壁」2 栃・若から引き継いで角界の屋台骨を背負うことになった 大鵬・柏戸も 彼らの次に角界を担うだろうと言われた 北の富士 と 玉乃島(後の 玉の海) の“壁”になりました。 北の富士vs柏戸は、柏戸が貫禄の4連勝でスタートし、10戦終えた時点でも柏戸7勝に対して北の富士3勝と 速攻の柏戸が 同じタイプの北の富士の強烈なうわ突っ張りをモノともせず “電車道”の速攻で北の富士を土俵下まで持っていく相撲でリードしてました。 DVD“柏鵬”を見返しても、陸上の短距離走のスタートのようにぶつかってそのままダッシュしてくる柏戸に対して土俵際で残すこともできない北の富士が土俵下に尻から転落、勝った柏戸も勢い余ってそのまま北の富士の上に覆い被さって勝負檢査役(昭和43年以降~今の呼称は勝負審判、明治初期からの呼称が「勝負檢査役」、明治初期以前の呼称は「中改=なかあらため」)の上に二人して落下していました。 足首を、痛そうに引きずりながら土俵にあがって勝ち名乗りを受ける柏戸の姿を何度も見ました。 柏戸vs北の富士の直接対戦での11戦目以降は7勝7敗の五分。 当たってから のど輪で柏戸の上体を起こしておいて “得意の黄金の引き足”ではたいたり、立ち合いで当たってすぐに横から攻めたり、自分十分の左四つになれたと同時に動きまわって左差し手をかえし右手で柏戸の肩口をおさえて渾身の肩透かしを喰らわしたり、攻め込まれて土俵際に追いつめられた瞬間に捨て身の首投げを繰り出して腰高気味に寄ってくる柏戸をひっくり返したり……。 柏戸が勝った決まり手は「寄り切り」「寄り倒し」「浴びせ倒し」「押し出し」ばかり。 一方、北の富士は「うっちゃり」「外掛け」「首投げ」「はたき込み」「肩透かし」などで、柏戸の一気の寄り=速攻をなんとか食い止めてから あの手この手で勝ち星を挙げていた北の富士でした。

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