近鉄奈良線と阪急京都線は、昔の都の跡に線路が突っ切っており、光景が極端に異なります。その模様を空から観察しました。
対照的な平城宮跡と長岡宮跡
日本全国の鉄道は、ときに古の都の中を線路が延びています。近畿日本鉄道(近鉄)大和西大寺駅(奈良県奈良市)のすぐ南東側には、世界遺産の平城宮跡があります。平城宮跡は710(和銅3)年に藤原京から遷都された平城京の中心です。史跡は広大な草地となっており、その中心部を近鉄奈良線大和西大寺~新大宮間の線路が貫いています。世界遺産の中を突っ切る近鉄電車の雄姿を、小型機で空撮しました。
そもそも、なぜ線路が平城宮跡を横断しているのかというと、近鉄の前身である大阪電気軌道の線路が敷設された大正時代、平城宮跡一帯は田畑や荒地で、すでに知られていた大極殿跡を避けた南側に、線路を敷設しました。しかしその後の発掘調査では、詳細な区画の跡が出土し、平城宮跡は特別史跡となったのです。そのため、線路は特別史跡となった後も残され、現在に至っています。
また1998(平成10)年には朱雀門(すざくもん)が復元され、古の門と近鉄電車とが近接して見られるようになりました。奈良線については、平城宮跡の景観改善や交通渋滞緩和を目的に線路を南に移設し、平城宮跡を迂回しながら大和西大寺~近鉄奈良間を結ぶ新ルート案が検討されていますが、迂回ルートの工事費は大和西大寺駅や奈良線新ルートの高架化と地下化を含んで2000億円以上かかる見込みです。事業の見通しについて奈良県と近鉄などが協議を重ねています。
平城宮跡歴史公園は、朱雀門から直線で進むと大極門となり、その先に第一次大極殿が復元されています。大極門は2017年から東楼の復元工事を始め、2026年3月に復元完成しました。空撮日は2018年と少々古いのですが、復元工事はまだ開始したばかりの状態でした。
平城宮跡を空から見ます。眼下では近鉄奈良発の「伊勢志摩ライナー」が通過し、平城宮跡と私鉄特急という、古の歴史と現代の電車が交差する出会いがあります。復原された朱雀門は真紅の門柱が目を引き、「伊勢志摩ライナー」の赤い車体、朱雀門の瓦屋根と真紅の門柱、平城宮跡の草地の緑、歩行者用の小さな踏切などなど、それぞれの要素が瞬時に合わさって、歴史を越えたコントラストを描いていました。奈良線の車窓からは、朱雀門と都の跡の草地が望め、列車に乗車しながら世界遺産を堪能できる稀有な体験ができます。
古の都を突っ切る線路は、近鉄奈良線だけではありません。平城宮跡から北西へ約30kmの阪急京都線西向日(にしむこう)駅(京都府向日市)一帯には、長岡京が存在していました。長岡京は、平城京から784(延暦3)年に遷都して誕生した都でしたが、大洪水や桓武天皇の弟、早良親王の死など不吉なことが重なり、わずか10年で平安京へと遷都されました。
長岡京の中心となった長岡宮は、西向日駅の北約300m周辺に位置し、現在は長岡宮跡の大極殿公園が整備されています。平城宮跡は広大な草地で史跡なのに対し、長岡宮跡は大極殿付近が公園であるものの、一帯は住宅地となっており、碁盤の目だった都の道筋の名残りも見当たらず、上空から見ても古都の痕跡は分かりません。平城宮跡と対照的に、車窓から観察していても住宅が過ぎ去るだけで、大極殿の場所も分かりづらいです。
1000年以上昔の古都は、中心の大極殿付近が史跡になることは多いものの、平城宮跡のようなケースは稀です。遷都された都と遷都されてきた都、双方の古都に大手私鉄2社の線路が突っ切っているのは、改めて空から見るとおもしろいですね。