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今朝の読売新聞 スポーツ欄の特集「相撲論」にて ちょうど半世紀前の1973昭和48年秋場所 新入幕だった大錦一徹(おおにしき いってつ)にフォーカス。 要約すると 19歳で十両昇進。その場所で十両優勝を果たし場所後に出羽ノ海部屋の名跡四股名である『大錦』を襲名。第26代横綱「大錦卯一郎」を継承したもの。 大錦卯一郎は、大正4年に新入幕で幕内優勝を果たし、翌場所には新小結で準優勝。幕内3場所目には関脇を飛び越えて一気に大関へ昇進した大錦卯一郎。大正6年には。大正時代前半の無敵横綱太刀山峰右衛門を全勝対決で正攻法の一気の寄りで完勝し太刀山を引退に追い込む白星を挙げ、初の幕内最高優勝を全勝で決めると共に、場所後の横綱昇進を決定的にした。大錦の優勝が決定した瞬間の国技館は現在では考えられないほどの大熱狂に包まれ、帯や羽織、座布団に加えて灰皿(現在の灰皿と異なり本当に灰がたっぷり入った深めの鉢)、火鉢、蜜柑などが土俵へ次々に投げ込まれ、興奮のあまり土俵に上がって逆立ちする者、大錦に泣きながら飛び付く者まで現れたと伝わる。それほど太刀山が圧倒的に強かったことを表す逸話だが、太刀山はこれが現役最後の取組となり、横綱の世代交代を象徴する一番となった。大錦は入幕から僅か5場所での横綱昇進となり、現行制度では今後も破られることが無いであろう記録。同じ出羽ノ海部屋の盟友栃木山とともに“出羽ノ海黄金時代”を築きあげ、5年間10場所連続で出羽海部屋に幕内優勝の天皇賜盃をもたらせた。 腰痛や糖尿病で苦しみ、先代大錦(卯一郎)や、同期で“花のニッパチ組”としての出世頭“怪童”北の湖のような大関・横綱への昇進は果たせませんでしたが とにかく新入幕の場所は凄かった。 1973昭和48年秋場所では、立ち合いの変化や当たってからの“居なし”もせず、左前まわしに右おっつけの正攻法の相撲で連戦連勝、九日目で勝ち越し。後半戦では「割り崩し」で三役陣との対戦が組まれ、関脇魁傑や大関貴ノ花、横綱琴櫻まで撃破し、新入幕力士による三賞独占をやってのけた。 令和時代になった今でもこの新入幕力士による“三賞独占”は誰も達成していません。 後年、貴花田と出島・琴光喜の3力士が三賞トリプル受賞していますが、この時は他にも受賞者がいましたので、三賞独占というのは、後にも先にも この大錦一徹関のみ。 現役引退後は、出羽海部屋付きの年寄山科として協会に貢献しました。2018年に65歳定年を期に、協会の再雇用制度を利用することなく、潔く退職して後進の人たちのため、年寄株を明け渡しました。 偉い‼️
私事ですが 昨日、退院しまして、自宅に無事戻りました。13日ぶりの自宅です。 帰宅したら 愛犬ココアがずっとそばに まとわりついて来て腕や手の甲をなめ回してきてます。 この仔犬の為にも、朝の散歩をはじめ、早く元通りの日常生活ができるようにしていきます。 4kgほど体重も減りました。 これからは ①食べ過ぎないように(お腹六分目をマックスとする) ②よく噛んで食べるように (口に食べものを運んだら一度箸を置いて噛むことに専念する) ③(料理が冷めてもいいから=冷めたほうがいいから)ゆっくり食べるように 以上を実践していきます。 ご心配をおかけしました。
北の富士さん退院という事は体調悪そうで引き続き心配なのは変わらないけど一安心したわ。 後は解説に出れるかだけど、無理はしないでほしいね。 この所入院が多くなってるのが心配だけど情報出て来たからそこはよかったけど。 情報ありがとう。
4年ぶりに一般に公開されて行なわれた稽古総見で新小結・錦木(伊勢ノ海)が右ふくらはぎ付近を負傷。ぶつかり稽古後に土俵脇で座り込み、患部を押さえた。その後、足を引きずりながら花道を後にすると「肉離れだと思う。すごく痛い。久々にやるとよくないですね。どうにか治します」と顔をしかめながら言葉を絞り出した。 この日は大関・霧島(陸奥)、関脇・大栄翔(追手風)らと4番の相撲を取り1勝。だが「番数は少ないですけど上の人と良い稽古になった」と語ってはいました。
稽古総見 大関・貴景勝(27=常盤山部屋)は申し合い稽古に参加し、2大関2関脇を相手に計12番取って6勝6敗だった。名古屋場所を全休し、夏巡業でも申し合いには参加していなかったため、他の部屋の関取衆と実戦稽古を行うのは約4カ月ぶり。大関同士の豪華な申し合いで復調ぶりを示した。 霧島と豊昇龍の後輩大関を相手に、持ち味の出足で一気に押し出す相撲も見られた。「なかなか大関同士で取れることもないので、良い稽古になりました」。両膝のケガで、途中休場した春場所以降思うような相撲が取れていなかったが「もう全然大丈夫。膝は(負けの)理由にならない。100%の力で戦いに集中できる」と万全を強調した。 この日は、4年ぶりに稽古総見が一般公開された。前回は19年秋場所前で、貴景勝が大関から陥落している時だった。「その時に稽古総見で“意外と相撲取れるな”と思った」と振り返り「そういう意味では今日もケガ明けなのでよかった」と、4年前を思い出すような好感触を得た。 秋場所(10日初日、東京・両国国技館)はカド番で臨むことになるが、もちろん勝ち越しが目標ではない。「大関は三賞もないので、優勝かそれ以外しかない。優勝しか目指してないです」。ケガの不安についても「深いことは考えず、自分のやるべきことを出し切れれば問題ない」と力強く言い切った。完全復活を前に、表情は明るかった。
北の富士さん情報 4年ぶりに一般公開となった “稽古総見”のあとに、太刀持ちに君ヶ浜親方(38=元関脇隠岐の海)、露払いに幕内北勝富士(31)を従えて力強い雲竜型を披露し “還暦土俵入り”を無事終えた八角理事長が 「やっぱりホッとしましたね。あっと言う間に終わった。入ってきた時に『北勝海』と言われてジーンときました。現役のころ、横綱で休場明けの土俵入りで『待ってた、北勝海』と言われた時を思い出した。(土俵入りで)弟子を従えて、弟子に綱を締めてもらって。その後の記念撮影も元弟子がいっぱい来てくれて。親方冥利(みょうり)に尽きる」と感慨深げに語った。 師匠としても、今年で部屋を構えてから30年の節目にあたる。「よく頑張ってきたなと思ってますね。周りが応援してくれたからこそ、維持できた。(部屋の支援者は)最初は、ほとんどの支援者の方が北の富士親方の知り合いですから。親方にはお世話になりました」と現役時代の師匠に感謝。 その北の富士勝昭氏(81=元横綱)は3月の春場所からNHK大相撲中継の解説を休んでいるが 「北の富士さん? はい、元気になって退院しました」と近況を明かしたそうです。
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アーァ北の富士さん又休みだね 。
残念でたまらない。
退院したのならせめてコラムだけでも書いてほしいんだけと、、、
元気になっておくれ。
頑張れ、頑張れ。
今日の5時から
NHK①ニュースしぶごじ
『相撲部』のコーナーでは
「推し活」と題して秋場所直前の大相撲への盛り上がりを放送します
今朝の読売新聞
スポーツ欄の特集「相撲論」にて
ちょうど半世紀前の1973昭和48年秋場所
新入幕だった大錦一徹(おおにしき いってつ)にフォーカス。
要約すると
19歳で十両昇進。その場所で十両優勝を果たし場所後に出羽ノ海部屋の名跡四股名である『大錦』を襲名。第26代横綱「大錦卯一郎」を継承したもの。
大錦卯一郎は、大正4年に新入幕で幕内優勝を果たし、翌場所には新小結で準優勝。幕内3場所目には関脇を飛び越えて一気に大関へ昇進した大錦卯一郎。大正6年には。大正時代前半の無敵横綱太刀山峰右衛門を全勝対決で正攻法の一気の寄りで完勝し太刀山を引退に追い込む白星を挙げ、初の幕内最高優勝を全勝で決めると共に、場所後の横綱昇進を決定的にした。大錦の優勝が決定した瞬間の国技館は現在では考えられないほどの大熱狂に包まれ、帯や羽織、座布団に加えて灰皿(現在の灰皿と異なり本当に灰がたっぷり入った深めの鉢)、火鉢、蜜柑などが土俵へ次々に投げ込まれ、興奮のあまり土俵に上がって逆立ちする者、大錦に泣きながら飛び付く者まで現れたと伝わる。それほど太刀山が圧倒的に強かったことを表す逸話だが、太刀山はこれが現役最後の取組となり、横綱の世代交代を象徴する一番となった。大錦は入幕から僅か5場所での横綱昇進となり、現行制度では今後も破られることが無いであろう記録。同じ出羽ノ海部屋の盟友栃木山とともに“出羽ノ海黄金時代”を築きあげ、5年間10場所連続で出羽海部屋に幕内優勝の天皇賜盃をもたらせた。
腰痛や糖尿病で苦しみ、先代大錦(卯一郎)や、同期で“花のニッパチ組”としての出世頭“怪童”北の湖のような大関・横綱への昇進は果たせませんでしたが
とにかく新入幕の場所は凄かった。
1973昭和48年秋場所では、立ち合いの変化や当たってからの“居なし”もせず、左前まわしに右おっつけの正攻法の相撲で連戦連勝、九日目で勝ち越し。後半戦では「割り崩し」で三役陣との対戦が組まれ、関脇魁傑や大関貴ノ花、横綱琴櫻まで撃破し、新入幕力士による三賞独占をやってのけた。
令和時代になった今でもこの新入幕力士による“三賞独占”は誰も達成していません。
後年、貴花田と出島・琴光喜の3力士が三賞トリプル受賞していますが、この時は他にも受賞者がいましたので、三賞独占というのは、後にも先にも この大錦一徹関のみ。
現役引退後は、出羽海部屋付きの年寄山科として協会に貢献しました。2018年に65歳定年を期に、協会の再雇用制度を利用することなく、潔く退職して後進の人たちのため、年寄株を明け渡しました。
偉い‼️
私事ですが
昨日、退院しまして、自宅に無事戻りました。13日ぶりの自宅です。
帰宅したら
愛犬ココアがずっとそばに まとわりついて来て腕や手の甲をなめ回してきてます。
この仔犬の為にも、朝の散歩をはじめ、早く元通りの日常生活ができるようにしていきます。
4kgほど体重も減りました。
これからは
①食べ過ぎないように(お腹六分目をマックスとする)
②よく噛んで食べるように
(口に食べものを運んだら一度箸を置いて噛むことに専念する)
③(料理が冷めてもいいから=冷めたほうがいいから)ゆっくり食べるように
以上を実践していきます。
ご心配をおかけしました。
北勝海!!日本一!!
還暦土俵入りで見せた勇姿、まだ30代でしょ(•‿•)
北の富士さん退院という事は体調悪そうで引き続き心配なのは変わらないけど一安心したわ。
後は解説に出れるかだけど、無理はしないでほしいね。
この所入院が多くなってるのが心配だけど情報出て来たからそこはよかったけど。
情報ありがとう。
九月場所も近づくに比例して
相撲関係の番組が増えています!
BSフジの大相撲がっぷり総研と
脳ベルショウスペシャルが
色々と面白かったです!
これからも頑張って下さい♪
4年ぶりに一般に公開されて行なわれた稽古総見で新小結・錦木(伊勢ノ海)が右ふくらはぎ付近を負傷。ぶつかり稽古後に土俵脇で座り込み、患部を押さえた。その後、足を引きずりながら花道を後にすると「肉離れだと思う。すごく痛い。久々にやるとよくないですね。どうにか治します」と顔をしかめながら言葉を絞り出した。
この日は大関・霧島(陸奥)、関脇・大栄翔(追手風)らと4番の相撲を取り1勝。だが「番数は少ないですけど上の人と良い稽古になった」と語ってはいました。
稽古総見
大関・貴景勝(27=常盤山部屋)は申し合い稽古に参加し、2大関2関脇を相手に計12番取って6勝6敗だった。名古屋場所を全休し、夏巡業でも申し合いには参加していなかったため、他の部屋の関取衆と実戦稽古を行うのは約4カ月ぶり。大関同士の豪華な申し合いで復調ぶりを示した。
霧島と豊昇龍の後輩大関を相手に、持ち味の出足で一気に押し出す相撲も見られた。「なかなか大関同士で取れることもないので、良い稽古になりました」。両膝のケガで、途中休場した春場所以降思うような相撲が取れていなかったが「もう全然大丈夫。膝は(負けの)理由にならない。100%の力で戦いに集中できる」と万全を強調した。
この日は、4年ぶりに稽古総見が一般公開された。前回は19年秋場所前で、貴景勝が大関から陥落している時だった。「その時に稽古総見で“意外と相撲取れるな”と思った」と振り返り「そういう意味では今日もケガ明けなのでよかった」と、4年前を思い出すような好感触を得た。
秋場所(10日初日、東京・両国国技館)はカド番で臨むことになるが、もちろん勝ち越しが目標ではない。「大関は三賞もないので、優勝かそれ以外しかない。優勝しか目指してないです」。ケガの不安についても「深いことは考えず、自分のやるべきことを出し切れれば問題ない」と力強く言い切った。完全復活を前に、表情は明るかった。
北の富士さん情報
4年ぶりに一般公開となった “稽古総見”のあとに、太刀持ちに君ヶ浜親方(38=元関脇隠岐の海)、露払いに幕内北勝富士(31)を従えて力強い雲竜型を披露し “還暦土俵入り”を無事終えた八角理事長が
「やっぱりホッとしましたね。あっと言う間に終わった。入ってきた時に『北勝海』と言われてジーンときました。現役のころ、横綱で休場明けの土俵入りで『待ってた、北勝海』と言われた時を思い出した。(土俵入りで)弟子を従えて、弟子に綱を締めてもらって。その後の記念撮影も元弟子がいっぱい来てくれて。親方冥利(みょうり)に尽きる」と感慨深げに語った。
師匠としても、今年で部屋を構えてから30年の節目にあたる。「よく頑張ってきたなと思ってますね。周りが応援してくれたからこそ、維持できた。(部屋の支援者は)最初は、ほとんどの支援者の方が北の富士親方の知り合いですから。親方にはお世話になりました」と現役時代の師匠に感謝。
その北の富士勝昭氏(81=元横綱)は3月の春場所からNHK大相撲中継の解説を休んでいるが
「北の富士さん? はい、元気になって退院しました」と近況を明かしたそうです。