モンキーやダックスは“遊び”だろ? ヤマハが対抗した「本気のミニバイク」がアツい! 近年再び化けて出る

空き家の85%、1年後も空き家

1970年代に大ブームとなったモンキーやダックスなどのレジャーバイク。その中で、ヤマハが「遊び心」ではなく「本気」を持ち込んで開発した小さな名車が「ミニトレ」シリーズでした。

ヤマハが切り開いたトレールバイクの末っ子として登場

 1970年代にホンダのモンキーやダックスが火付け役となり、大ブームを巻き起こしたレジャーバイク。このブームの最中、ヤマハは同クラスの代表モデルとして、小さな車格ながら“本格仕様”のバイクを打ち出しました。それが、ミニトレールシリーズ(通称:ミニトレ)です。

 ここで本題のミニトレを紹介する前に、ヤマハが切り開いたバイクカテゴリー「トレール」をひもときます。

 1960年代後半、アメリカ・コロラド州デンバーにおけるバイクのセールスマンがヤマハにある進言をしました。「デンバーではロードスポーツバイクは売れない。しかし、公道だけでなく、草原や山を自由に走り回るタイプのバイクは人気を集めている。ヤマハでも作ってみたらどうか」

 これを受けたヤマハの担当者は、モトクロッサー・トライアル双方の要素を兼ね備え、さらに公道でも走行できる新型バイクの開発に着手。そこで生まれたのが初の250ccのトレールモデル、1968年発売のヤマハ・DT1でした。ヤマハはこのモデルによって、バイクシーンに「トレール」という新ジャンルを浸透させました。

 発売以来飛ぶように売れたDT1をそのままスケールダウンさせたかのように開発したのが、1970年発売の「本質的な意味での『ミニトレ』初代モデル」と呼ばれる、FT-1でした。

 2ストローク50ccにして、本格的なダブルクレードルフレーム、ロータリーディスクバルブ、セリアーニ式フロントフォーク、セパレートメーターなどを採用し、ミニバイクながら充実した装備で人気を集めました。同時代、レジャーバイクとしてヒットしていたホンダのモンキーやダックス、スズキのバンバンとは似て非なる本格派で、軽快な走りが持ち味のモデルでした。

1972年のGT50/80以降「ミニトレ」の呼称が浸透

 FT-1は、翌年1971年にFT50と改名、さらに1972年にはピストンリードバルブエンジンに変更のうえミニGT50/80と改名し、大ヒットに至ります。

 結果的に「ミニトレ」といえば、このGTを指すことが多く、今日でもコアなファンから熱い視線を注がれ続けるモデルになりました。

 1972年のミニGT50/80のシフトパターンは独特で、一番下がニュートラルで、上に1速ずつ4速まであげていく仕組みでした。こういったミニトレ特有のクセに、当時のユーザーの間では賛否両論があったようですが、74年、75年は基本構造を変えず外装グラフィックなどの変更のみで、77年モデルの「5速化」まで継承され続けました。

ミニバイクとは思えぬ進化を遂げながらも1982年に生産終了へ

 さらに1979年にはリヤショックが2本から1本(モノクロスサスペンション)に変更、80年にはCDI化・角パイプスイングアームを採用するなど、当時としては最新鋭のブラッシュアップを重ねて行きました。ヤマハがいかにこのモデルに注力していたかもよくわかります。

 しかし、80年代初頭のミニバイク市場はスクーターが席巻し始めたこともあり、81年発売のモデルを持ってミニトレは生産終了に至ります。

中国で復活した「現代版ミニトレ」はスパルタンなルックスに

 結果的には9年間の生産期間だったミニGT50/80でしたが、搭載されたピストンリードバルブは、後のヤマハの多くの車種に採用されました。また、ミニトレの車格は、コンセプトこそ異なるものの前後12インチのYSR50などのミニバイク開発のきっかけにもなりました。

 そもそも「トレール」というカテゴリー自体ヤマハが切り開いたものでしたが、その末っ子であるミニトレは、ユーザーの多いミニバイク市場にヤマハが熱い情熱を注いで挑んだモデルだったように思います。

 一見すれば、確かにミニトレは「遊び」に最適なバイクのように感じますが、レジャーバイクブームの中で、他車に抜きん出る本格装備と注がれた進化を見るに、ヤマハが「遊び」ではなく「本気」で作った小さな名車だったと言って良いでしょう。

 また、2023年には、ミニGT50/80を現代にリメイクしたように映るGT150フェーザーというモデルが中国市場で復活しました。かつてのミニトレと比較すれば、かなりスパルタンなルックスにはなっていますが、こういった復活モデルの登場もまた、今日まで続くミニトレの影響力の強さを物語っているようにも思います。