熊本県出身、今仙人と称された牧師【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.13】

安倍内閣の支持率が低迷する中、石破茂元地方創生大臣など自民党内からも安倍政権の現状に意見する声がみられるようになりました。今回は石破茂さんの遠縁でもある、熊本県出身の牧師・金森通倫さんを紹介します。

金森通倫さんは肥後国玉名郡小天本村(熊本県玉名市)に金森繁蔵の次男として生まれました。別名はポール・カナモリ。1872年に熊本洋学校の第二期生として入学し、ジェーンズ・L.L.氏の影響を受け、1876年花岡山奉教結盟に参加しました。 同年に同志社に入学し、同志社を興した新島襄さんから受洗を受けました。1880年にはアメリカン・ボード宣教師の協力を得て創立した岡山教会の牧師としての按手礼を受けて初代牧師に就任。1885年には『基督教三綱領』を著し、1886年同期生の横井時雄に続いて同志社に教師として招かれ、病弱な新島校長に代わって1887年に同志社教会牧師、1888年には同志社社長代理、1889同志社社長に抜擢され、新島さんの後継者としての地位を確かなものとしました。

また、この頃から実業の才を発揮し、「一銭講」「二円講」を生み出し、新島襄の大学設立の夢に募金活動などで大いに貢献したといいます。 1890年に新島が死去するや、周囲は金森さんが後任で一致したといいますが、新島さんが残した遺言書に金森の性格や人格に係わる事柄を言及していたため、金森ではなく、山本覚馬を臨時社長に据え、すぐさま小崎弘道(8-1-7-1)が社長に就任しました。1889年に金森さんは同志社を追われ、1890年に東京番町教会牧師となるも、翌年辞任しました。

 1892年には『日本現今之基督教並ニ将来之基督教』を著し、新神学の旗手となったため、日本組合基督教会を脱会。1892自由党に入党し、「自由新聞」主筆などに関係しましたが、1893脱党し、三井鉱山、武相鉄道等の実業に従事。また、全国的に貯金のすすめを推進するための貯蓄遊説をしたとも言われています。

 1912年に妻の小寿さん(旧姓西山)の没後は、回帰して組合教会に復帰しました。1914年、東洋人で最初の救世軍将官としても有名な山室軍平氏の救世軍に入隊。1927年には中田重治氏の東洋宣教会日本ホーリネス教会に入会し、「神・罪・救」の三綱領を説く「金森伝道」を展開するなど積極的に活動をしました。

しかし、1933年には救世軍もホーリネス教会からも脱会して、湘南の嶺山に隠居し洞窟生活を送り、今仙人と称された生活後、福島県郡山で没しました。享年89歳。金森太郎編『回顧録』があります。

※次男の金森次郎(同墓)は実業家、三男の金森五郎(同墓・分骨)は(財)金森和心会 雲雀ヶ丘病院初代院長になった医師。 四男の金森九郎(同墓)は製鉄技師で原色押花の創案をした人物。 長女の三寿は、ジャパンタイムスの社長、国際ロータリーの会長、国際基督教大学初代理事長の東ヶ崎潔(1895-1992)に嫁いだ。 その長女の恵美子は経済学者で都市問題研究家の柴田徳衛に嫁いだ。五女の寿々枝は理学博士の浜健夫に嫁いだ。
また、長男の金森太郎(同墓)は内務官僚。太郎の長女の和子は 建設官僚出身で鳥取県知事や自治大臣を務めた政治家の石破二朗(1908~1981)に嫁ぎ、その子は小泉内閣・福田内閣で防衛庁長官(防衛大臣)、麻生内閣で農林水産大臣を務めた政治家の石破茂。

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◆取材協力
歴史が眠る多磨霊園
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