2026年3月、海上自衛隊に「水上艦隊」が創設されました。約90隻もの艦艇を擁する大艦隊ですが、それらの母港は、横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊の「5大基地」に分かれています。これら5大拠点の役割と特徴を比べてみます。
大改編! 新生「水上艦隊」を支える5つの母港
海上自衛隊は2026年3月、自衛艦隊隷下の護衛艦隊と掃海隊群を廃止し、水上艦隊を新編しました。水上艦隊は、3個水上戦群、水陸両用戦機雷戦群、哨戒防備群などで編成され、保有艦艇は、護衛艦や掃海艦艇、輸送艦、多用途支援艦など約93隻、約40万トンに及びます。
潜水艦や試験艦など、海上自衛隊には水上艦隊に属していない艦艇も複数ありますが、これらの母港として、大きく横須賀(神奈川県)、呉(広島県)、佐世保(長崎県)、舞鶴(京都府)、大湊(青森県)の5つの基地が設けられています。それぞれ、どのような特徴があるのか、改めて見てみましょう。
最も歴史の長い横須賀基地
横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊の各基地はいずれも旧日本海軍時代の軍港を転用し、今に至っています。それらの中で最も歴史の長いのが、横須賀基地です。
ここは、1865(慶応元)年に徳川幕府が造船所を開き、1884(明治17)年に旧日本海軍が横須賀鎮守府を開庁したことで、軍港として歩み始めました。以降、横須賀鎮守府は東京に最も近いため、一貫して首都防衛を受け持ってきた基地でもあります。
しかし、1945(昭和20)年の敗戦によって横須賀軍港の主要施設などがアメリカ軍に接収され、ほとんどが米軍地区となってしまった結果、海自が使用している敷地面積は、旧海軍時代の3割程度とされています。
海自横須賀基地は吉倉、船越、田浦の各地区などに分かれます。吉倉地区には、横須賀地方総監部庁舎と大型水上艦が係留できる岸壁があります。一方、船越地区には自衛艦隊司令部などが入る海上作戦センターが置かれ、その岸壁には掃海艦艇や海洋観測艦などが係留されています。
そして、横須賀に配備される主な艦艇は、護衛艦13隻、潜水艦11隻をはじめ掃海艦や補給艦、砕氷艦「しらせ」など多岐に及びます。なお、潜水艦は横須賀基地と呉基地にのみ配備されていますが、横須賀では米軍基地内にある楠ヶ浦地区にも係留されています。
“南西シフト”で重要度MAX? 艦艇が集う「呉・佐世保」
昨今、重要性が増しているのが、呉基地と佐世保基地です。
基地機能が拡充される呉基地
瀬戸内海の広島湾に位置する呉基地は、1889(明治22)年に開庁した旧海軍の呉鎮守府が前身です。呉は、戦艦「大和」を建造した「東洋一の海軍工廠」が設けられ、港外には連合艦隊の集結地として有名な柱島泊地がありました。
第二次大戦終結まで横須賀と並ぶ軍港だった呉は戦後、旧海軍の施設を引き継ぐ形で1954(昭和29)年7月に海自呉地方隊が発足しています。その後、1990年代半ばに練習艦隊と第4護衛隊群(当時)の司令部が移転してきたことで、呉基地には現在、海自で最多の艦種と40隻以上の艦艇が配備されています。
なお、呉基地は護衛艦(8隻)こそ少ないものの、潜水艦は14隻配置されているほか、音響測定艦や輸送艦、訓練支援艦、敷設艦、練習艦など、ほかの基地では見られない自衛艦が数多くいるのが特徴です。ちなみに、これら艦艇を係留する係船堀地区は、他の基地と比べて岸壁や桟橋が多く、海自基地で最も多くの艦艇を係留できます。
もうひとつ呉基地に関する話題としては、基地機能の一部を拡充する計画がある点です。
これは、日本製鉄と防衛省が2025年7月、瀬戸内製鉄所呉地区跡地(呉海軍工廠跡地)の売買契約締結に向けた基本的事項の合意に至ったためです。そして、その施設整備の計画には、艦船用燃料タンクや部品の倉庫、大型艦艇が接岸できる岸壁が含まれています。
「西海の護り」佐世保基地
呉鎮守府と同じ年に開庁した旧海軍の佐世保鎮守府を源流とする佐世保基地は、中国大陸や南西地域に最も近く、「西海の護り」の拠点となっています。また、同じ佐世保市内には島嶼防衛の一翼を担う陸上自衛隊水陸機動団が所在する相浦駐屯地があることから、3月に新編されたばかりの水陸両用機雷戦群の司令部が置かれています。
佐世保基地は、横須賀基地と同様、第二次大戦後にアメリカ海軍に主要施設が接収されたため、今でも米軍艦船が常駐しているのが特徴です。
そのため、米軍地区の面積は海自の約3倍となっており、海自部隊は平瀬、崎辺、立神、干尽の各地区などに点在しています。このなかで、大型艦はアメリカ海軍と共用するかたちで立神桟橋に、小型艦艇は干尽地区の倉島岸壁に係留します。
佐世保基地には、水陸両用機雷戦群の直轄艦「いせ」や海自保有のイージス艦の半数(4隻)を含む護衛艦16隻、ミサイル艇2隻、掃海艦3隻などが配備されています。
対ロシア・北朝鮮の最前線! 日本海と北の護り「舞鶴・大湊」
海上自衛隊には、北朝鮮やロシアに睨みを利かせるための基地もあります。
日本海側の重要拠点、舞鶴
舞鶴鎮守府は、日露戦争前の緊迫化する情勢を受け、1901(明治34)年10月、舞鶴湾に開庁しました。この舞鶴鎮守府の敷地と施設を継承する舞鶴基地は、日本海側の中核拠点として、北朝鮮による1998(平成10)年の弾道ミサイル「テポドン」発射や、翌年に起きた能登半島沖不審船事件以降、重要性がますます高まっています。第3水上戦群の司令部が置かれているほか、現在はイージス艦2隻を含む護衛艦8隻と、俊足のミサイル艇2隻、掃海艇2隻などが配備されています。
ちなみに、旧海軍時代に舞鶴鎮守府が設置された決め手は、舞鶴湾の湾口が狭く、かつ四方を山に囲まれているなど防御に適しており、また湾内は波静かで多くの艦船が停泊できるなど、軍港として理想的な地形だったからとか。この地形に加え、横須賀や佐世保のように米軍施設がない舞鶴基地は、舞鶴湾を囲むように関係部隊なども所在し、使い勝手が良い基地と言われます。
ゆえに、この舞鶴基地には、海自最長の桟橋と言える、全長約1km強の北吸桟橋があり、艦艇が一直線に係留される光景が有名です。
北海の防衛拠点、大湊
ここまで見てきた4基地の前身が鎮守府だったのに対し、大湊基地は1905(明治38)年に南樺太の領有権保護のために開設された大湊要港部が前身です。以来、大湊要港部、そして戦後の1953(昭和28)年9月に大湊地方隊として発足していますが、今日まで一貫して北方の防衛拠点としての役割を担ってきました。また、大湊基地内には旧海軍が建設した1万トン乾ドックがあり、海自唯一の自前ドックとして今も現役です。
なお、大湊基地のある芦崎湾は水深が浅いため、大湊基地には大型の水上艦艇が入港できないという問題点がありましたが、2010年度に約4500トン級艦船を桟橋に接岸可能にする浚渫工事が完了しました。群司令部は所在しませんが、護衛艦7隻などが配備されています。
このように大湊は他の基地より規模が小さいものの、警備区域には宗谷海峡や津軽海峡、根室海峡などが含まれるため、その重要性は大きいです。ただ、指揮系統の整理などの理由で大湊地方隊は2025年3月、横須賀地方隊に統合され、大湊地区隊に改編されました。
これら5大基地のうち大湊を除く4基地には、港を巡る遊覧船が運航されており、係留されている艦艇や、帝国海軍が鎮守府を置く判断に至った良港の地形を見ることができます。来たる5月の大型連休では、基地巡りに足を運んでもよいかもしれません。