全長302m・大西洋をぶっ飛ばした「史上最速の客船」やっと沈められる! 引退から57年 最後の「アメリカのスゴい船」

「6月に詰む」日本の石油状況は

大西洋最速を誇った豪華客船「ユナイテッド・ステーツ」。間もなく最後の出港を行い、フロリダ沖で人工漁礁として沈められます。

最後の「アメリカのスゴい船」終わる

 かつて多くの人々を乗せて大西洋を駆け抜けた豪華客船「ユナイテッド・ステーツ」がもうすぐ最後の出港を行い、世界最大の“人工漁礁”として米フロリダ沖に沈められます。フロリダ州オカルーサ郡委員会は同船の沈設作業を2026年11月12日に、デスティン・フォート・ウォルトン・ビーチから南西約22海里のメキシコ湾で実施すると発表しました。

 この船はかつてアメリカが威信をかけて建造した「世界最速の客船」です。それが役目を失ってから実に57年を経て、ようやくその“最期”が決まったことに、世界中から注目が集まっています。煙突やレーダーマスト、銘板などは撤去されており、開設が予定されている博物館に展示される予定です。

「ユナイテッド・ステーツ」は北米東海岸の大都市ニューヨークと、欧州のル・アーブル(フランス)、サウサンプトン(イギリス)を結ぶ大西洋横断航路の外航客船(オーシャンライナー)として1952年7月にデビューしました。建造ヤードはニューポート・ニューズ造船所(NNS)で、設計者はウィリアム・ギブス技師。運航を手掛けたのはユナイテッド・ステーツ・ライン(USL)です。

 総トン数は5万3329トンで全長は302m、幅30.9m。客室はファーストクラス、キャビンクラス、ツーリストクラスの3等級に分かれており、約2000人の旅客を乗せることができました。内装はミッドセンチュリーモダン様式が採用され、船内には船名を象徴するように白頭鷲や各州の花、フランクリン・ルーズベルト大統領が唱えた4つの自由を象徴する彫刻などが飾られていました。

「ユナイテッド・ステーツ」のスペックで特筆すべきはそのスピードです。海上公試では約38ノット(約70.4km/h)を発揮。営業航海では最高速力で36ノット(約66.7km/h)を記録しました。

 軽量化のために上部構造物は全てアルミニウムで製造されたほか、内装に木材をほとんど使用しない不燃性の徹底、浸水対策のための厳格な区画化、片方の機関室が故障した場合に電力供給を維持するための二重機関室など、ありとあらゆる安全対策が盛り込まれていました。

冷戦時代は船! 飛行機よりなんたって船!

 このような高速豪華客船がなぜ生まれたのか、キーワードはスピード競争と冷戦です。ジェット旅客機による大量輸送が一般的になる前、北米―欧州間の移動は大型の客船が主役でした。

 大西洋航路のオーシャンライナーは旅客や貨物を多く積む船体の大きさだけでなく、船内設備の豪華さと、ライバルより早く目的地に着く速度が求められました。最高平均速度を記録した船は「ブルーリボン」の称号を持つとされています。1930年代にはドイツ、イタリア、フランス、イギリスの各国が、国家の威信をかけて新鋭船を投入しました。

 一方でアメリカは大西洋航路のスピード競争には完全に出遅れており、それは第二次世界大戦を経ても変わりませんでした。特にイギリス船社のキュナード・ホワイト・スター・ライン(現キュナード・ライン)は「クイーン・メリー」と「クイーン・エリザベス」の2隻を同航路に就航させており、設備・速度ともに圧倒的な強みを誇っていました。

 こうした中、アメリカ独自の豪華客船を建造しようという機運が高まります。さらに第二次世界大戦で徴用された客船が兵員輸送で活躍したことから、アメリカ軍としても米本土からアジアや欧州へ兵力の展開を迅速に行える、高速の大型兵員輸送艦を求めていました。

 そのような背景からアメリカの国家的なプロジェクトとして「ユナイテッド・ステーツ」の建造計画が進められることになります。船価は7000万ドル。このうち海軍が2540万ドル、政府が建造補助として1660万ドルとして出し、USLは2800万ドルを負担しました。さらに朝鮮戦争が激化すると運航費の大部分も米政府が補助することとしていたなど、軍に徴用されることを前提としていたため、建造当初は詳細なスペックは極秘で公開されていませんでした。

 アメリカの期待を一身に背負った「ユナイテッド・ステーツ」は1952年7月3日、サウサンプトンへ向けてニューヨークを出港。この航海で平均速力35.59ノットを発揮し、3日10時間40分で大西洋を走破しました。

 これにより、ブルーリボンの栄誉を約100年ぶりにアメリカ船籍の船が獲得しました。同時に、これが大西洋航路のオーシャンライナーにとって最後の輝きでもありました。

乗組員の私物も残されたまま「突然の引退」

 デューク・エリントンやサルバドール・ダリ、ウォルト・ディズニー、マリリン・モンロー、そしてウィンザー公爵夫妻などが利用し人気を博した「ユナイテッド・ステーツ」でしたが、1958年に英国海外航空(BOAC)とパンアメリカン航空(パンナム)が商用ジェット旅客機のサービスを大西洋横断航路で始めると、徐々に利用客が離れはじめます。

 アメリカ軍も兵員の展開に船舶ではなく、より高速の航空機を重視するようになり、兵員輸送艦として大型客船を維持する必要性が薄くなっていました。

 そこにストライキなどの労働争議、石油価格の高騰、米政府からの補助金の減少などが重なり、USLの経営は悪化の一途を辿ります。同社は1969年11月、「ユナイテッド・ステーツ」がニューポート・ニューズ造船所で定期オーバーホール中に運航の停止を発表。乗組員の私物や備品が残されたまま、突如として引退することになりました。

57年も幽霊船だったが、その存在はみんな覚えていた

「ユナイテッド・ステーツ」はその後、所有者が何度も変わり、再活用の道や保存に向けた試みが行われたものの全て不調に終わり、最終的にオカルーサ郡が人工漁礁として沈設するために購入しました。

 かつて大西洋航路で多くの船が最速を競い合いましたが、ブルーリボンの称号を持っていた船で、保存・活用されているのはキュナードの「クイーン・メリー」1隻のみ。太平洋航路に目を転ずれば、戦前の大型商船で現存するのは日本郵船の貨客船「氷川丸」だけです。

 アメリカが持つ技術の粋を集め、その象徴として建造されたオーシャンライナーは、時代に翻弄され色褪せた船体を水上に浮かべ続けていました。「ユナイテッド・ステーツ」はすでに停泊していたフィラデルフィアからアラバマ州モービルへ移動し、最後の出港の時を待っています。