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自称? オバァ こと 高尾の姉御さん 五月夏場所に行けるといいですね。 以前に国技館で大相撲観戦された際には解説中の北の富士さんの写真を撮ったりサインを頂けましたか? できたら、北の富士さんとの一緒のツーショット写真を撮れたら最高ですね。 自撮りポーズを練習していって、正面放送席で解説中の北の富士さんとご自分が一緒に映るように撮れるといいですねえ。
まさに綺麗に遊んだ遊び人の伊達男、北の富士さんにぴったりだね! まぁ時代もよかったから今の様にああだこうだ言われなかったんだろうし、何せ自腹で遊んだのはかっこいいよね。 そしてここが大事な所だよ、色男だから! いくら遊び方綺麗でも容姿がダメなら絵にならないからね。 ほんとに伊達男だよ。 着流しで銀座闊歩してる姿みてみたいわ! 天龍さんいい事言うね。 北の富士さんの様には今の人はなれないよ。今は体大事にして解説で格好いい姿見せてほしい! 五月もテレビに映るまで心配だから!天龍さんも大事にしてほしいわ。 五月場所体調よければいきたいが、、
現在は入院してリハビリ中の (元力士の) 天龍源一郎さんが入院先から主治医の許可をもらいながら、“大将”にまつわる思い出を語りました。 曰く、『俺がWARを立ち上げた頃、「天龍さん」とか「源ちゃん」とか、いろいろな名前で呼ばれるのが面倒くさくて「大将と呼べ!」と周りに言うようになって、それから大将と呼ばれるようになったけど、俺の中での大将といえば、やっぱり俺がいた二所ノ関部屋の大横綱・大鵬さんだ。 あのころは大鵬さんだけでなく、ほかの部屋の大関や横綱も大将と呼ばれていて、これは相撲界のしきたりというか慣習みたいなものなんだと思う。もともと相撲界は陸軍が仕切っていたから、その影響でトップの人を大将と呼ぶようになったんじゃないかな。仮に海軍が仕切っていたら、今頃俺は元帥と呼ばれていたかもしれないな(笑)。 ただ、俺にとっての大将は大鵬さんだけど、実は俺が大鵬さんを大将と呼んだことは一度もない。下っ端の若い衆の俺が大鵬さんを大将と呼ぶのは、なれなれしすぎるんだよね。ずっと“大鵬関” か ”横綱”と呼んでいたよ。 現在、俺は相撲界とつながりがないからハッキリとは言えないけど、相撲界もだいぶ変わってきて、今、大将と呼ばれる力士はいないんじゃないかな? 俺が相撲を辞めるころでもほとんどいなくなって、当時だと、北の富士さんが大将という感じだったね。北の富士さんは親分肌だったし、あのころの相撲取りはみんな「横綱たるものなめられてはいけない」「若い衆に対してはこうあるべき」という筋が通っていたというか “横綱”というものを背負っていたように思う。それを輪島関が来て、ぶっ壊してくれたよ(笑)。 それでも輪島関は、横綱の振る舞いとしてリンカーンコンチネンタルに乗ったり、銀座の店に飲みに行ったりしてて、おそらく北の富士さんを見て学んだ部分も多かったと思う。それまでは、大関、横綱もタニマチのケツにくっついてゴチになっているのが多かったからね。 自腹で銀座の店で飲み歩く人なんて横綱大関はほとんどいなかったんじゃないかな。その、(変に)型にハマった横綱像みたいなのを北の富士さんや輪島関はキレイな金の使い方をして今風に改めてくれたよね。場所中は京王プラザホテルに泊まったり、いい店で飲み食いしたり、悪いことではないんだよ。 ただ、その振る舞いに最初は俺たちも戸惑ったね。「横綱がこんなことしていいの!?」って。それに輪島関は花籠部屋で、近くには母校の日大相撲部があったから、相撲部の学生を連れて遊んだりもしていた。そっちの方が気楽だったんだろうね。学生をぞろぞろ連れて批判もされたけど、花籠親方も何も言っていなかったようだし、そういう指導方針だったんだろうね。それから横綱像が変わっていったと思う。 北の富士さんが(もちろん自腹で)ゴルフをやったり、玉乃島さんがボウリングやったりと、徐々に横綱像が変化してきたけど、まだ大将と呼ばれていた時代だ。 そんな中での輪島関の振る舞いは、豪快だけど大将っていう感じじゃなかったよね。 相撲界最後の大将は、強いて挙げるとすれば北の湖かな。彼は北の富士さんのような雰囲気を醸し出していたし、北の湖の名前を出したら、千代の富士も出さないとね。彼も2人に共通する雰囲気があったよ。彼らは俺が見た中で「俺が横綱だ」って、自分自身を戒めている人たちの最後かな。』 ・・・タニマチや相撲番記者にくっついてばかりで “ごっつぁん癖”が取れない多くの力士たちは 多少の金を残しても 人格者としては少しの名も残せません。 輪島さんと北の富士さん、いつ如何なる時も “綺麗に遊んだ粋な遊び人” “伊達漢(だておとこ)”の双璧ですね。 その昔、力士たちが引退後に男芸者のように都会の財閥や地方の有力者に金をせびらなくては生きていけない有り様を嘆いて、力士を辞めた後も生活できるような仕組みを築き角界を改革していった 明治から大正の常陸山谷右衛門関や栃木山守也関の教えを伝承していった北の富士さんと輪島さん。 今の相撲界、北の富士さんがご健在のうちに、横綱の生き方など 粋なお相撲さんであり続けられるよう継承していって貰いたいです。
ゴールデンウィークの5月4日 緑の日(前田山や阿炎の誕生日)に 横綱審議委員会稽古総見が 両国国技館であります! 私はコロナ問題でビビって あと数年は観に行けませんが ニュース等で放送しますか? これからも頑張って下さい♪
大相撲靖国神社奉納巡業観覧 追記 いつもの観覧仲間のひとりは、フランスにしばらく住んでたこともあり、フランス語堪能の女性。 3年ぶりにお会いしたので、「元気でしたか?」と挨拶しながら、つまみに持参したサバ缶を取り出して「サヴァ?」=フランス語でいう“How are you?” と言うと大爆笑してくれました。 彼女のお仲間に渡した “相撲決まり手の手拭い”を頭にかけて日よけにしていたので 「手拭いの端っこの片方を前にもってきて噛んでみて?」と促し、その通りにしてくれたので 「両国橋のたもと の 夜鷹みたい」と茶化したら、(年代的に意味が解ったようで)大笑いしてくれました。 これで “つかみ”は大成功。 朝早くに用意し持参した “鶏そぼろ飯のおにぎり”も皆さん 美味しい と言って完食してくれました。 あとは各々持ち寄った缶ビールやハイボール・つまみ・お弁当などでお腹いっぱい! 例年咲き乱れている八重桜はすでに散ってしまってましたが、お花見気分で大盛り上がりでした。 3時に打ち出し。JR市ヶ谷駅から帰る人と地下鉄九段下から帰る人に分かれて解散。 家路につきました。 私は3年ぶりの東京で、持参した荷物の重さと坂道に苦戦しましたが、楽しい楽しい1日でした。
本当にお相撲関係の番組少ないですよね。 前はもう少し多かった様に感じますが。 武隈部屋が出来てざんばら頭のお相撲さんたまに見かけてとても身近になった様に感じて、物怖じしないチビが話しかけられてお調子者!だから相撲やりたいと言い出して、今は休みに旦那と近くの公園で丸書いてその中で取ってますが。 考えてみたら校庭でもサッカー、野球などの道具もあり出来ますが、お相撲は土俵もどきもないし、何々教室はあれど相撲教室はないですし、今は大谷さんの影響で野球熱が凄い様です。 もっと身近に相撲体験出来る所があればと思います。 後自転車に乗っている姿良く見ますが自転車が可哀想(笑)
靖国神社奉納大相撲巡業 今日、行ってきました。 日差しが強く観客席エリアに屋根がないので、帽子や手拭いで頭を覆って紫外線を避けてました。 結びの一番は、靖国神社奉納大相撲に横綱になって初めて登場した照ノ富士と霧馬山。 照ノ富士が前に出て得意の組み手にして素早く吊り出してましたが、 横綱土俵入りでは四股を踏む脚が全く上がらず不安材料がいっぱいでした。 私は、例によって、昨年や今年の大相撲カレンダーからお目当ての力士の写真を切り抜いて角に貼った色紙を用意して行き、夏場所で大関獲りの可能性もある大栄翔関・年内に大関昇進の可能性が出てきた若元春関、そして宇良関のサインをゲットしました。 サインして貰いながら『大栄翔関、次は大関ですね』と声をかけると「はい、頑張ります!」と力強く言ってました。『本当に頼むよぉ!』と付け加えると「やりますよ」と笑顔で答えてくれました。 一緒に観覧に行った “いつもの大相撲観覧仲間”やそのお友達で初参加の女性二人の計4名にも小型色紙とマジックを用意、控え室から出てきて花道奥で出番を待つ力士たちにサインを貰えるよう渡したら、 高安関・翔猿関・宇良関からサインを貰って喜んでました。 その仲間たちの中の二人は、五月夏場所のチケットもすでに入手したと言ってました。
来週の月曜日(17日) 靖国神社奉納大相撲巡業 へ行ってきます。 仕事を定年退職して3年。以来、初めての大相撲巡業観覧。 久しぶりに、“大相撲観覧仲間”たちと再会です。 観覧無料、です。 色紙とマジック、缶ビールに携帯座布団などを用意し、もうすでに遠足気分。
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自称? オバァ こと 高尾の姉御さん
五月夏場所に行けるといいですね。
以前に国技館で大相撲観戦された際には解説中の北の富士さんの写真を撮ったりサインを頂けましたか?
できたら、北の富士さんとの一緒のツーショット写真を撮れたら最高ですね。
自撮りポーズを練習していって、正面放送席で解説中の北の富士さんとご自分が一緒に映るように撮れるといいですねえ。
まさに綺麗に遊んだ遊び人の伊達男、北の富士さんにぴったりだね!
まぁ時代もよかったから今の様にああだこうだ言われなかったんだろうし、何せ自腹で遊んだのはかっこいいよね。
そしてここが大事な所だよ、色男だから!
いくら遊び方綺麗でも容姿がダメなら絵にならないからね。
ほんとに伊達男だよ。
着流しで銀座闊歩してる姿みてみたいわ!
天龍さんいい事言うね。
北の富士さんの様には今の人はなれないよ。今は体大事にして解説で格好いい姿見せてほしい!
五月もテレビに映るまで心配だから!天龍さんも大事にしてほしいわ。
五月場所体調よければいきたいが、、
現在は入院してリハビリ中の (元力士の) 天龍源一郎さんが入院先から主治医の許可をもらいながら、“大将”にまつわる思い出を語りました。
曰く、『俺がWARを立ち上げた頃、「天龍さん」とか「源ちゃん」とか、いろいろな名前で呼ばれるのが面倒くさくて「大将と呼べ!」と周りに言うようになって、それから大将と呼ばれるようになったけど、俺の中での大将といえば、やっぱり俺がいた二所ノ関部屋の大横綱・大鵬さんだ。
あのころは大鵬さんだけでなく、ほかの部屋の大関や横綱も大将と呼ばれていて、これは相撲界のしきたりというか慣習みたいなものなんだと思う。もともと相撲界は陸軍が仕切っていたから、その影響でトップの人を大将と呼ぶようになったんじゃないかな。仮に海軍が仕切っていたら、今頃俺は元帥と呼ばれていたかもしれないな(笑)。
ただ、俺にとっての大将は大鵬さんだけど、実は俺が大鵬さんを大将と呼んだことは一度もない。下っ端の若い衆の俺が大鵬さんを大将と呼ぶのは、なれなれしすぎるんだよね。ずっと“大鵬関” か ”横綱”と呼んでいたよ。
現在、俺は相撲界とつながりがないからハッキリとは言えないけど、相撲界もだいぶ変わってきて、今、大将と呼ばれる力士はいないんじゃないかな?
俺が相撲を辞めるころでもほとんどいなくなって、当時だと、北の富士さんが大将という感じだったね。北の富士さんは親分肌だったし、あのころの相撲取りはみんな「横綱たるものなめられてはいけない」「若い衆に対してはこうあるべき」という筋が通っていたというか “横綱”というものを背負っていたように思う。それを輪島関が来て、ぶっ壊してくれたよ(笑)。
それでも輪島関は、横綱の振る舞いとしてリンカーンコンチネンタルに乗ったり、銀座の店に飲みに行ったりしてて、おそらく北の富士さんを見て学んだ部分も多かったと思う。それまでは、大関、横綱もタニマチのケツにくっついてゴチになっているのが多かったからね。
自腹で銀座の店で飲み歩く人なんて横綱大関はほとんどいなかったんじゃないかな。その、(変に)型にハマった横綱像みたいなのを北の富士さんや輪島関はキレイな金の使い方をして今風に改めてくれたよね。場所中は京王プラザホテルに泊まったり、いい店で飲み食いしたり、悪いことではないんだよ。
ただ、その振る舞いに最初は俺たちも戸惑ったね。「横綱がこんなことしていいの!?」って。それに輪島関は花籠部屋で、近くには母校の日大相撲部があったから、相撲部の学生を連れて遊んだりもしていた。そっちの方が気楽だったんだろうね。学生をぞろぞろ連れて批判もされたけど、花籠親方も何も言っていなかったようだし、そういう指導方針だったんだろうね。それから横綱像が変わっていったと思う。
北の富士さんが(もちろん自腹で)ゴルフをやったり、玉乃島さんがボウリングやったりと、徐々に横綱像が変化してきたけど、まだ大将と呼ばれていた時代だ。
そんな中での輪島関の振る舞いは、豪快だけど大将っていう感じじゃなかったよね。
相撲界最後の大将は、強いて挙げるとすれば北の湖かな。彼は北の富士さんのような雰囲気を醸し出していたし、北の湖の名前を出したら、千代の富士も出さないとね。彼も2人に共通する雰囲気があったよ。彼らは俺が見た中で「俺が横綱だ」って、自分自身を戒めている人たちの最後かな。』
・・・タニマチや相撲番記者にくっついてばかりで “ごっつぁん癖”が取れない多くの力士たちは 多少の金を残しても 人格者としては少しの名も残せません。
輪島さんと北の富士さん、いつ如何なる時も “綺麗に遊んだ粋な遊び人” “伊達漢(だておとこ)”の双璧ですね。
その昔、力士たちが引退後に男芸者のように都会の財閥や地方の有力者に金をせびらなくては生きていけない有り様を嘆いて、力士を辞めた後も生活できるような仕組みを築き角界を改革していった 明治から大正の常陸山谷右衛門関や栃木山守也関の教えを伝承していった北の富士さんと輪島さん。
今の相撲界、北の富士さんがご健在のうちに、横綱の生き方など 粋なお相撲さんであり続けられるよう継承していって貰いたいです。
ゴールデンウィークの5月4日
緑の日(前田山や阿炎の誕生日)に
横綱審議委員会稽古総見が
両国国技館であります!
私はコロナ問題でビビって
あと数年は観に行けませんが
ニュース等で放送しますか?
これからも頑張って下さい♪
大相撲靖国神社奉納巡業観覧 追記
いつもの観覧仲間のひとりは、フランスにしばらく住んでたこともあり、フランス語堪能の女性。
3年ぶりにお会いしたので、「元気でしたか?」と挨拶しながら、つまみに持参したサバ缶を取り出して「サヴァ?」=フランス語でいう“How are you?”
と言うと大爆笑してくれました。
彼女のお仲間に渡した “相撲決まり手の手拭い”を頭にかけて日よけにしていたので
「手拭いの端っこの片方を前にもってきて噛んでみて?」と促し、その通りにしてくれたので
「両国橋のたもと の 夜鷹みたい」と茶化したら、(年代的に意味が解ったようで)大笑いしてくれました。
これで “つかみ”は大成功。
朝早くに用意し持参した “鶏そぼろ飯のおにぎり”も皆さん 美味しい と言って完食してくれました。
あとは各々持ち寄った缶ビールやハイボール・つまみ・お弁当などでお腹いっぱい!
例年咲き乱れている八重桜はすでに散ってしまってましたが、お花見気分で大盛り上がりでした。
3時に打ち出し。JR市ヶ谷駅から帰る人と地下鉄九段下から帰る人に分かれて解散。
家路につきました。
私は3年ぶりの東京で、持参した荷物の重さと坂道に苦戦しましたが、楽しい楽しい1日でした。
本当にお相撲関係の番組少ないですよね。
前はもう少し多かった様に感じますが。
武隈部屋が出来てざんばら頭のお相撲さんたまに見かけてとても身近になった様に感じて、物怖じしないチビが話しかけられてお調子者!だから相撲やりたいと言い出して、今は休みに旦那と近くの公園で丸書いてその中で取ってますが。
考えてみたら校庭でもサッカー、野球などの道具もあり出来ますが、お相撲は土俵もどきもないし、何々教室はあれど相撲教室はないですし、今は大谷さんの影響で野球熱が凄い様です。
もっと身近に相撲体験出来る所があればと思います。
後自転車に乗っている姿良く見ますが自転車が可哀想(笑)
楽しそうでよかったね。
最近はテレビも相撲関連はしないし、五月まではまだあるし、ここでコメント見るだけだけど。
又観戦に行きたいけど、、
KONさんのコメント楽しそうでこっちも楽しい気持になったわ。
靖国神社奉納大相撲巡業
今日、行ってきました。
日差しが強く観客席エリアに屋根がないので、帽子や手拭いで頭を覆って紫外線を避けてました。
結びの一番は、靖国神社奉納大相撲に横綱になって初めて登場した照ノ富士と霧馬山。
照ノ富士が前に出て得意の組み手にして素早く吊り出してましたが、
横綱土俵入りでは四股を踏む脚が全く上がらず不安材料がいっぱいでした。
私は、例によって、昨年や今年の大相撲カレンダーからお目当ての力士の写真を切り抜いて角に貼った色紙を用意して行き、夏場所で大関獲りの可能性もある大栄翔関・年内に大関昇進の可能性が出てきた若元春関、そして宇良関のサインをゲットしました。
サインして貰いながら『大栄翔関、次は大関ですね』と声をかけると「はい、頑張ります!」と力強く言ってました。『本当に頼むよぉ!』と付け加えると「やりますよ」と笑顔で答えてくれました。
一緒に観覧に行った “いつもの大相撲観覧仲間”やそのお友達で初参加の女性二人の計4名にも小型色紙とマジックを用意、控え室から出てきて花道奥で出番を待つ力士たちにサインを貰えるよう渡したら、
高安関・翔猿関・宇良関からサインを貰って喜んでました。
その仲間たちの中の二人は、五月夏場所のチケットもすでに入手したと言ってました。
来週の月曜日(17日)
靖国神社奉納大相撲巡業 へ行ってきます。
仕事を定年退職して3年。以来、初めての大相撲巡業観覧。
久しぶりに、“大相撲観覧仲間”たちと再会です。
観覧無料、です。
色紙とマジック、缶ビールに携帯座布団などを用意し、もうすでに遠足気分。
来週の月曜日
靖国神社奉納大相撲巡業 へ行ってきます。
3年ぶりの観覧。
観覧無料、です。