日本国憲法の公布から3日で80年を迎えた。2月の衆院選で3分の2を大きく超える議席を獲得した自民党と日本維新の会は前のめりになり、憲法改正の国会発議を模索。80年間改正されなかった憲法は分水嶺(れい)に差し掛かっている。ただ、改憲を巡る与野党の合意形成は進んでおらず、国民的な議論も高まっているとは言い難い。
日本国憲法は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を原則とする国の最高法規。終戦を受け、大日本帝国憲法を改正する形で制定され、1946年11月に公布、47年5月に施行された。
連合国軍総司令部(GHQ)は46年2月、日本政府が提出した「憲法改正要綱」を拒否し、「マッカーサー草案」を提示。日本国憲法案は同草案を指針に作成された。こうした経緯から、改憲派には現在でも「押し付け憲法」論が根強い。
55年に結党した自民は「憲法の自主的改正」を掲げたものの、護憲を旗印とする社会党と対峙(たいじ)。自民が日米安全保障条約の存在を背景に経済発展を重視したこともあり、55年体制の下では改憲は現実的な政治課題にならなかった。
変化が生じたのは55年体制が幕を閉じた90年代だ。湾岸戦争をきっかけに自衛隊の海外派遣を巡る議論が活発化し、国際貢献の必要性が叫ばれた。
2000年には衆参両院の憲法調査会が設置され、憲法に関する議論が進んだ。改正に意欲的な第1次安倍政権の下、07年には改憲手続きを定めた国民投票法が成立。衆参に憲法審査会が置かれ、改憲原案の審査を視野に入れた議論が始まった。
安倍晋三首相(当時)は民主党から政権を奪還すると、14年に集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更を閣議決定。16年参院選で改憲勢力が衆参の3分の2超を初めて獲得したことを受け、「20年を新憲法施行の年にしたい」と表明し、4項目の改憲条文案をまとめた。しかし、安倍氏は20年に退陣。続く政権も進展を図れなかった。
25年の高市早苗首相(自民総裁)の就任を受け、局面は再び変わりつつある。改憲論議で自民と一線を画した公明党が連立政権から離脱し、改憲に意欲的な維新が代わって政権に参加。与党は条文起草協議会を設置し、改憲原案づくりを急いでいる。
首相は今年4月の自民党大会で「国会発議にめどが立ったと言える状態で来年の党大会を迎えたい」と表明した。ただ、優先項目や条文案を巡る自民、維新両党の隔たりは大きく、自民の衆院側と参院側の足並みもそろっていない。自民内では28年参院選後の発議を目指すのが現実的との声も出ている。
〔写真説明〕1946年11月3日に公布された日本国憲法の公布原本(御署名原本)。右端が昭和天皇の御名、御璽=2017年4月、東京都千代田区の国立公文書館