「高原列車」の名とは似つかわしい? 空から見た秋の小海線「壮絶な山越えルート」のワケ

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小海線は八ヶ岳山麓の高原地帯を縫い、JR最高地点の標高1375m地点を走る高原列車として、国鉄時代から有名なローカル線です。深まる紅葉に白い気動車が走るシーンを空から観察しました。

元々は壮大な「太平洋~日本海」連絡ルート

 山梨県のJR中央本線小淵沢駅と、長野県のしなの鉄道線小諸駅を結ぶJR小海線は、愛称を「八ヶ岳高原線」と称し、八ヶ岳麓の高原地帯を走りながら、清里駅、野辺山駅と観光客に人気の駅を通り、佐久市方面へと北上していきます。清里~野辺山間で標高1375mのJR鉄道最高地点を通過し、JR最高標高駅の野辺山駅(標高1345.67m)に至ります。

 SLが現役だった昭和40年代はC56形蒸気機関車が活躍し、小型のフォルムから「高原のポニー」の愛称で親しまれていました。時代はちょうどSLブーム。高原のポニーは鉄道ファンの人気の的となり、高原地帯を行く小海線のロケーションは観光にも魅力的でした。1970~80年代後半は清里が若者にブームとなり、清里駅周辺はかわいらしい店舗やグッズであふれかえる観光地となりました。

 小海線は鉄道ファンだけでなく観光客にも広く知られ、JR東日本となってからも、幾多の優等列車や観光列車が中央本線から乗り入れて運行されてきました。

 小海線は観光路線のイメージが定着していますが、その歴史は日本海側と太平洋側を結ぶ目的として誕生しました。鉄道網が日進月歩の勢いで拡張した大正時代、私鉄の佐久鉄道は小諸駅から千曲川を遡りながら小海駅へと至りました。同鉄道は八ヶ岳の火山活動によって形成された険しい標高差の山岳地帯を越え、甲府から富士身延鉄道(現・JR身延線)を経由して太平洋側へ結ぶ壮大な計画を描いていました。

 その計画は当時の鉄道省へと受け継がれ、小海駅以南を建設。1935(昭和10)年に小淵沢~小諸間が全通しました。佐久鉄道は国有化されて小海線の一部へと組み込まれ、直江津方面から信越本線と小海線を経由して甲府へ、その先は身延線で東海道本線の富士駅へと至る輸送ルートが実現しました。

 とはいえ山岳地帯の勾配はきつく、小淵沢~甲斐小泉間は連続25パーミル上り勾配、甲斐大泉~最高地点間は33パーミル勾配が連続し、SLが担った貨物列車には過酷なルートでもありました。

空から見えた「地形との闘い」

 ではどれほど険しいロケーションなのか、空から眺めてみましょう。小淵沢駅の先で中央本線と分岐すると、すぐに通称「大カーブ」や「大築堤」と呼ばれる半円状の築堤が待ち受けます。小淵沢からUターンしながら25パーミル勾配を上るのですが、この線形となったのは、当初は富士見駅を起点とする予定が小淵沢の人々の熱心な誘致でUターンとなった、甲斐小泉までの最短ルートは勾配がきつすぎるために大回りをしたなど諸説があります。

 大カーブは車窓の見晴らしも良く、南側には南アルプス、北側には八ヶ岳の秀峰が目を楽しませてくれます。上空からでは地上絵かと見違えるほど立派な半円で、中央本線側は背の高い築堤なのに対し、北側の中央自動車道が通る付近は掘割になっているのに気が付きます。つまり周囲の地形は高低差があるのです。国土地理院の地形図では、小淵沢付近は標高887m、隣駅の甲斐小泉は標高1044mとなります。

 秋の空撮では紅葉がまぶしく、キハ110系気動車の白いボディと好対照で、甲斐大泉~清里間では川俣川の深い谷をΩ状のカーブで越えながら登っていきます。この辺りを上空から眺めると、大地が大きく凹んで深い谷を形成しています。八ヶ岳の火山活動により溶岩が流れ、川俣川の浸食で谷が形成されたとのことです。小海線は自然が作り出した地形に逆らわない線形となってカーブを繰り返し、標高を稼ぎながら清里駅へ向かいます。

 JR鉄道最高地点と野辺山駅で線路の標高の頂点を迎えると、一転して12~33パーミルの下り勾配で一気に標高が下がります。信濃川上駅到着前の線路は左カーブとなって、台地がストンと落ちる断崖に沿って線路が敷かれており、台地を包み込むようにカーブしながら下降しています。信濃川上駅へ到着した時点の標高は1137m。野辺山駅と209mも標高差があり、火山活動などによって形成された野辺山高原から千曲川による谷へと、激しく変化する地形を縫いながら敷設された苦労が伝わってきます。

 小海線の山岳地帯を空撮すると、高原路線の牧歌的なイメージとは異なる顔を垣間見た気がしました。地形を意識しながら列車に揺られると、高原列車とは違う山岳路線の雰囲気を味わえると思います。