大手私鉄から地方鉄道への移籍車両には、元の車両から大がかりな改造を施されることが少なくありません。その中でも「面影はほとんどありません」と移籍先が公言する車両はぶっ飛んでいました。
改造されすぎて種車を言い当てるのは困難!
大手私鉄の車両が地方鉄道へ移籍する際、移籍先のインフラに対応するために大がかりな改造が施されることは少なくありません。改造内容には1編成当たりの車両数を減らしたり、移籍先では線路幅が異なるため台車を取り換えたり、電気を取り込む集電方式を変えたりすることがあります。
熊本電気鉄道01形の「種車」となった東京メトロ銀座線の先代車両01系は、大規模な改造を受けた代表例の一つです。主だった変更点だけでも、1編成の車両数を6両から2両へ減らし、線路幅が異なるため新造台車を換装。集電方式は銀座線が走行用レールの横に敷設した3本目のレールから電気を取り入れて走る「第三軌条方式」なのに対し、熊電では架線のため、集電用のシングルアーム式パンタグラフを屋根の上に取り付けました。それでも、一目で元・東京メトロ01系だと分かります。
これに対し、原形をとどめていないため予備知識がなければ種車が何かを言い当てるのも困難で、運行する鉄道会社が「種車の面影はほとんどありません」と公言するほどの“魔改造の極み”と言えそうな車両が北関東を走っています。
その種車は、1963(昭和38)年8月に登場した京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の初代5000系です。1963~69年に計155両が製造されました。1996年12月1日に京王での旅客運用のラストランを迎え、島根県の一畑電車や、愛媛県の伊予鉄道(2026年11月7日で全編成が引退)などに譲渡されました。
京王時代に5000系に乗った筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は、この北関東の鉄道会社を除く移籍先で元京王初代5000系に乗ってきました。残されたパズルのピースを埋めるべく、2026年11月に現地を訪れました。すると、元の京王初代5000系の原形をほとんど残していないのにとどまらず、通勤形車両時代には考えられなかった驚きの仕掛けが施されていました。
そんな“魔改造の極み”車両が走っているのは北関東の第三セクター鉄道、わたらせ渓谷鐵道です。JR東日本両毛線と接続する桐生(群馬県桐生市)と間藤(栃木県日光市)の44.1kmを結んでいます。
「沿線最大の武器」を活かすための大改造
わたらせ渓谷鐵道の沿線には、衆議院議員を務めた田中正造が明治天皇に直訴したことで鉱毒事件が知られるようになった足尾銅山があります。足尾銅山からの銅製品などを運ぶために私鉄の足尾鉄道が設けられ、1914(大正3)年に全線開業しました。このときは足尾本山(日光市)まで線路が敷かれましたが、うち間藤~足尾本山間は既に廃止されています。
足尾銅山があったため国は重要な路線だとみなし、1918(大正7)年6月に国有化されて足尾線となりました。しかし、足尾銅山が1973(昭和48)年に閉山したことで沿線地域は衰退の一途をたどり、足尾線の利用者数も落ち込みました。1984年6月に廃止対象となる「第二次特定地方交通線」に指定され、廃止の危機に直面しました。
沿線の自治体と住民は「乗って残そう足尾線」とうたった存続運動を熱心に展開。筆者が1984年秋に乗車した際には、地元住民が大勢乗っていました。
そんな努力が実を結び、国鉄の分割民営化の約2年後となる1989年3月にわたらせ渓谷鐵道として再出発。株主には群馬県や桐生市、群馬銀行、足利銀行などが名を連ねました。
その後も危機にひんしながらも生き残ることができた大きな武器が、渡良瀬川に沿って線路が延びる渓谷美です。新緑や紅葉など季節ごとに違う顔を見せる自然を満喫してもらおうとトロッコ列車を運行しています。
トロッコ列車は2種類。国鉄時代に製造されたディーゼル機関車DE10形1両が客車4両を牽引する1998年10月登場の「トロッコわたらせ渓谷号」(大間々~足尾)と、2012年4月に運行を始めたディーゼル車両「トロッコわっしー号」(桐生~間藤)です。
うち“魔改造の極み”車両が潜んでいるのが「トロッコわたらせ渓谷号」です。4両の客車からなる「わ99」は1998年に導入され、トロッコ車の中間2両の5020号・5070号が京王初代5000系、両端の5010号・5080号の2両はJR東日本のスハフ12形を譲り受けました。
電車から「ほぼ全てのモノ」が取り払われた車両 面影は…?
乗車には運賃のほかに大人700円の「トロッコ整理券」が必要ですが、筆者が予約した大間々を10時54分に出発する足尾行き「トロッコわたらせ渓谷3号」の2両あるトロッコ車は満席でした。筆者は5020号の座席を予約していましたが、直接乗り込むことはできません。
というのも、京王初代5000系に片側3か所あった片開き扉が全て取り払われた「0扉車」だからです。最後尾の5080号から乗車し、5070号を通り抜け、5020号の座席にたどり着きました。
京王子会社の京王重機整備が手がけた大改造では、トロッコ車にするために側面の窓ガラスをなくし、ロングシートだった座席は木製のテーブルと座席に一変。しかも主電動機(モーター)などの電装品も全て撤去され、冷暖房機器もありません。強いて面影を残している部分を挙げるとすれば、窓ガラスが残っている車端部ぐらいでしょうか。
DE10形の「ピー」という警笛が響いた後、地元住民が手を振ってくれる中で発車しました。5020号の天井を眺めると鉄骨がむき出しになっており、片隅にはコカ・コーラの自動販売機も1台置かれています。
自販機はコカ・コーラの500ミリリットル入りペットボトルが200円で販売されていた一方、アルコール類も“乗り入れ”している変わり種。アサヒビールの「アサヒスーパードライ」の350ミリリットル缶が400円、キリンビールの350ミリリットル入り缶酎ハイ「キリン 氷結 無糖レモン」が300円で売られていました。
通過した隣駅の上神梅(かみかんばい、群馬県みどり市)は、1912(大正元)年の開業時からの木造駅舎とプラットホームが国の登録有形文化財に登録されています。最初の停車駅の水沼(桐生市)は全国でも珍しい駅直結の温泉施設があり、アテンダントが車内放送で「駅の隣には天然温泉『水沼の湯』があります」と案内しました。
水沼の3駅先の小中(みどり市)を通過し、トンネル「第一神土隧道」(全長103m)にさしかかる手前でアテンダントが「トンネルを抜けたら、左側を見ていてください。トロッコ列車でしか見られない滝が見えます」と呼びかけました。それは「汽車見の滝」(落差70m)で、トロッコ列車だと減速してくれるためよく見えました。
魔改造の真骨頂とご対面!?
もう一つのトンネル「第二神土隧道」(全長123m)を通り過ぎた11時37分、難読駅名の神戸(みどり市)に停まりました。兵庫県の県庁所在地とは異なり、読み方は「ごうど」です。当初の漢字表記は「神土」でしたが、足尾線がわたらせ渓谷鐵道に転換された1989年に周辺の地名と同じ「神戸」に変更されました。
駅に隣接し、東武鉄道の浅草~東武日光・鬼怒川公園などを結んでいた特急用車両1720系デラックスロマンスカー(DRC)の保存車両で飲食ができる「駅のレストラン清流」があります。筆者はここで作られている「やまと豚弁当」(持ち帰り1200円)を食し、白米に乗った群馬県産やまと豚の焼肉が甘辛いタレと相まって良い味わいでした。
団体旅行客がごそっと降りた神戸を出発すると、アテンダントが車内放送で「列車はまもなく全長5242mの草木トンネルへと入ります。わたらせ渓谷鐵道で一番長いトンネルです」と告げました。
トンネル内で待ち受けていたのは、魔改造トロッコ車の真骨頂と呼ぶべき仕掛けでした。天井に組み込まれた青色や白色の計1万2000個のイルミネーションが点灯し、夜空のような雰囲気を醸し出しました。点灯と同時に、「オー」という歓声が車内に響きました。
トンネルを抜けると、神戸と同じく難読駅名の沢入(そうり、みどり市)。間藤発桐生行き「トロッコわっしー2号」との行き違い後、沿線で最も美しい風景とされる渓谷沿いを走ります。
白御影石と紺碧色の渡良瀬川が色彩のハーモニーを奏でており、アテンダントは車内放送で「渓谷は国道(122号)からも離れており、車窓からしか見ることができない景色となっています」と強調しました。
自動車検査登録情報協会によると、群馬県は2025年3月末時点の1人当たりの自家用乗用車保有台数が0.727台と47都道府県で首位、栃木県は0.707台と2位だけに、列車ならではの車窓の魅力をアピールすることは重要です。
次の停車駅の通洞(日光市)は足尾銅山観光の最寄り駅で、駅の手前の左側には採掘された銅鉱石を選別し、製錬所へ送る施設の跡「通洞選鉱所跡」が広がっていました。通洞で大部分の乗客が下車し、3分後の12時27分に列車の終点の足尾(同市)に着きました。
1時間半余りにわたって味わった乗り心地は、トロッコ車そのものでした。それだけに、かつて京王で乗車した通勤形車両と“再会”したことが信じられないままでした。