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第62話 株式市場も夏休み?(その1)
株の神様に投資の本質を教えてもらっているTさんは、奥様のA子さんや高校生の娘Y、中学生の息子Sにも、そのポイントを伝えています。お金や投資の話は、将来「生きる力」として役立つはずなので、みんな真剣にかつ楽しみながら聞いています。夏休みのとある団らんのひと時も自然とそんな会話になっているようです。 A子:ほんとに暑い日が続くわね。こう暑いと何もする気がおきないわ。 S:ほんと、宿題する気が全くおきない。 Y:あなたは、暑さにかかわらず、いつもじゃない?(笑) A子:こう暑いと、株や投資のことを考える気にもならないわよね。 T:そうだね(笑)。子供には楽しい夏休みの8月だけど、株式市場にとっては「夏枯れ」と言われる時期なんだ。 S:株式市場も夏休みなんだね。 T:(笑)うん、確かに。せっかく時間もあるし、自由研究の材料にもなるかもしれないから、調べてみようか。まず、本当に「夏枯れ」ないし「夏休み」現象がおきているか?そして、起きているとしたらなぜか? S:そもそも、何をどう調べればいいのかな? Y:過去のデータを調べればいいことはわかるけど、何の指標を見るといいのかな?それに他の月と比べることになるんだろうけど、月によって日数が違うから、その点も気をつけなきゃよね。 T:そうだね。研究の第1歩は、研究方法を確立することだね(笑)。まず、1日平均の売買高を比較するといいね。 S:売買高って、出来高とも言われる数字だよね? T:そう、株式市場で何個の株の取引が成立したか、その数量を表す指標だね。端的に取引が活発かどうかを比較できる。もう一つ、1日の平均売買代金も見るといいね。これは売買された株の金額の合計だね。 Y:株の取引があっても、株価の低い株ばかり、という場合もあるということね。 T:そうだね。では、2016年までの過去10年間について、東証1部市場の月間の1日平均の売買高と1日平均の売買代金を調べてみよう。 A子:そこまでわかればネットで調べられそうね。 S:僕は1日平均の売買高を調べてみる。 Y:じゃあ、私は1日の平均売買代金ね。 (しばらく2人はリサーチに没頭) S:やっぱり、8月の1日平均の売買高は他の月と比べて低かったよ!例外の年もあるけど、7月や9月に比べてポコっと落ち込んでいたり、1年で一番低い数字になっている年も多かった。ちなみに、過去10年の8月の1日平均の売買高は21億1639万株。低いと言ってもこんなに多くの株が取引されてるんだな!と思ったけど。 Y:1日平均の売買代金も8月が最も低かったよ!この10年間の8月の1日平均の売買代金は1兆9961億円で、1日平均の売買代金が2兆円を下回ったのは8月だけだった。これも低いと言っても、大変な額でびっくりしたけど(笑) T:二人ともエライな!「夏枯れ」は確かにあるということだね。では、なんでこういう現象が起きるか考えてみよう。 (この項つづく) 提供:いちよし証券 「兜のささやき」全話はこちら ○当記事は各種の信頼できると考えられる情報をもとに作成しておりますが、その正確性・完全性を保障するものではありません。 また、今後予告なく変更される場合があります。 商号等/いちよし証券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商)第24号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人日本投資顧問業協会…
「オクシズ」で砂金採り体験やゲレンデで野天風呂=「オクシズおんぱく」開催
静岡市
東海道歴史街道観光推進協議会(事務局:静岡市観光交流課)によると、8月1日から31日まで、静岡市の中山間地域「オクシズ」において、自然や食、伝統などを体験できる、オクシズ温故知新博覧会「オクシズおんぱく」を開催するということです。  静岡市は、人口の95%が生活している市街地の面積は、市全体の面積の20%に過ぎず、残りの80%は山間地域です。市街地から30分程度足を延ばせば、都市部では味わえない農産物や文化、そして豊かな自然環境を体験することができ、この地域を「奥静岡」=「オクシズ」と愛称をつけ、PRしています。  「オクシズ」は4つの地域から成っています。大井川の上流部で南アルプスの玄関口「奥大井」。藁科川の上流部、清沢地区・大川地区からなる、静岡茶の始祖と言われる「聖一国師」のゆかりの地「奥藁科」。全国屈指の麗水を育む安倍川の流域で、梅ヶ島地区・大河内地区・玉川地区があり、開湯1700年の歴史を持つ温泉やわさびの栽培発祥の地としても有名な「安倍奥」。そして興津川流域の両河内地区・庵原地区や、由比の山間部、入山地区があり、茶市場の初取引で最高値で取引されることの多い良質なお茶の産地でもある「奥清水」。「安倍奥」は、今年5月に環境大臣から「国民保養温泉地」に指定された梅ヶ島温泉郷があり、注目を集めています。  今回の「オクシズおんぱく」では、戦国時代の大名・今川氏を支えた金鉱跡の散策や砂金採りを通じた歴史体験や、ゲレンデにドラム缶で作ったお風呂から景色を楽しめるパノラマ野天風呂、日本農業遺産に指定された山葵田の見学や山葵漬作り体験など、14のプログラムが用意されています。同協議会は、今年2月から3月にも、「駿河 東海道おんぱく」を開催しており、1,300人以上が参加するなど、好評だったということです。この「駿河 東海道おんぱく」は来年2月にも開催予定とのことです。 ※おんぱくとは  大分県別府市で始まった「温泉泊覧会」が発祥。各地域の特色を活かした体験プログラムを提供し、地域活性化に大きな効果をもたらすことを狙うイベントで、小規模な交流型プログラムを、一定エリア内で一定期間に集中的に開催することが特徴です。現在は、温泉地に限らず、全国各地でこの手法が取り入れられており、静岡市では「温故知新博覧会」をテーマに、市内の様々な魅力を発掘、発信することを目的にスタートしました。…
熊本県出身、今仙人と称された牧師【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.13】
玉名市
安倍内閣の支持率が低迷する中、石破茂元地方創生大臣など自民党内からも安倍政権の現状に意見する声がみられるようになりました。今回は石破茂さんの遠縁でもある、熊本県出身の牧師・金森通倫さんを紹介します。 金森通倫さんは肥後国玉名郡小天本村(熊本県玉名市)に金森繁蔵の次男として生まれました。別名はポール・カナモリ。1872年に熊本洋学校の第二期生として入学し、ジェーンズ・L.L.氏の影響を受け、1876年花岡山奉教結盟に参加しました。 同年に同志社に入学し、同志社を興した新島襄さんから受洗を受けました。1880年にはアメリカン・ボード宣教師の協力を得て創立した岡山教会の牧師としての按手礼を受けて初代牧師に就任。1885年には『基督教三綱領』を著し、1886年同期生の横井時雄に続いて同志社に教師として招かれ、病弱な新島校長に代わって1887年に同志社教会牧師、1888年には同志社社長代理、1889同志社社長に抜擢され、新島さんの後継者としての地位を確かなものとしました。 また、この頃から実業の才を発揮し、「一銭講」「二円講」を生み出し、新島襄の大学設立の夢に募金活動などで大いに貢献したといいます。 1890年に新島が死去するや、周囲は金森さんが後任で一致したといいますが、新島さんが残した遺言書に金森の性格や人格に係わる事柄を言及していたため、金森ではなく、山本覚馬を臨時社長に据え、すぐさま小崎弘道(8-1-7-1)が社長に就任しました。1889年に金森さんは同志社を追われ、1890年に東京番町教会牧師となるも、翌年辞任しました。  1892年には『日本現今之基督教並ニ将来之基督教』を著し、新神学の旗手となったため、日本組合基督教会を脱会。1892自由党に入党し、「自由新聞」主筆などに関係しましたが、1893脱党し、三井鉱山、武相鉄道等の実業に従事。また、全国的に貯金のすすめを推進するための貯蓄遊説をしたとも言われています。  1912年に妻の小寿さん(旧姓西山)の没後は、回帰して組合教会に復帰しました。1914年、東洋人で最初の救世軍将官としても有名な山室軍平氏の救世軍に入隊。1927年には中田重治氏の東洋宣教会日本ホーリネス教会に入会し、「神・罪・救」の三綱領を説く「金森伝道」を展開するなど積極的に活動をしました。 しかし、1933年には救世軍もホーリネス教会からも脱会して、湘南の嶺山に隠居し洞窟生活を送り、今仙人と称された生活後、福島県郡山で没しました。享年89歳。金森太郎編『回顧録』があります。 ※次男の金森次郎(同墓)は実業家、三男の金森五郎(同墓・分骨)は(財)金森和心会 雲雀ヶ丘病院初代院長になった医師。 四男の金森九郎(同墓)は製鉄技師で原色押花の創案をした人物。 長女の三寿は、ジャパンタイムスの社長、国際ロータリーの会長、国際基督教大学初代理事長の東ヶ崎潔(1895-1992)に嫁いだ。 その長女の恵美子は経済学者で都市問題研究家の柴田徳衛に嫁いだ。五女の寿々枝は理学博士の浜健夫に嫁いだ。 また、長男の金森太郎(同墓)は内務官僚。太郎の長女の和子は 建設官僚出身で鳥取県知事や自治大臣を務めた政治家の石破二朗(1908~1981)に嫁ぎ、その子は小泉内閣・福田内閣で防衛庁長官(防衛大臣)、麻生内閣で農林水産大臣を務めた政治家の石破茂。…
第61話 戦争と株(その2)
株の神様に投資のポイントを教わっているTさんは、戦争は否定すべきものではあるが、武器などの新技術が、民間に活用される『スピンオフ』によって、人々の生活が便利になる面があり、経済の成長分野を生むこともある点について話しています。 神様:今、なくてはならないコンピュータも、当初は弾道の計算のために開発された『スピンオフ』です。 T:携帯電話も、軍事無線機の技術を応用して開発したと聞いたことがあります。 神様:デジタルカメラも、スパイ衛星で使われているCCDカメラと電子メモリー技術がもとです。 T:カナダ海軍出身の技術者が、レンズから取り込んだ映像を電気信号に変換して記録可能とする技術を発明したのが始まりだそうですよね。 神様:光ファイバーケーブルも、核攻撃の電磁パルスでも破壊されないような通信ケーブルとして開発されたものです。今は高速のインターネット回線として広く普及していますが。 T:インターネットも『スピンオフ』という説もありますね。敵対国からの核攻撃を受けた状況下でも指揮能力を喪失しないようにするため、分散処理システムとしての現在のインターネットの原型が誕生したという見方です。 神様:それまでは電話回線による2点間の通信に頼っていましたが、電話中継基地が破壊されると通信不能の危機になりますから、軍事的な観点から伝達情報のパケット通信化や、ある中継拠点が破壊されても迂回して情報を伝達するネットワークシステムの開発が急がれたのは確かでしょう。 T:それまでの2点間の通信からネットワークによる通信が誕生したことは画期的ですよね。 神様:ただ、現在は中継基地の攻防よりも別なかたちでインターネットの安全性を巡る攻防が激しく展開されていますね。 T:ハッキングやコンピュータウイルスですね。新たなウィルスが開発されると新しいアンチウイルスソフトが開発され、まるでイタチゴッコですよね。 神様:官民挙げてインターネット・セキュリティの安全性確保に力を入れています。日本の場合“専守防衛”で、どこかを攻撃するわけではありませんが。 T:そうなると、良いかどうかは別にして、ネットセキュリティ関連の開発を行っている会社は、株価が上がる可能性があり、要注目ですよね。 神様:その通りです。善悪は別として、武器開発の周辺に注目すると新技術の開発及びスピンオフで次の成長分野が見えてくる面はあります。 T:我々ができることは、いかにその技術をできる限り平和利用の方向にもっていくかですね。 神様:そうです。例えば、GPSも軍事用のナビゲーションシステムとして開発された測位衛星の技術ですが、今ではカーナビなどでの民間利用で馴染み深いですよね。日本でも、測量、高齢者やこどもの見守りサービス、各機械の自動制御、火山や地震の検知、天気予報等の利用に期待されています。 T:米国メーカーが軍事用に開発した地雷探査ロボットをベースにした強力なプログラムとメカニズムが、掃除機のルンバを生んだ事例もあります。 神様:我々が、技術を平和利用する会社に投資することが、一人一人の投資額は小さなものであっても、いずれは大きな流れをつくることにもなるのです。 Tさんは、大きくうなずき、子供達のためにも新技術を平和利用する会社を応援する投資を心がけようと強く思いました。 (この項おわり。次回「株式市場も夏休み?(その1)」を8/2掲載予定) 提供:いちよし証券 「兜のささやき」全話はこちら ○当記事は各種の信頼できると考えられる情報をもとに作成しておりますが、その正確性・完全性を保障するものではありません。 また、今後予告なく変更される場合があります。 商号等/いちよし証券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商)第24号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人日本投資顧問業協会…
第60話 戦争と株(その1)
株の神様に投資のポイントを教わっているTさんは、時折、神様と世界の情勢について雑談しつつ、学んでいます。 T:イスラム国の動きが沈静化したようで、一安心です。まだまだ予断は許しませんが。 神様:世界に武器がある限り、人が人と殺し合う紛争は無くならないでしょうね。 T:人が存在する限り、誰かを傷つけるために、武器を生み出し続ける人がいるとも言えるかもしれません。 神様:あなたは戦争が好きですか? T:とんでもない!嫌いですよ。世界から無くなった方が良いと思っています。 神様:私も戦争好きではもちろんありませんが、武力を完全に否定できない面もあるかなとも思っています。 T:えっ!どういうことですか? 神様:少なくとも技術の進歩にはつながってはいることもあります。 T:あっ、軍事技術が民生技術に転用される『スピンオフ』のことですね。 神様:そう、我々の生活は『スピンオフ』製品に満ち溢れています。例えば身の回りのものでは、ティッシュペーパー。もともとは第一次世界大戦中に、吸収力の高さからガスマスクのフィルターの代替品として使われました。大戦後に大量のティッシュペーパーが余ってしまったため、米国のキンバリー・クラークがメイク落とし用として「クリネックス」の商品名で販売し、現在に至ります。 T:そうだったのですね。それは知りませんでした。 神様:身近なところでは、電子レンジもそうです。1945年頃に米国の軍需製品メーカーであるレイセオンの技術者が、レーダー開発の実験中に偶然マイクロ波による急速な加熱現象を発見したことから発明されています。 T:食べ物で言うと、缶詰は、ナポレオンが遠征における食糧問題を解消するためアイデアを募った際に採用された「瓶詰め」が原型で、その後、より軽くて割れない缶詰に発展したことは聞いたことがあります。 神様:『スピンオフ』は衣食住全てに及んでいます。ファッションで言えば、トレンチコートは、その名の通り、寒冷なヨーロッパの塹壕で防水・防寒のために開発・改良されたコートですし、日本の若い人もよく着るピーコートはイギリス海軍が船の上の厳しい条件に対して工夫を凝らしたものです。例えば、風向により左右どちらでも上前を変えられますし、片方のボタンが破損しても、もう片方で止められるようになっています。 T:カモフラージュ柄の服は密林で身を隠すためのものでしたが、いまだに若い方からも支持を受けていますものね。 神様:腕時計だってそうです。19世紀末のボーア戦争で、イギリス軍が砲撃のタイミングを測る懐中時計を革のベルトで手首にくくりつけて使ったことが始まりです。懐中時計を手に持っていては片手しか使えませんが、腕時計の誕生により両手で戦えるようになったのです。有名なロレックスの創設者はこの情報を聞きつけ、腕時計の将来性を感じて腕時計輸出会社へ就職し、のちに世界的ブランドが生まれることになったのです。 T:鉛筆やボールペン、システム手帳といった文具類も、戦争における前線での記録用のために開発・改良されたという話も聞いたことがあります。 神様:つまり、戦争で今まさに使われているものが、次の時代では生活をより便利なものにする、そこに注目して投資すると中長期ではリターンが期待できるという事実は厳然としてあるのです。 T:悲しいけれど、それも現実の一つなのですね。 神様:そして、我々が今最も恩恵を受け、成長が期待できる分野、ITはまさに軍事技術から生み出されたものが多いです。 (この項つづく) 提供:いちよし証券 「兜のささやき」全話はこちら ○当記事は各種の信頼できると考えられる情報をもとに作成しておりますが、その正確性・完全性を保障するものではありません。 また、今後予告なく変更される場合があります。 商号等/いちよし証券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商)第24号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人日本投資顧問業協会…
新しい京都名物!?「京都の厚焼き玉子サンド」
京都市
京都名物と聞いて思い浮かぶものはたくさんあります。和菓子、湯豆腐、おばんざい、または京都ラーメンなどたくさん名物が存在しますが、実は京都にはまだまだ知られざる名物「厚焼き玉子サンドイッチ」があります。 京都の玉子サンドはふわふわのオムレツのような厚焼き玉子を挟んだもので、京都へ観光に行く際には一度は食べてみたい逸品です。今回はその中で「名店」と呼ばれるお店をいくつかご紹介します。 まず最初に紹介する『喫茶マドラグ』は、京都・烏丸御池にある厚焼き玉子サンドの有名店です。ここのサンドは、「コロナ」というこの厚焼き玉子サンドを最初に生み出したとされるお店の味を引き継いだ伝統のサンドです。分厚い玉子焼きがみっちりと詰まり、抜群のボリュームが評判とされています。お店選びで迷った時は、厚焼き玉子サンドの元祖とも言えるこちらのお店がまずお薦めできます。 京都観光で人気エリアの祇園にある厚焼き玉子サンドのお店が『切通し進々堂』です。こちらは祇園という場所柄、お客さんの中には舞妓さんもいて、彼女達が贔屓にしていることで評判のお店です。テイクアウトがメインですが、店内でゆっくり食べることも可能です。ここのサンドは玉子焼きが素朴な味わいで食べやすいため、舞妓さんをはじめ女性に支持されるお店です。 最後は、世界遺産・二条城から少し北に行った所にある『ソングバード珈琲』です。やや狭小の入り口とは裏腹に店内はゆったり、広々としています。ふわふわの玉子焼きにバターを塗りこんで軽くトーストしたパンが特徴です。窓から外を眺めると二条城も見え、景色を楽しみながらサンドをいただくことができます。 歴史の都だけあり、知られざる名物が豊富にあるのが京都の魅力。京都の厚焼き玉子サンドの魅力を一度味わってみてください。 [Kentaro Ohno@fliker]…
お椀の中から巨大な里芋が!和歌山のおせち料理「ぼうり」
和歌山県
全国各地に伝わる珍しいおせち料理中でも、一番のインパクトがある珍しい料理ものと言えば和歌山のおせち料理「ぼうり」ではないでしょうか。「ぼうり」は里芋の中でももっとも大きな親芋を醤油や砂糖で甘辛く煮つけ、丸ごとお椀に盛り付けた料理です。お椀の中から巨大な里芋が顔をのぞかせる様子はインパクト抜群で、最初に見た人は必ずびっくりすること間違いなしです。 「ぼうり」の誕生のルーツは鎌倉時代後期、南北朝の時代にまでさかのぼります。幕府と権力争いをしていた後醍醐天皇の王子・大塔宮護良親王は、鎌倉幕府の追求を逃れて現在の和歌山県田辺市(旧大塔村鮎川地区)のあたりにたどり着きました。王子は鎌倉幕府の追跡を逃れるため、山伏の扮装に身をやつしていましたが、空腹を感じ地元の人たちに餅を所望しました。当時は山伏には物を与えてはならないという村の規則があったため、土地の人は王子の求めを断ります。しかし、その後餅を求めていた山伏姿の人物が後醍醐天皇の王子だったということを知った土地の人は深く恥じ入り、それ以来その行いを忘れないようにするため、正月に餅をついて食べるのをやめ、里芋でおせち料理を作ることにしたといいます。 こうした言い伝えのある「ぼうり」ですが、しっかりと濃厚な味付けがされているため、日持ちもするおせち料理には最適なものとして現代に受け継がれています。…
道産にこだわった美容グッズ&カフェ…地方から世界へ挑戦
砂川市
札幌と旭川の中間地点砂川に、世界でマーケットを拡大している自然派スキンケアブランド「shiro(シロ)」があります。以前は「LAUREL(ローレル)」というブランド名でしたが、世界にも商品を発信していきたいという思いから、2015年にブランド名を「shiro」へと変更しました。商品の企画、開発、製造、販売のすべてを社内で行っており、「自然の素材をシンプルに」をコンセプトに、素材を生かしたスキンケア用品をはじめ、フレグランスやコスメなどビューティグッズを幅広く展開しています。 砂川の街を車で走るとブランド名のshiroを象徴するがごとく、真っ白な建物が現れます。Shiroの本店に併設している「shiro cafe」です。お店はスキンケアに使用している素材を料理で伝えるカフェということで、テイクアウトスタンドだけではなく、2階には食の加工品やスキンケア用品が購入できるショップを構えています。 また、「shiro cafe」は素材にこだわっており、スキンケア用品にも使われている函館の「がごめ昆布」、小林酒造(北海道夕張郡)の「酒かす」、高知の「しょうが」など、美容に良いビタミン豊富なフルーツや野菜を使った、毎日使いたいもの・食べたいものだけを選りすぐりの素材を活かしたメニューがあります。 2階の商品売り場では、酒かす、がごめ昆布、アイスプラント、ごま、亜麻などの国産の自然素材を最大限に引き出したオーガニックや道産の原材料にこだわった「小林酒造の酒粕100% 酒粕パック」、「がごめ昆布美容液」、「十勝のあずきでできた あずき石鹸」、「ラワンぶきの化粧水」等のアイテムがたくさん揃っていています。現在では、東京・大阪・名古屋・博多など全国各地だけでなく、ロンドンにもお店を構えています。今後、パリ、ニューヨークの進出も視野に入れており、東京 自由が丘にカフェを併設した路面店を2017年8月にオープンしました。 筆者もハンドクリームを購入して現在使用していますが、さらっとして、匂いがとっても自然!そして強すぎず優しい香りです。海外ブランドの商品は、香りが少し強すぎると思うことがたまにありますが、shiroのコスメは、毎日使ってもらいたいという思いが伝わり、日常の生活に寄り添います。 「ソメスサドル」そして「Shiro(シロ)」。人口1万8千人の街から、世界への挑戦。北海道の地方都市にて質の高い商品を製造し、全国に販売展開、さらには世界に目を向けている砂川の2社。いずれも地域に根差し、観光だけではない地域創生を形にし、さらなる発展を続ける2社の挑戦は、多くの地方都市の企業に刺激と希望を示すだろうと確信しました。 文:M.Sawaguchi…